【初見プレイ】CardWirth #40 概要欄
YouTubeでのゲーム実況生配信『【初見プレイ】CardWirth #40 』の概要欄部分をnoteで読めるようにしました。
これが僕にとってのカードワース。
僕の解釈。僕の『前回のあらすじ』です。
拙いところも多いかと思いますが、気持ちだけは込めて書いたつもりです。
書いている内容の8割9割分かる方は余り居ないかも知れませんが、僕の事をご存じであれば、何となく知っている話も1つか2つ、出てきます。
ちょっぴり長くなりましたが一生懸命書きました!
もしも誰かにとって、カードワースをもっと楽しむきっかけになったなら、
もしも誰かにとって、カードワースに興味を持つきっかけになったなら、
それ以上光栄な事はありません。
よかったらぜひお気軽に、覗いてってください!
それぞれの休日であった。
「冒険者」と一口に言っても、その生活様式は様々である。
依頼が無いと分かるや深酒し昼過ぎまで起きてこない者も居れば、少数ではあるが、身なりを整えて食堂でゆったりと朝食の時間を過ごすような、真っ当な一日を始める者も居た。
例えばイシェトも今朝は普段より早く目覚め、1階ホールへと下りてきていた。カウンター近くのテーブル席に腰掛けたイシェトは、親父の作ったキノコのサンドイッチと少し甘めに味を整えた温かいコーヒーで、ささやかなモーニングを楽しむつもりであった。そのテーブルには、同じく朝食を摂るレナータ(頭上には白米の塊)と、早朝の礼拝を終えて戻ってきたユルヴァも居た。
「楽しむつもりであった」と表現したのは、実際には楽しめなかったからであって、それは、とても食事に集中できないほどひっきりなしに、ユルヴァが話し掛けてくるからであった。
「はい!そこでですよ!イシェト様の献身的な祈りも叶わず、ご老人が文字通り絶体絶命の時!颯爽と現れ彼の命を救う奇跡…!何という事でしょう…!あああ…もっと聞かせてくださいっ、もっと詳しく教えてください聖女様について…!」
「もう、何度も話したじゃないですか…」
イシェトは少し呆れていた。アルビナからの帰投以来、ユルヴァに顔を合わせる度、彼女はイシェトに質問攻めをしてきた。何度聞かせても飽きずに同じ童話をせがむ幼子のように、ユルヴァは奇跡の聖女の話を持ちかけてくるのだ。聖女様は如何にして老人を助けたのか、ぬめりの沼や、棺の街では聖女様とどんなやり取りをしたのか、聖女様はどんな顔をしているのか、どんな声なのか、好きな食べ物は何なのか、お話しするならどんな話題がいいか、捧げ物をするとしたら何がいいか、うんぬんかんぬん…。
「だって、だってですよ、イシェト様の癒身の法だって見事なものです。私なんて比べ物にならないほどの。そのイシェト様が治せない傷となれば、気の毒ですが普通はその方は助かりません。それを覆してしまうのは正に神の奇跡ですよ…!ああ、一目でいいからお目にかかりたい、私もアルビナに行ってみたい!行かせていただけるなら歩いてでもいきますよ!裸足にサンダルつっかけて行きます!そしてもしも、例えばもしも握手券の付属した聖なる円盤のような物をお売りくださるなら、この身焼き果てるまで積みたい…!ああっ…!でもそんな卑しく欲深い態度、聖女様は眉をお顰めになるでしょうか…!そもそも聖女様のお手に触れてみたいなどという願望自体が贅沢っ!傲慢っ!恥ずかしいっ、みっともないっ、修行が足りないですわっ…!うううっ…!」
ユルヴァはひとりで盛り上がり、ひとりで痺れ、そしてひとりで顔面を両手で覆って唸ってはテーブルの下で両足をバタバタさせていた。
「元々熱心な聖北の徒とは伺っていましたけど、依頼でラーデックに行った辺りからより一層その傾向が強まったようですね…」
何かちょっと変な方向に行ってる気もしますが…とイシェトがレナータに目配せすると、イシェトと違ってもうすっかりサンドイッチを食べ終えてデザートのカットりんごにありついていたレナータは、よく冷えた甘いりんごをシャクシャクいわせながら、
「いいじゃないですか、信じる者は救われる、努力は必ず報われる、ですよ」
と、あっけらかんと答えた。大して興味がなさそうだと言い換えてもよい。そして、
「まぁでも」
りんごを飲み下し、思い出したようにこう続けた。
「実際、気にはなりますものね。リリアさんのこと」
言われてイシェトは「…そうですね」と深く頷いた。あれから結構な月日が経った。彼女と、そして一番近くで彼女を守っているであろう騎士は、今なお暗い棺の中でその務めを果たしているはずだ。彼女は、全ての死者を見送るのに長ければ1年かかると言っていた。見立て通りに事が運んでいれば、そろそろ終わりが見えていてもおかしくはない。が、過酷な環境の中、二人は恙無くやっているだろうか……。
イシェトが神妙な面持ちで聖女とその騎士に思いを馳せている時、すぐ近くのカウンター席では早々と朝食を終えていたサリマンがテーブルにリューンタイムズを広げ、奥で洗い物をしている親父を相手に何やかやと閑談していた。
「いやー、やっぱり新聞はいつ読んでも面白いというか。毎日毎日、多種多様な事件が起きるものですね。何々、『深夜のキンシボリ公園で若い男性の変死体発見。死因はまさかの溺死。不可解な事態に治安隊は手掛かりを掴めず』『ロワール村で狼の群れの襲撃。神聖な森への調査団立ち入りが狼の怒りを買ったか』『取り壊し寸前の集合住宅で怪奇現象発生。住人は《幽霊にドーナツを奪われた》などと戦々恐々』…あ、これなんかも凄いですよ、『レバルイ村にて怪事件発生!空から魚が降り注ぐ!村で起きた盗難事件との関係は!?』」
大袈裟に抑揚をつけて読み上げるサリマンに対し、親父は「はっはっ」と笑って答える。
「いかにも冒険者に依頼が来そうな案件ばかりだな。当事者は災難だし気の毒な事だが、我々としちゃ食いっぱぐれる事はなさそうだ、ってもんだ」
「地味ですけどこっちも面白いですよ。『廃墟を根城にした魔術師ヨハンの裁判、遂に判決下る』。随分長引いたみたいですね。こういうの、結果ありきの魔女裁判みたいなものじゃなく、しっかり審議するもんなんですねぇ」
…ピクリ。一瞬、デザートを口に運ぶレナータの手が止まり、その視線がサリマンの背中へと移ったのを、頭上のこむすびだけが気付いた。こむすびは、レナータだけに聞こえる声で囁いた。
(顛末が気になるのか?)
