あいさつは相手がわからないと・・・
こんにちは。特別支援学級教員13年目のMr.チキンです。
今日は朝から道徳の教材を作っていました。
その日の朝に作るという計画の無さ・・・反省です。
さて、今日は学校で話題になった「あいさつ」についてです。
あいさつをしない子が増えてきている という議論
学校でよくある議論の一つが
というものです。
現在4校目ですが、どの学校でも、毎年会議の話題になります。
このままいけば、私が定年退職する頃にはあいさつする児童は絶滅危惧種になってしまいます・・・
会議の中では、その都度「学級活動や委員会の活動を重点的にやりましょう」などのお茶を濁すような話が出て終わります。それで良いのでしょうか。
以前の学校で出た意見「なぜあいさつしないのでしょう?」
そんな中、以前赴任した学校では、一部の教員から
という疑問が出ました。
そこで、みんなで話し合いをしました。
という意見もありましたが、面白かったのは
という意見が出たことでした。
コロナ禍でマスクをしていることから、本当に顔を知ってあいさつをできるのは担任の先生くらいだということも話に出ました。
その時は職員のみんなで「なるほど!」となり、「全校朝会で積極的に色々な職員が顔を出して話をする。」「廊下では教員から進んであいさつをする。」などの意見が出ました。「なぜ」という視点から掘り下げると、原因は子ども側にばかりあるわけではないという結論に達したのです。
「あいさつさせる」が目的になっていないか?の反省
教員をしていてよく感じる難しいことの一つが、
を目的としてしまうということです。
例えば、
あいさつをさせる
そうじをさせる
勉強をさせる
手を挙げさせる
○○させる・・・本当にそれで良いのでしょうか?
子どもの内面から「○○したい」を導き出すのにはどうすれば良いのか。
以前の学校で出た
という意見はそこに対する一つのアプローチだったのかもしれないと感じています。
では、またね~!