三月に祖母が亡くなった
わたしは祖母の家に住んでいる。
祖母が介護施設に入って、祖母の家が空いたためだ。病気に理解のない父から、どうしても離れたかったのもある。とにかく、祖母が施設に持って行ったぶんの足りない家具を買ってまで、わたしは祖母の家に移った。それが2021年の六月頃の話である。とはいえ、コロナ禍ということもあって、祖母に頻繁に会うわけではなかった。転送依頼をしていても、たまに祖母宛の郵便物がこちらに届くことがあって、けれどそれを渡すのは施設の方だ。面会はできなかった。
二月の終わりだろうか。友達とカラオケに行っている時に、突然祖母から電話があった。はじめは母と間違えてかけたのだろうか、と思ったが、それは正しくわたし宛てであり、今からわたしの家に行っていいか、というものだ。困る。今は家に居ないから無理だ、と断ると、残念そうに電話は終わった。
昨年、マンションの管理人をしている方の、奥方が亡くなったのだという。その挨拶が出来ていないからしたい、と。しかし電話があったのは土日で、土日は管理人室はお休みだ。認知症はなかったはずだが、と思いつつ、けれど深く考えずに友人たちのもとへ戻った。
祖母はまた、電話をかけてきた。内容は同じ、管理人さんに挨拶がしたい。とはいえわたしも用があり、すぐに対応できなかった。
水曜日はどうだろう、と提案してみる。その日はわたしの通院日だった。難病で大学病院にかかっているのである。予約は午後からなので、午前中はあいている。難病なので、急に入院が決まるなど、なにがあるかわからないから母も付き添ってくれていて、その日なら母にも会えるよ、と言った。
あとから聞いた話だが、三代揃うのがとても楽しみだったのだろう。祖母は何度も母に電話をかけて、その日の計画を練っていたようである。
わたしは朝に弱かったが、その日はちゃんと起きることができた。祖母と約束した10時ぴったりに施設につく。いや、これは5分前のほうが社会人としては正しかったかもしれない。ぴったりですね、と祖母に笑われながら、ヘルパーさんに頭を下げて施設を出る。施設とマンションは近く、15分ほど歩けばたどり着くことができるはず。
祖母は花が好きだ。道すがら、ここは何の花が咲く、と説明してくれる。そうなんだ、と相づちを打ちながら、あとひといきでマンションに着く、という時だった。
工事現場の前である。鉄骨を運んだトラックが、その現場に向かおうと、右折しようとして失敗していた。カーブミラーにぶつかっていて、祖母がああ、とため息をもらす。どうするんだろうね。別の道から来るんじゃないかな。そんなことをいいながら、休憩がてらに止まっていた。
そろそろ行こうか、と声をかけると、祖母がうなずく。けれど、足音がしない。振り返ると、祖母は胸元を押さえていた。
痛い、と言う。大丈夫か、と尋ねても、答えることができないようだった。そうして、ふらりと倒れてしまったのだ。
抱き留めることができなかった。声をかけても反応がないことから、すぐに救急へ電話をする。それから、母にも連絡を入れた。母はわたしと入れ替わりに、祖母の家で待っているはずだからだ。
救急車より先に母が来た。
けれど、祖母にもう意識はない。
お母さん、ではなく、ママ、と呼びかける母の姿が、今でも頭にある。見ているのがつらくて、救急車が来るか見てくる、と言って離れようとした。しかし、場所は工事現場の前である。警備員の方がいて、気を利かせてくれたのだろう、誘導しますよ、と言ってくれた。有り難かったが、苦しい現場に戻るのだ。
母がずっと呼びかけている。祖母は時折ゔ、と音を漏らしたが、それはただの音であって、返答ではなかったように思う。
救急車が到着して、隊員がすぐに祖母へ手を伸ばす。すでに心肺が停止している、とのことだった。母が連絡していた、祖母がかかりつけの病院ではなく、救急専門の大学病院に行くらしい。
一緒に救急車に乗りたかった。けれど、わたしはこの後、自分の予約がある。祖母の行く大学病院と、わたしのかかっている大学病院は別の場所だ。仕方なく、わたしは家に戻って、通院の準備をした。脳裏に、祖母が倒れる瞬間がこびりついているまま。
亡くなりました、という、あっけないLINEでの連絡だった。
無理矢理蘇生することはできるけれど、寝たきりなどになるかもしれない。祖母はもともと、そういうのは嫌だわ、と母に言っていたそうだ。そのまま眠らせてあげるべきだと。
原因不明ではあるが、心臓発作であろう、という。
本当に、直前まで、元気だった。大好きな花について、快活に喋っていた。シルバーカーを押しながらではあるが、歩くスピードもけして遅くはない。両膝を手術しているのにもかかわらず。道に迷うこともなく、まっすぐに、あと1分も歩けば、祖母の家にたどり着いていたのに。
一瞬で、苦しまなかったならよかった、という人がいる。
本当にそうだろうか?
だって、まだ祖母にはやりたいことがあったのだ。それがただの挨拶だとしても、やりたいことに違いない。
最後にお孫さんと会えてよかった、という人もいる。
本当にそうだろうか?
母にだって会いたかっただろう。母が到着したとき、祖母の意識はなかった。祖母が認識できていないなら、祖母としては会えていないのではないだろうか。祖母は何度も母に電話をするくらい、三代で揃いたかったのだ。元気に、笑って。
倒れる前に、痛がった時点で救急車を呼べばなにか違ったのだろうか。
それとも、最初から歩くのではなく、タクシーを呼んでいれば。
意味のないたらればの思考が、いまでもぐるぐる頭を回る。