2秒か、3秒か。黙考を経て、レナータはやはりこむすびだけに聞こえるように小さく口を動かした。
(…いえ。たとえどういう結論であろうと、それはもう、私の手を離れた事ですから)
親父とサリマンはそんなレナータの機微など知る由もなく、話を続ける。
「珍しい例ではあるが、そういった所謂進歩的な『裁判』を行う地域もあるにはある。まぁ、逆にその場で結論を出してしまう『即決判』とかいう制度を採っている街もあったかな。そう言えばあれは誰だったか、以前うちの冒険者でも、依頼を受けて弁護士の真似事をしていた奴が居たような…」
ほー、そうなんですねぇ…!とサリマンは興味津々な様子であった。頭は切れる方だし、陰気な顔の割にコミュニケーション能力のある男なので、もし任される事があれば、サリマンならそんな仕事も上手くやるかも知れない。チャンスが訪れる事はあるだろうか。
「進歩的な…と言えばほれ、ザンダンカルなんかは議会政治が行われているし…それから、イーリルの街では市民による選挙で市長を選ぶしな。まぁこちらの場合は手続きに魔道具が介入するそうだから厳密には話が違うんだろうが…。いずれにせよ、案外、封建主義的な政治体制の都市ばかりではないということだな」
「流石親父さん、各地の政治体制にも詳しいんですねぇ」
とサリマンが感心すると、親父は得意げに答えた。
「わはは。政治に関心を持ち、自ら行動を起こすのは成熟した大人としての務め、常識だよ。ワシは政治の話でも宗教の話でも平気でするぞ。シュウインセンもあったことだしな」
「シュウインセン…?」
聞き慣れない単語に、サリマンは首を傾げるのであった。
と、その時、バァン!と玄関の両開きの扉が力いっぱい開かれ、バタバタバタ!!っと赤髪の少年が駆け込んできた。ラーヴルであった。
「居た!サリマン!サリマン!サリマン先生!!」
「な、何ですか急に大声で!みんなこっち見てますよ、ちょっと静かにしましょう」
ラーヴルは聞く耳を持たない。
「発見発見大発見!西の森でさ!今まで見た事もない洞窟の入り口を見つけたんだ!!何かすっげぇもんが埋まってるかも知れないぞ!いやいや、それどころか奥では手負いのドラゴンが傷を癒すために潜んでるかも!!うわー!俺も生で見たいんだよなぁ火を噴くでっけぇドラゴン!格好いいんだろうなぁ!!ほら早く!早く調べに行こうよ先生!」
傍らで聞きながら、
(本当にそんなもんが居たら、お前なんか一発で焼きおにぎりになっちまうぞ…)
と、こむすびはドラゴンハイランダー・リゲルの無惨な最期を思い浮かべたが、黙っておいてやった。
ラーヴルに長く鬱陶しい前髪をグイグイ引っ張られながら、サリマンは答える。
「痛い痛い痛い!ちょっと待ってください!落ち着いて!……全く、ニチス荒野の洞窟掘り以来、あなたはずっとそんな感じですね…。分かりました、付き合いますけど、それならキーニにも声を掛けたらいいんじゃないですか?あなた達いつも一緒でしょう」
至って自然に思われたサリマンの提案であったが、ラーヴルは「あー」とつまらなそうな顔をした。
「あいつさー、ミグゥを飼い始めてからというもの、朝、全っ然起きなくなったんだよ。いくら声掛けてもずっと寝てんの」
言われてサリマンも納得した。確かにここの所、キーニは顔を合わせる度眠そうにしている。
「あとさー、あいつ変な事言うようになって。何か奇妙な夢見るようになったんだってさ。まぁ要所要所ミグゥの餌にされるから断片的にしか覚えてないらしいけど。この間言ってたのは、『でっかい岩からゴリラが現れて全滅させられた!』とか…、あ、後はさ、なんか、気付いたら古戦場?みたいな所に立ってて、そこには赤い服着た、ピンク髪の目つき悪い兄ちゃんが佇んでて…で、近くにでっかい溶鉱炉みたいなのがあって、何となく眺めてたら中から俺がニョキニョキ生えてきたんだってさ!おっかしな夢だよなー!」
「はぁ…」
ラーヴルはケラケラ笑うが、サリマンはポカンとしている。説明を聞いても意味が分からな過ぎる。ラーヴルはひとりで一頻り笑った後、話を戻した。
「どうせ昼まで起きないし、今日はキーニはいいよ。ほら、早く行かないと他の奴に先越されちまうかも知れないし」
サリマンを急かすラーヴルだったが、これに待ったをかけたのが親父であった。
「お前ら、2人だけで行く気か?ダメだ。せめて他に誰か連れていけ」
ラーヴルは若干不満げだ。
「えー、別に先生が居ればいいよー」
だが、親父はいつになく怖い顔をした。
「ダメだ。お前らの先輩にはな、2人で洞窟に乗り込もうとしてゴブリン相手に泣いて帰ったバカなんかも居る。泣いて帰れただけ良かった方だ。ましてや見た事もない洞窟なんだろう?それこそ本当に得体の知れないものが居たらどうするんだ。せめて誰か護衛を……」
と、親父はレナータ達のテーブルをちらりと見た。レナータとイシェトは顔を見合わせる。
「あ、別に構わないのですが、一応私達、『今日もまた荷物が届くから、手伝ってほしい』って娘さんに頼まれてて…」
あー、そう言えばそうか、と親父は困ったように古傷の痛む顎を撫でた。と、その時、階段がギシギシと軋む音が鳴った。親父が振り返ると、2階からのっそりと、ボリボリ頭を搔きながら如何にも眠そうな顔で下りてくる青年がいた。ヴェルナーであった。寝癖が凄い。
「おお、ヴェルナー!おはよう、丁度よかった」
渡りに船とばかりに喜ぶ親父に対し、ヴェルナーは頗る機嫌が悪そうだ。
「何も良くねぇよ。朝っぱらから大騒ぎしやがって…」
ヴェルナーは欠伸をしながらカウンターへと歩み寄ってくる。先程のラーヴルの大声で起こされてしまったクチらしい。
親父はヴェルナーに水を汲んでやるとともに、掻い摘んで事情を説明した。ヴェルナーは「ホンマかいな」という顔をしている。
「リューンの西の森に見た事ない洞窟ねぇ…?勘違いじゃねぇの?この近場にそんなもんがあったらとっくに冒険者に荒されてるか、賢者の塔連中にしゃぶり尽くされてるだろ。だとしたら調査も終わってすっかり安全だろうさ。俺が出るまでもねぇ」
ラーヴルが反論しようとしたが、それを制して親父が言った。
「いいや。あり得るんだ。お前さんはこの街での生活がまだそう長くないからピンと来んかも知れんが…昨日までなかったはずの通り、商店…さっきまでなかったはずの洞窟、遺跡…この街だけはあり得るのだ。捉えどころなく常に輪郭を変え続ける。それが、交易都市リューンなのだよ」
おいおいサラっと怖ぇ事言ってんな、とヴェルナーは唇の端を歪めたが、
「ま、そういう事ならいいよ。俺も未来ある少年少女の御守するくらいが性に合ってるかも知れねぇ。なんか独りで出歩くとロクな事起きねぇからな」
と、親父の頼みを了承した。口には出さないが、サリマンはこの話が纏まった事が嬉しかった。(うっかりおっきいヘビとかが出てきても、ヴェルナーさんがやっつけてくれるなぁ)と胸を撫で下ろすサリマン。そして、一応大人しく話を聞いていたラーヴルはというと、もう待ちきれない様子である。
