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ルーブル・ランス美術館

ランスはパリ北駅から列車で1時間ほど北に行ったところにあるほうのランスである。フランスには二つのランスがあるが、間違えてはいけない。目指すべきはLensのランスである。

ランスまでの道のりはアムステルダムからパリに向かったときとは異なり、農耕地帯が一面に広がる世界だった。アムステルダムからの時はどちらかといえば牧草地帯で、ところどころ牛や羊が群れていて彼らのための牧草が束ねて置かれていた。しかしこちらは農作物が規則正しく並んだ溝がはっきりと見え、刈り込まれたエリアも見て取れた。地面を這う移動というのはなかなか面白い。

ルーブル・ランスがどのようにしてできたかはここでは述べないが、その建築は日本人のSANAAによるものである。これが見たくて行ってきた。むしろ作品はルーブルからの譲りうけで、毎年少しずつ変わるとのことだがほぼ恒久展示みたいなものである。実際、建築としてキュレーションを規定するような作りになっているので、展示に自由度がないというのは事実である。

駅からルーブル・ランスまではしばらく歩く。途中から設計された緑道のプロムナードが出てくる。そこでは猫が日向ぼっこをしていた。こうした緑道を通るときわたしはいつも下鴨神社の糺の森を思い返す。どうしてあそこはあんなに静謐で背筋の伸びる感じがするのだろうか。

プロムナードに飽きてきたころ、美術館まであと400何歩、という表示が出ていた。それを数えて歩き始めてふと視線を上げると、広い土地に大胆にたたずむ細長い建物が見えてくる。これがルーブル・ランスだ。時間を追うように展示を観ることができるよう、「時の展示室」と名付けられたその美術館唯一の展示室は細長く広く、部屋という概念を間に持たないまま古代ギリシア、古代エジプトから18世紀ごろまでの美術を取りそろえている。

この展示で特筆すべきは、見る美術史の流れを自分で選択できることだろう。古くから新しくへ、という流れは譲られないが、どういう国と対比するのか、時代を往復するのか、まずは一つの時代だけを堪能するのか、その鑑賞体験は自由である。これほどまでに自由な鑑賞体験ができるのも、建築の力があってこそであろう。新しい美術館の時代が来ているのだ。

ルネサンスの人々が古代ギリシアに回顧したのも頷ける
レンブラントの黒の扱いは相変わらず美しい

帰りの列車はなぜか冷房が効いておらず、パリに来て初めて暑さに苦しんだ。そのまま駆け足で待ち合わせ場所に向かい、大学時代の友人と5年ぶりほどにパリの地で再会した。日本では合わないのにパリで会うなんてね、という話を交えながら近況報告をしていたらボトルが2本も空いてしまった。さらに夜が深まる町で買った3本目のワインを片手にポン・ヌフの傍らに腰を掛けながら続きの話をした。異国の地でだいぶ飲みすぎてしまって、今朝はゆっくりと起きることにした。まあそんなことがあってもいいか、と思いつつ、今日はこのあとパリの美術館の続きを楽しみに行く。

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