「おっけ!決まりだな!じゃあ出発しよう出発!ヴェルナー早く行こう!」
急きたてるラーヴルをヴェルナーは軽くあしらう。
「うるせーなぁこちとら飯も食ってねぇってのによ。……あーもう、分かったからしょんべん、しょんべんくらい行かせろ」
そう言ってヴェルナーはわざと緩慢な動きで、尻を掻きながら厠へと消えていくのであった。
それぞれの休日であった。
整然と街路樹の立ち並ぶ三軒茶宿に面した通りは、普段よりも多くの市民で賑わっていた。特に少年少女や親子連れが、皆胸を躍らせ同じ目的地へと歩いている。彼らの足が一斉に向かう空き地には今、ド派手な赤と白の縞模様の巨大なテントが張られていた。この度、リューンの街にも巡行サーカスがやってきたのである。今はまだ開場されたばかり。ちょっとした屋台なども出ていて、東方の異教徒たちが言うところの縁日のような様相を呈していた。誰もが楽しげに語らい、子供たちは駆け回る。その群れによく目を凝らせば、そこにはアリィの姿を見つける事もできたかも知れない。…あ、これは念の為に書き添える事だが、本日公演を行ってくれるのは、ごくごく善良で、平穏で、優良な巡行サーカスである。まさかその裏の顔は後ろ暗い武器商人だったなどという事はあり得ない話だから努々誤解のなきように。
さて、肝心の宿に目を向けてみると、正面玄関脇に立派なショーケースが置かれている事に気付く。これはつい最近設置されたもので、透明なケースの中にはあげじゃがやヨシギュウ、パインのピッツァに焼きマシュマロに百花蜜ドリンク、などなど、数え上げればきりがない、種類豊富な食べ物のサンプルが飾られていた。今や三軒茶宿は単なる冒険者の宿としてのみならず、世界各地の自慢の料理が味わえる人気レストランとしての顔を持っていた。これらの食品サンプルは、以前ラーヴル達がとある依頼を遂行した際、依頼主の魔術師一派、確か創意派と名乗っていただろうか、から改めて謝礼として贈られたものである。
人気レストランとしての顔…と今書いたばかりであるが、実は本日に関しては、折角サーカス効果で人通りも多いというのになんとも痛恨の極み、三軒茶宿は臨時休業、外部の人間は入れないようになっていた。その理由はというと、先刻から次々と宿の脇に停まっては列をなす何台もの長距離馬車、そして冒険者達の手によってその荷台から宿へと運び込まれる、大小様々、数え切れない木箱や荷物袋にあった。
「おい!違ぇラング!その箱は向こうのテーブルだ!あー、ナイト!そっち積み終わったらサハリを手伝ってやってくれ!」
ホール全体に、ノリスケ自慢の大音声が響く。彼の陣頭指揮の下、主に力自慢の冒険者達が馬車と宿を往復し、延々と届き続ける貨物を屋内に運んでは床やテーブルに積み上げていた。
奥のテーブルでは、それら荷物の仕分け作業が始まっていた。とは言っても、バタバタと走り回っている荷下ろし・運搬係とは対照的に、仕分け組の雰囲気は和気藹々としたものである。
例えば奥の、あるテーブルでは、
「ほら、これなんかお似合いです」
「あ、黄色もいいかも知れませんよ」
と、レナータとイシェトが紐に通したガラスビーズをこむすびの頭(頭…?)に引っ掛けて、きゃっきゃきゃっきゃと楽しんでいた。
尤も当のこむすびは、
「やめろやめろ。そんなんしてて、うっかり中に紛れ込んだらどうするんだ。異物混入ってのは食の安全にとって致命的なんだぞ。知らねぇのか、焼きそばにゴキブリが入ってたり、ナゲットに歯が入ってたりよ」
などと不満を垂れていた。
レナータが、
「こむすびさん…まだ食べ物としての自分を諦めてなかったんですね…」
と、驚きを隠さず言うと、こむすびは
「当ったり前だ俺を何だと思ってんだ米だぞ米。非常食だ。俺は、最後の最後には食われるために居るんだよ。お前達にな」
と、きっぱり言い切るのであった。
因みにイシェトは、
(食の安全と言いますけど、既に衛生面はかなり厳しいのでは…すぐドブ攫いするし…)
と思ったが、一応気を遣って口に出さずにおいた。
レナータ達に比べて、やや入口に近いテーブルは随分と物静かであった。こちらで2人並んで作業しているのは、アンドロイド執事・リノと、死神の娘・シアだ。
「この試験管はそちらに並べておいてください。割れないように気を付けて」
「この、管の中の小さい飴玉みたいなのは…?」
「ああ、これは全て魔法生物ですよ。難しい古文書なんかも読んでくれます」
「へぇ…こんなのが…」
リノの説明を受け、シアは手に持った試験管を揺らしながら矯めつ眇めつしている。
読者諸賢におかれては、宿に積まれた大量の荷物について既にお察しの方もいるだろう。これらの中身は全て、アルクレンクとハリガラの特産品である。その送り主は、アルクレンクの次期領主、アルブレヒト家の長男ヴィートマーであった。つまりこれらは、『愚者の祝祭』の元凶である夢魔・ナムリリトを討伐し、アルクレンクの街を救った冒険者達への返礼の品々というわけだ。荷物は昨日から届き始めているのだが、その最初の便には一通の手紙が添えられていて、そこには一言、
「我らはただしく愛を返す」
と書かれていたという。
「にしてもよ、派手というか見栄っ張りというか……」
ノリスケはホールを見回した。あちこちに木箱の塔が聳え立つ。その中身は工芸品、日用品、衣料品、錬金術に関連した薬品や道具の類、その他諸々。整理し終わるのはいつになる事やら。
(そう、これは、ただの返礼品というよりも…)
ノリスケは察した。確かにあの悪夢は街に決して浅くない傷を残した。しかしあれから月日も経ち、アルクレンクの民は再び立ち直ろうとしているのだと、そうヴィートマーは主張したいのだ。
「こちらはもう大丈夫だ、何も心配するな」
そう言って天高く拳を突き上げニヤリと笑う若き次期領主の姿が、ノリスケの目に浮かぶようであった。
さて、一旦話をリノとシアに戻そう。
試験管の束を纏め終わったリノは、今度は床に置いてあった、自身の背丈の半分ほどある箱を開けて中を覗き込んだ。
「おお…これはまた立派な…」
箱の中に鎮座している謎の機巧をうっとりと撫で回すリノに、シアが声を掛ける。
「これは何なの?」
「錬金道具、ですよ。薬草や石粉を使って染料を生み出す事ができます。ある意味では、錬金と染物の都アルクレンクを象徴している道具だと言えるかも知れません」
「へぇ…こんな道具で…」
シアも遠慮がちな手つきで機巧の出っ張った部分を摘まんでみたりする。素人がちょっと触っただけでは、その仕組みは全く見当がつかない。
「アルクレンクもまた、嘗てのタブロアート同様に魔術と技術の融合を求めていた街なんです。『オカルティエンス』…と呼称したりもしますね」
先程の試験管の束も、この錬金道具も、古から続いていたその壮大な試みの残滓のほんの一滴なのであろう。リノは機巧に手を置いたまま暫し目を閉じて、遠く遠く、嘗ての、そして今のアルクレンクの街と、タブロアートの末裔達が暮らすというハリガラの村に思いを馳せた。
「私も訪れてみたいものですね…いつか、良き機会があれば」
シアはシアで、そうして心なしか嬉しそうに語るリノの話を、うんうんと真剣に聞いていた。そして気になるところがあれば、「これは何?こっちは?」と逐一質問し、リノもまたそれらに喜んで答えた。
錬金術。自分の知らない世界の事を学ばせてもらえる事に、シアは心が満たされていくのを感じていた。もしかしたらそれが、死神・イクリプスとの再会の糸口になってくれるかも知れない。どこに切っ掛けが転がっているかは分からない。ただこうして、ほんの少しでも可能性が増していくような実感こそが、彼女の生きる希望であったし、彼女がここに居る意味であった。
それ故最近の彼女は、知識を欲し、貪るように書物を読んでいる。魔術書に限らない。歴史・宗教・政治・言語・文学・芸術…ジャンルを問わず、何でもである。宿に在籍する他の主だった参謀達が、知の中毒者のような様相を呈しているのに対し、殊勝にも、シアは明確な目的を胸に抱いて勉学に励んでいた。
これは余談だが、本当にジャンルを問わず、一見目的に関係なさそうな物でも構わず手を出しているという。例えば直近で読んだ本のタイトルはというと『理詰めで泣かせる100の方法』である。面白かったらしい。尤も言うまでもなく、その内容が「父」との再会という大願成就に寄与する日が訪れる事はないであろう。
暫くして。
「ふぅ…まぁ少しは、落ち着いたか…?」
と、ノリスケがラングとともに、水でも飲もうとカウンターへ移動してくる。さっきから二人はホールで分類の終わった荷物箱、その中でも相対的に大きい物や重い物を裏の倉庫へと運搬していた。因みに倉庫で待ち構えて詰め込みの作業を行っているのは我らが宿の親父である。誤ってマンホールに落ちないようにくれぐれも気を付けてほしい。
ともあれ、戻ってきて一息ついた二人の額にはじっとりと汗が滲んでいる。
「おめぇ、こんな時くらい甲冑脱ぎゃいいじゃねぇか」
ノリスケはいかにも嫌そうな顔でラングの暑苦しい出で立ちを眺め、ラングは、
「いや、何かもう、これじゃないと落ち着かなくて…」
と愛想笑いで躱している。さぁ小休止でもと思ったのも束の間、
「ああああ重い冷たい重い冷たい重い冷たい!何なんだよこれ!!」
抱えた木箱をガチャガチャと言わせ、叫びながらエントランスに駆け込んでくる者がいた。
「おーうキーニじゃねぇか。また次の便届いたのか。……何が入ってんだそれ」
「あたしが聞きたいよ!ちょっとごめんシアどいて、これこっちのテーブルに置くよ!」
さっさと手を離したいキーニは、入り口近くのテーブルに箱をガチャン!と置き、「ちめてぇちめてぇ」と両手をさすっている。刺激のお陰かすっかり目は覚めたようだ。
ラングが興味本位で箱に触ってみる。
「うわぁ、ほんとに冷たいや。ガントレットつけてても分かりますよ!」
そう、アルクレンクからの返礼品の中には、常温の物ばかりでなく、中にはこうしてキンキンに冷やされた物もあった。何なら、先んじて昨日配送されてきた物の中にはチルド便だけでなく冷凍便まであり、その中身は大量の生鮮食品だった。
「いやしかし凄ぇな、何でもアリじゃねぇか…」
やべぇやべぇと騒ぐラングやキーニを眺め、これも錬金術の力ってやつか…とノリスケは思った。輝くビーズ亭にあった暖炉が熱を集めて増幅させるものだったように、この冷たい箱も、水だか氷だかの力を増幅させて実現しているのだろうか、とノリスケは想像する。より厳密な事を言えば、アルクレンク領の中でもタブロアートにほど近い地域の地層から「冷却液」という魔法物質が発見され、その応用に成功した事が今回のチルド便・冷凍便という驚くべき技術革新を可能にさせたのだが、その辺りの事情はノリスケには知る由もない。
「で、肝心の中身は何なんだ?」
ノリスケが封を剥がし、よいしょと箱を開ける。蓋までしっかり冷たい。
「これは…」
箱の中に、保冷剤と共にびっしりと並べられていたのは、金属の筒だった。丁度片手で持つのに丁度いいサイズで、上下も完全に閉じられているが、上部には穴を開けるためのプルタブというやつがついている。ノリスケはこれとよく似た物に、強烈に見覚えがあった。
「あれとほとんど同じだ…。プレミアム、モルツ…」
うちのリーダー(リーダーと呼びたくもないが)が、いつもどこからか持ち出してきては飲んだくれてその残骸をテーブルや自室に転がしている、あれだ。確か「缶」というやつだ。街じゃ普通には見かける事がないので、いつも一体あれは何なんだと思っていたが、そうか、あれもどこぞかの錬金術の賜物だったのか…?
ノリスケは縦横に整然と並ぶ缶のうちの1つを取り出した。中身はプレミアムモルツではないようだ。どれどれ…と側面を見ると、その缶は濃い青地に黄色い文字でド派手に染め抜かれ、『錬金レモネード Ultimate Spark!!』と書かれていた。
「うるてぃまて…何だって…?」
裏側には小さな文字で説明文も載せられている。
「えーと、『アルクレンクの錬金レモネードは伝統的に天然のソーダ水を用いていましたが、この度、錬金技術の更なる進歩により多量の炭酸ガスを人工的に溶け込ませ、新開発の容器に密封する事に成功しました。今までにない強烈な刺激は、たとえ何日徹夜で働き続けても一口飲むだけでおめめパッチリ頭スッキリ、《連勤レモネード》とも呼ばれるほどです。従来の十数倍の破壊力、異次元の《しゅわしゅわ》をご堪能ください』…」
ほえー、とノリスケは『錬金レモネード Ultimate Spark!!』の缶をチャポチャポと上下にひっくり返し、まじまじと見つめた。
「それで、この容器なら冷やして、輸送もできるって事か。ビンと違って割れる心配も無ぇし。なるほどな…」
ノリスケは唸った。これが唯心銀の呪いを乗り越えようとしつつある、アルクレンクの真の姿、その片鱗…ということか。百年停滞都市などと揶揄した者もあったようだが、もうそんな心ぶれた面影はどこにもない。
喉も渇いていたことだし、ちょっと味見でもしてみようかな。ノリスケがプルタブに指を掛けた時、
「ひぃぃ!ちめてぇちめてぇ!」
また箱を抱えたキーニが喚きながら宿に入ってきて、先程のレモネードの箱の隣に並べた。その後ろからナイトも、やはり同じ型の箱を2つ抱えてやってきた。キーニと対照的に、ナイトは無言で全く平気そうにしている。
ノリスケは「まさか」という顔をして、開けかけた缶をテーブルの端に置いた。
「おいおいちょっと待てこれ全部レモネードか?」
眉間に皺を寄せたノリスケの問いに、キーニは嫌そうな顔を隠さず答えた。
「まだ馬車ん中に、30箱くらい入ってたよ…」
…あの馬鹿…!ノリスケは勝ち誇ったヴィートマーの顔を思い浮かべ、ちょっと殴りたくなった。
「気持ちは嬉しいけどよ!新商品が出来たのも嬉しいのかも知れないけどよ!!…限度ってもんがあるだろうが…!!」
ナイトに続いてラングやサハリも箱を抱えてやってきて、次々とテーブルに並べていく。ノリスケは溜息交じりに言った。
「どうすんだよこれ。折角冷えてんのになぁ…。ぶち込んどこうにも、氷室はよぉ……」
ちらりとナイトを見やると、ナイトはそれに気付いて兜の頭を左右に振った。
「無理だ。昨日届いたモノを氷室に詰めたのは私だが、新たに物を入れる余裕は一切ない。断言できる」
そう、先程少しだけ触れたが、荷物は昨日も届いていた。特に昨日はチルド便や冷凍便で大量の生鮮食品が届いており、それらによって既に氷室はパンパンに埋まっているのだ。因みに具体的に何が届いたかというと、まずは温室で育った名産のレモン、それから、アルクレンクの寒冷な気候で甘味が磨かれたりんご、そして、冷たい海に揉まれて脂を蓄えた上等なサバであった。どれも味自慢の、アルクレンクでは馴染みの食材だという。
「だから味自慢なのはいいけどよ、どうやって減らしてくんだよアレもよ…。昨日ちょっとは晩飯にも使ったけど…」
ノリスケがぼやくように言うと、再び小物の整理に取り掛かっていたシアがその言葉に反応して顔を上げた。
「あっ、あのっ」
「?」
どうした?とノリスケが振り向く。
「昨日の晩御飯、とても美味しかったです。りんごづくり…?でしたっけ」
あーはいはい!ノリスケはニカッと笑った。
「サバのりんご造りな!あれ良いだろー!サバを、骨が柔らかくなるまでりんご果汁で煮込んで、ミソっていう…まぁあれだ、サバとめちゃくちゃ相性の良い東方秘伝の調味料があんだけどよ。それで味付けたんだ。りんごの効果で魚の臭みもなくなって、フルーティに仕上がる。しかもりんごってよ、凄ぇ果物なんだぜ?『りんごが赤くなると医者が青くなる』なんつってよ、物によっちゃ毒や麻痺まで完全に治癒しちまう健康食品だ」
シアは目をキラキラと輝かせている。
「ほんとに…柔らかくて、ほんのり甘くて脂も乗ってて…とっても感動しました…。私、この世で牛のお肉が一番美味しいと思ってたけど、お魚もいいなって…」
昨日の夕食を思い出してシアがうっとりとしていると、
「そういやあたしも言いたかったんだよ!」
と横からキーニが乗っかってきた。
「昨日の晩飯さ、あたしはあれがめっちゃ美味かった!鹿肉サンド!」
「ああ!ワインで煮込んだ鹿肉のサンドな!鹿肉は煮込むと美味ぇんだ。焼くのもいいが、火加減が結構難しくてなぁ。生焼きは論外だし、といって焼き過ぎるとレバー臭が強まっちまう」
ノリスケを囲んで、シアやキーニがわいわいやっていると、レモネードシャトルランをしていたラングがこれに気付いて「えー!?」と不満げな声を上げた。
「シアもキーニも、ノリスケさんに飯作ってもらったの!?めっちゃいいじゃん!僕なんて昨日帰りが遅くなったから、親父さんも居なくて……何かないかなと思って氷室開いたら謎にサバとりんごばっかり入ってて…。途方に暮れてたら、後ろから『ん?お腹減ったの?』って声掛けられて…」
「誰に?」
シアの当然の疑問に、ラングは努めて声を抑えて答える。
「エティエンヌさん」
「「ああ…」」
「「あー…」」
異口同音。その場に居た全員が同じ反応をする。誰もまともに言葉にはなっていない。
「なんか、『じゃあ、ささっと私が作ってあげるわよ』とか言って、小ぶりなサバとりんご取り出して厨房に立って…。包丁使うのかと思ったら何か懐からゴツゴツした…ちゃんと洗ってんのかも分からない割鏡?とかいう禍々しい短剣抜いて、いきなりリンゴの中心だけくり抜いて、そこに無理やりサバの頭ねじこんで…」
一同、顔を見合わせザワついている。
「『はい♪』って僕の目の前に置いたんです…。『本場のアルクレンクには確かこんな感じの料理があった』とか言ってて…。本当ですか?それ…。だとしたらアルクレンクの人達、頭おかしいですよ…悪魔に脳味噌ヤられてんじゃないですか…?サバ、ハラワタも抜いてなかったし…けんた食堂もビックリですよ…」
ノリスケが、
「え、そんでお前それ食ったの…?」
と恐る恐る尋ねると、ラングは涙目で喚いた。
「食べましたよ!!エティエンヌさんが作ってくれたんですよ!?食べるしかないじゃないですか!!ああ、もう…サバの生臭さと、りんごのシャクシャク感が猛烈な不協和音のハーモニーを叩き込んできて…冗談抜きに、何か朦朧とするし、前後不覚になるし、死ぬかと思いましたよ…これが僕の、最後の晩餐かな、って…」
お気の毒に…。お通夜のような空気が流れる。
「ま、まぁでもよ、どうにか生還したんだし、よかったじゃねぇか。ほら、じゃあ今晩は俺が作ってやるよ、飯」
ノリスケが慰めるも、ラングの目に生気は戻らない。
「あ、いや、それが、その…失礼があってはいけないと思って…死ぬ思いで完食したら、なんか、『よかったー!』ってめちゃくちゃ喜ばれちゃって…すごい可愛かった…。あ、いや、まぁそれはいいんですけど、なんか、『いい事思いついた!明日の夜は時間あるから、アップルパイも作ってあげるわね!スターゲイジーアップルパイ!』って言われて…。何ですかスターゲイジーアップルパイって…聞いた事ないんですけど…。ていうか『も』って何すか『も』って。生のさばりんご、また出す気なんすか…」
「ああ…」
改めてご愁傷様である。みな気の毒そうに、肩を落とすラングを見つめた。しかし誰ひとり「じゃあ半分付き合うよ」と声を掛ける者はいないのであった。
到着する荷馬車の勢いも漸く落ち着いた。運搬を手伝っていた名も知らぬ若い冒険者達も、約半数はそれぞれテーブルに分かれて仕分け作業に入り、もう半分は手が空いて街へと散っていった。まだ開演時刻までは余裕があるので、サーカスを見に行った者もいるのであろう。
すると、そこへのっそりと現れた2人の冒険者が居た。大剣を背負った中年の大男と、胡散臭い書物を脇に抱えた陰気な男。マントスとジロウであった。ノリスケは2人を視認するや舌打ちをする。
「てめぇら今頃帰ってきやがって!手伝えっつったろうが!」
マントスは意に介さず笑っている。
「はっはっは。すまんすまん。いや、最初は手伝っていたんだが、教会で人と会う約束があったからな。途中で少しだけ抜けるつもりが、随分長引いてしまった」
「あんだよ。じゃあジロウも一緒か?」
ジロウはノリスケに目も合わせず答える。
「俺は関係ない。賢者の塔での日雇い帰りに、教会から出てきたマントスと偶然会っただけだ」
「賢者の塔で日雇いだぁ?なーんでそんな事やってんだよ」
訝しむノリスケに、ジロウはさも面倒臭げに口を動かす。
「仕方がないだろう、本業が開店休業なんだから。今の俺は無職みたいなもんだ。本でも読んでいようにも、目ぼしいグリモワールにしろ古文書にしろ希少価値が高い物は値も張るしな…。というかお前だってツケの代わりに、食堂で雇われてるようなもんだろう」
「まぁそりゃそうだけどよ。…ていうか賢者の塔で日雇いって何だ?依頼主はビローヌとかか?治験はやめとけよ~、魔法の矢一本撃てなくなっちまうぜ?」
ケケケと笑うノリスケを横目に、ジロウは抱えていた古文書をテーブルに置き、疲れた様子で椅子に座った。
「魔道具のセットアップとかメンテナンスとか、それに伴うトラブルシューティングとか。そういうのだよ、魔術土方ってやつだ。治験なんか二度とやるか、あいつじゃあるまいし。…あー、あと、一度やってみたがあれもダメだな。市街のゴミ拾い。肉体労働はやっぱりダメだ。吐くかと思った」
ジロウが喋ってる間に、ノリスケは手ごろな木箱を持ってきてジロウの目の前にゴトリと置いた。
「そうかい。ほんじゃま、こっから先は手伝えるよな?ほれ、中身確認して仕分けして、倉庫なり2階なりに持ってくんだ」
が、ジロウは書物に手を伸ばし、すげない態度で答える。
「いや、折角日当で目当ての古文書を買えたんだ。こいつを読むよ」
「んなもん夜でいいだろうが夜で」
はぁぁ…とジロウは長い溜息を吐く。
「お前が五月蠅いんだよ、夜は。夕食が片付いたら深夜までリュート弾きやがって。パーティションがあっても何の意味もない。あとお前、俺が居ない時勝手にチェロも触ってるだろ」
あれ?バレてたの?とノリスケは惚けた顔をして言う。
「それがよ、ロビンがさぁ、ほら、あいつ歌上手いだろ?ちょっとやらせてみりゃ口笛もめちゃくちゃ上手ぇし楽器も上手ぇのよ!いやまぁ、教えるのは苦手っぽいから見様見真似だけど、俺もう、刺激受けちゃってさ~」
それは知らんけど、とジロウは何となく、自分の前に差し出された箱に目をやった。どうやら中身はガラス工芸品のようだ。
手持ち無沙汰に蓋を開けてみると、そこに入っていたのは天使の像だった。胴体はブロンズ製で、翼だけが淡い琥珀のガラスで出来ている。翼の部分は余程割れ易いのか、周囲には念入りに緩衝材が詰められていた。
(なんか、見た事がある気がするな…)
とジロウは思った。世界的によく用いられるデザインなのかも知れない。
「あ、ていうかよ」
ノリスケが思い出したようにジロウに話し掛ける。
「それで日雇いまでして、何の本買ってきたんだ」
今日初めて、ノリスケを相手にするジロウの声のトーンが少しだけ上がった。ジロウはテーブルの古文書に手を伸ばす。古代文明のタウンページくらいのサイズだ。
「ああ、こいつは面白いぞ。魔剣の史料だ」
「魔剣?」
「そう、魔剣・フラガラッハ」
「あー、バカの一つ覚えみたいに、何たらの絆!とか言って振り回してるやつか。あいつが」
「そうだ。あれな、今までは神話に出てくる神の剣をルーツにすると思われていたんだが、異説が見つかった。遠い遠い昔、東の果ての島国に同名の剣が実在したんだ。それは鬼に呪われた一家に代々伝わる剣で、一族はその剣を振るい、遂には永きに渡る復讐を果たしたそうだ。とすると、この剣の名が持つ『報復する者』という意味にも合致する」
突然ベラベラと舌の回るようになったジロウに対し、ノリスケは「はぁ…」と気のない返事をする。だとして、一体それのどこが面白いというのだ。
「それがな、その一族の当主が代々名乗った名というのが…『レム=ツボイ』」
「レム?」
「ああ、ちょっと面白くなってきただろう?」
ノリスケは眉に唾を付けて言う。
「じゃあ何だ?あの剣は巡り巡って、あいつの手元に渡るように運命が仕組まれてたんだ!みたいな話か?ファンタジーじゃねーんだからよ。単なる偶然だろ」
夢の無いノリスケの返答に、やれやれとジロウは吐き捨てる。
「こういう超自然的な話に面白さや可能性を感じられないから、お前はいつまでも脳筋なんだよ」
「ああん!?てめぇ言わせておけば…!!」
こうして今日も楽し気なじゃれ合い、もとい言い争いが始まった。ホールで作業している若手の冒険者達も、2人を一瞥してはすぐにそれぞれの作業に戻った。彼ら後輩達も、以前は似たような事が起きるとオロオロと成り行きを見守っていたものが、もうすっかり「ほっといても大丈夫なやつだ」と判断されるに至ったようだ。そしてそれは、きっと正しい。
ジロウとノリスケの2人がいちゃついている時、マントスの大きな身体はホール全体を殊更ゆっくりと巡回していた。
「いやぁしかし、よくもこれほど送ってきたものだな」
マントスは感嘆の声を上げる。分類・整理を終えて倉庫に入れられたり、或いは階上に運ばれたりした物もあるが、まだまだホールのあちこちには荷物箱の塔が立ち並んでいた。宛ら柱のようだと言ってもよい。
(あれは何処だったか、こんな風に視界を妨げられる、ロクでもない劇場なんかもあったよなぁ…)
マントスはしみじみと、昔の事を思い出していた。
ふと空いたテーブルに目を向けると、先程までレナータ達が整理していた色取り取りのインクが並べられていた。
「ほう…これは見事な…」
とマントスはそれらを手に取る。深い水底を思わせる青インクに、金のラメが入った赤インク。アルクレンクの染料からなるインクはどれも美しかった。どれ、ひとつふたつ拝借して、久し振りにルトラやマルタに手紙でも書こうかと思うマントスであった。返事は来ないけど。
他に何か気を引くものはあるかな…と見回したところで、マントスは突如、
「ぬおお!!」
と大声を上げた。
すぐ近くで作業していたサハリとキーニがどうしたどうしたと顔を上げる。マントスはひとつの木箱に大きな手を突っ込んで、美しい琥珀色の液体で満たされたガラス瓶を引っ張り出した。
「まさか…これ、『琥珀の君主』じゃないか…!こんな物まで贈ってくれたのか、ヴィートマーよ…!!」
マントスは瓶を北の方角に高く捧げて感極まっている。サハリとキーニが面白がって近付いてくる。サハリがマントスに問うた。
「その酒、そんなに美味いのか?」
マントスは深く頷く。
「そりゃあもう。例えば『かもめ酒』、『砂漠蛇の酒』、銘酒『鬼斬』……他にも数え切れないほど各地の酒を飲んできたが…中でもトップクラスの酒だと言っていい。タルターシュの山麓に磨かれた天然水で作られた高級ウイスキーでな…ゴルトト森の木の香りが上品に鼻へ抜けていくのだ…」
「ああ!タルタルシチュー…じゃない、タルターシュ!懐かしいな!なぁサハリ!」
キーニは知っている街の名が出てきた事に喜んで、サハリに同意を求めた。しかし、サハリは顎に手を当て、眉間に皺を寄せている。
「タルターシュ…?懐かしい…?」
「え?行ったじゃん一緒に!え?あれ?覚えてないの!?」
「いや、タルターシュは分かるぞ…聞いた事はある…。……え、俺、行ったっけ」
キーニはがっかり肩を落とす。えー、何で覚えてないんだよ。脳味噌腐ってんじゃ……あっ。
「……あー、いや、いいんだ。あたしの勘違いだったかもしんない。気にしないで。あはっ、あははははは」
軽く引きつった顔で笑うキーニを見て、変な奴だな、と首を傾げるサハリであった。
そうこうしていると、玄関付近が騒がしくなった。どうやらまた荷馬車が到着したらしい。
「おいおい、流石にもう終わったと思ったのに、まだ残ってたのか。仕方ない、ちょっと行ってくるよ」
そう言ってサハリが外へ出て行く。が、すぐに彼の張り上げる声だけが宿の中に飛び込んできた。
「おーい!ちょっと誰か来てくれ!デカ過ぎて、一人じゃ無理だ!!」
デカ過ぎて…?顔を見合わせる一同の中で、パッと駆け出したのは舎弟ムーブが板についたラングであった。
「あ、じゃ僕、行きます!」
程なくして、二人はゆっくり、ゆっくりとした足取りで馬車から宿へ戻ってきた。両開きの玄関扉をギリギリ通せるかどうか、キングサイズのベットを2つ3つ重ねたような巨大な木箱を前と後ろからそれぞれ抱えている。
「あ、これちょっと左がギリっすね!ギリ!」
「む、そうか、じゃあちょっとこっちに…」
「あー!そっちは右ですよ右!僕から見て左です!」
「分かるように言えよ!」
ホールに居る全員の視線が二人に集中する。皆、(何なんだあれは…)と騒然としている。玄関を通したところでスペースができたので、キーニとナイトもすかさず応援に加わり、空いていた左右の面を下から抱えた。リノやシアら、入口に近いテーブルに居た者も立ち上がり、可能な限り荷物やテーブルを移動させ、この特大の箱を置ける場所を作るべく協力した。
「こっちこっち…ああ、ダメだ、荷物に引っかかる!一旦そっちからだ!」
動きを主導していたサハリが急に立ち止まって、反対側のラングの方へと転進を試みる。すると、
「ちょっちょっちょっ 急に押さないでくださいよ!」
木箱の側面でグイと押される形でラングがよろけ、甲冑の裾がテーブルの端に置かれたままになっていたレモネードの缶にぶつかってしまった。
『カーンッ!、カンッカンッカンッ』
床に落下した缶はコロコロと転がり、ノリスケの足許で止まった。
「あー、そういや結局これ仕舞ってなかったんだったな…」
ノリスケは缶を拾って、元のテーブルに戻した。彼の名誉のために申し上げるが、ノリスケはリーダーがプレモルを好んでいる事は知っていても、自ら口にした事はない。そして彼自身、缶というものに馴染みがない。ノリスケは今、事態の不穏さに気付いていない。
さて、どうにかホールの脇の方に置き場所も確保し、「取り扱い注意」「天地無用」と貼り紙のされた巨大な箱を、サハリたちは慎重に慎重に、気を遣いながら床に下ろした。ラングは「ふぅぅぅ」っと息を吐く。
「いやー大変でした、でか過ぎますよ。宿の前も狭いですし…」
サハリが同調する。
「危うく、食品サンプルのケースも割りそうになるしな」
「ていうか、目の前の街路樹が邪魔ですよ。象も殺すような除草剤でもあれば撒いてやろうかと思ったくらいだ。ほら、その方が宿の看板だって見えやすくなりますよ」
ラングの軽口に、ノリスケが「何言ってんだおめぇ」と口を挟む。
「その手の怪しい薬剤、賢者の塔の連中なら持っててもおかしくねぇけどよ、街が管理してるものにそんなもん撒いてみろ。バッシングどころの騒ぎじゃねぇぞ」
いやいや、とラングは笑う。
「冗談ですよぉ、まさかそんな無茶な真似、実行する人居るわけないじゃないですか。……あっ!てかそんな事より、早く開けましょうよこれ!何が入ってんですか、めちゃくちゃ重かったんですけど!」
ラングの言う事は尤もである。作業中の他の者達も皆チラチラと、不自然に大き過ぎる木箱を気にしている。何事もなかったように古文書に集中し、頁を捲っているのはジロウくらいだ。ノリスケはラングを伴い、窓際に鎮座する物々しい箱に近付きしゃがみ込んだ。封を剥がし、二人掛かりで両側から蓋を開けると……。
彼らの目に入ったのは、高貴な輝きを放つ琥珀色の大きなランプ。それが十数個、円環状にズラリと並んでいる。それらのランプはひとつひとつ、まばゆいガラスや金属に飾り付けられ、中心の軸のところでひと房に纏まり大輪の花を形作っていた。少し植物に詳しい者であれば、「頭状花序」と表現するかも知れない。
「これは…シャンデリア…?」
サハリやキーニも覗き込み、その絢爛さに感嘆の声を上げている。
「おいおい、すげーな、こんなもんまで贈ってくれたのかよ、いくらアルブレヒト家が太っ腹だって言ってもよ、これって確か…」
独り言のように唸るノリスケの後ろから、マントスがのっそり近寄り声を掛けた。
「ああ、いや、それは謝礼の品ではないと思うぞ」
「は?どういう事だ?」
マントスは重々しく答える。
「…どういう事って…買ったんだろう」
「買ったぁ!?誰が!」
「誰がって…」
目が泳ぐマントスに、ノリスケはハッとする。
「…まさか…まさか…」
愕然とし、わなわな震えるノリスケに対し、マントスは気まずそうに視線を落として告げた。
「…れむさんだ」
「やぁっぱり…!!しかもよ、こんなもんポケットマネーで買えるわけがねぇ…だってこれって確か店で買やぁ…」
「…5000sp」
カッチーン!ノリスケの頭の血管は焼き切れた。
「まぁぁったあいつ軍資金から5000も抜きやがったのか!!何で!?要りもしないくせに!?」
「いや…なんか…『めでたいからいいんだ』と…」
「意味がわかんねぇ!!で、デカ過ぎて持って帰れねぇから配送させたってことか!どうすんだよ5000なんて…今日日そんな額を補填できる依頼、そうそう転がってねぇぞ…」
と、そこでノリスケは更にひとつの懸案事項に思い至った。
「エティエンヌは、エティエンヌはこの事知ってんのか?」
「どうだか…私も昨夜、部屋で一緒に飲んでいた流れでたまたまポロリと聞いただけだから…。まぁ、仮に今知らなかったとしても、こんな無茶をすればバレるのは時間の問題だ」
マントスの言う通りである。こっそりチョロまかせるような額でもないし品でもない。
「毎度毎度、何考えてやがんだ……ていうか!そう言やあいつ、どこ行きやがったんだ!手伝えって言ったのに!どいつもこいつも…!」
「ああ、それが…」
マントスは隅にある、いつも軍団員が食事に使っているテーブルに置かれた、1つだけ開封された箱に視線を向けて言った。
「荷物が届き始めた頃にはまだ宿に居たんだが…あれを開けてからな…」
「ああん?」とノリスケは訝しがりながら、マントスの指すテーブルに近寄り箱を覗き込んだ。
「これは…ガラスのコップ?」
箱の中に並べられていたのは、琥珀色の淡い光沢を放つ、タンブラーグラスであった。御多分に漏れず、輸送中に割れないようグラスの間は緩衝材が敷き詰められている。
「それを見た途端にな、グラスを1個取り出して、フラフラと出て行ってしまったのだ」
「はぁ?」
「なんか、こう、『ねじ込めば…また会えるかも知れない…』『灼熱の時間…』『幾度となく繰り返された…惜別の果て…』などと呟きながら…」
ノリスケはますます怪訝な表情をする。
「なんだ、ねじ込むって」
「ノリスケ、知らんのか、大陸各地で大流行し一世を風靡した『ピンポンチャレンジ』を」
「だから何だよそりゃ」
若いのにトレンドに疎い奴だ、とマントスは箱からタンブラーグラスを1つ取り出す。
「こういうテーブル…公式に使われるのはもう少し細長いやつだな、その端に、これと同じようなサイズのタンブラーを置いてな。逆サイドから、ピンポン球と呼ばれる…そうだな、色合いは王国の種のような…大きさはあれより一回り小さいか、とにかく球をこう、跳ねさせて投げ入れるんだ」
「はぁ…」
「何を隠そう発祥は劇団カンタペルメだぞ。これに挑む客たちが大挙して訪れ、公演前の劇場は連日長蛇の列だったという。これを羨んだ劇団ボヌッチも似たような事を始めて、そこから一気に人気に火が点いていったんだ」
「いや、それは分かったけどよ、その球投げて、コップに入ったからどうだってんだよ」
ノリスケの至極当然の問いに、マントスはニヤリと笑って得意げに答えた。
「推しとチェキが撮れる」
「チェキぃ?」
聞いた事もない単語にノリスケが素っ頓狂な声を上げる。
「『写真』というやつだ。ほれ、タイム・マシンで過去から来た男が持っていた機械、覚えてないか」
「覚えてねぇよ。いつの話だよそれ。影が薄いんだよ」
「いやまぁ、かくいう私も忘れていたんだがな、その男が持ってきてたんだ。ガラスに映った像を保存する機械をな。で、その古代文明の遺物、どこかから発掘して復活させた者が居たらしく……推しメンと2ショットを撮影するために使われるようになったというわけだ!」
両手を広げ目を輝かせて演説を打つマントスとは裏腹に、ノリスケの反応は芳しくなかった。
「そんなレアな技術をそんなどうでもいい事に……」
どうせそのチャレンジとやらも有料であろう。どちらかというとノリスケは、そんなぼったくりに踊らされるくらいなら、裏活してしまえばいいではないかと、少なくともそう思ってきたタイプだ。
「でもよ」
ノリスケはおかしな事に気付いた。
「カンタペルメが公演やってる劇場って、確か建物の老朽化とかで改修工事してるんじゃなかったか?じゃあ出掛けたところで、そもそも劇場が無ぇじゃねぇか」
ノリスケの言う通りであった。現在ミューゼルの劇場は閉じられ、劇団は「工事中出張公演」と題してあちこちの都市を回っている。ここ数日は芸術都市ラクダナに逗留し、都立劇場で公演を行っているという。最終的には南の島で千秋楽公演を執り行う予定だそうだ。これは余談だが、改修工事が終われば20期生もお披露目になると言うし、経営が傾きかけていたあの頃を思えば劇団も立派に蘇ったものである。
ノリスケの指摘に対し、マントスも「確かにそれはそうなのだが…」と神妙な面持ちで頷いた。すると、いつから話を聞いていたのか、ジロウがすぐ側にいて、話に加わってきた。
「日雇いに行く時すれ違ったぞ。貸し会議室がどーのと言っていたから、どこかに部屋を借りて、練習でもしに行ったんじゃないのか」
「練習?劇場がないのに?」
ジロウは、馬鹿のやる事は理解ができない、と侮蔑のニュアンスを隠さず続ける。
「ああ、そうだ。そもそもあいつの追いかけていた団員は全て、ある者は引退するとか、またある者は声優になるとかと言って劇団を去った筈だしな。最早劇場も無けりゃ目当ても居ない。というか、大前提として本人は『練習』とか言っちゃいるが、あんなもんは運ゲーでしかないから、自己満足以上の意味はない」
「目的地が存在しないのに、ただただ当時の記憶に囚われ無意味な行動を繰り返して彷徨っているってことか…ピンポン球のファンタズマじゃないか…」
ノリスケはあの男のことが哀れに思えてきた。シャンデリアをどうやったのかは知らないが、ラブリューンの一件以降、奴は基本的に軍団の金に触る事を許されなかったから、飲む金も遊ぶ金も自分の財布から出していた筈だ。まともに依頼も受けずに飲んだくれ、女だけは必死に追いかける日々。その生活は日に日に困窮していき、遂には複数の怪しげな組織から金を借り、その取り立てに追われているという。しかも一向に金を返さないものだから、最近では伝説のマフィア『ドージマのドラゴン』にまで目をつけられ、そろそろアレトゥーザの海に沈められるのではないかという噂さえある。
「唯一の生き甲斐、心の拠り所だった劇団員もいなくなり、夢も希望も失って手元に残ったのはただ莫大な借金だけ、か」
ギリギリ命を繋ぐため、どこぞかで深夜の日銭稼ぎなんかはやっているらしく、時々食堂で擦れ違う事はある。が、彼の目はいつも虚ろで、死んではいないが生きているとも言い難いような有様であった。
「国家の英雄サマだった筈なのによ。見る影もねぇ」
遂に頭がおかしくなって自棄になり、こんな事をしてしまったのだろうか。ノリスケは沈痛な面持ちで、再び巨大なシャンデリアの箱を見やった。
一方、ノリスケと違ってほぼ毎日れむさんと顔を合わせ、ちょくちょく酒を飲み交わしているマントスは、ノリスケほど悲観はしていない様子だった。まぁ何とかなるだろうと思っているし、本当に何ともならなければ助けてやればいいと思っている。それ故、ノリスケ同様に改めてシャンデリアを覗き込んだマントスであったが、そこで抱いた感想はノリスケのものとは全く異なった。マントスの脳裏に去来したのは、強烈な違和感。
「……話は変わるが、なぁノリスケよ。このシャンデリアなんだが…」
「あん?」
「我々が見た時よりも、なんか、デカくないか」
「…マジで?」
マントスに言われ、ノリスケは大部分の包装紙や緩衝材を荒々しく剥ぎ取った。なるほど、店に飾られていたあの時と、梱包されている今では感じ方が異なるので気付かなかったが、言われてみると…
「…ひと回り、いや、ふた回りでけぇ気がする」
だよな、とマントスは箱の前に屈み込んだ。大きいだけじゃない、冷静に観察してみれば、全体を構成しているランプの数自体、店にあった物よりも明らかに多い。ということは、これはアルクレンクで自分達が見た物とは別のシャンデリアだ。マントスはその煌びやかな装飾をまじまじと見つめた。如何せん月日が経ってしまっているし、マントスはこうした工芸品の専門家ではない。鑑定スキルを持っているわけでもない。が、それでも感じられる事があった。ひとつひとつのガラス細工の精巧さ、ランプの放つ琥珀の光沢の上品さ、そして酸化腐食彫りの紋様の美しさ。どれを取っても、あの日見たそれよりも一層見事な仕上がりを見せていた。
「なるほどな…」
ジロウもまた、マントスの隣に屈み、包装紙を捲ってシャンデリアの装飾を細部まで検分するように見つめた。ジロウはアルクレンクの土産物店で売られていた実物を知らない。が、それでも今目の前に堂々と鎮座するシャンデリアの威容からは、確かに脈動のように伝わってくるものがあり、ジロウはそれを受け取った。そう、ヴィートマーのように高らかに誇示はせずとも、リュシーをはじめ、ハリガラの人々もまた寡黙に、粛々と、地に足をつけ再び力強く歩みを進めようとしているのである。
「じゃ、俺は部屋に戻るよ」
そう言って、頑として作業に手を貸したくないジロウが階上へと去ったのと丁度入れ替わりくらいで、カランカラン、と玄関のドアベルが鳴った。
「ただいまー」
心なしか、宿の空気がぱぁっと明るくなる。艶やかな後ろ髪を揺らして颯爽と入ってきたのはエティエンヌであった。
エティエンヌの声が聞こえ、彼女がホール内に足を踏み入れるが早いか、ノリスケは俊敏な動きでシャンデリアの詰められた巨大な箱の蓋をバタリと閉め、わざとらしくその縁に尻を凭れさせた。
「おーうエティエンヌ、なんだなんだお前もほっつき歩いてよぉ」
何食わぬ顔!何食わぬ顔をするんだ!と努めるノリスケ。一瞬だけ足を止め、彼が不自然に体重を掛けている巨大な箱を一瞥し、しかしエティエンヌはそれに関して何も言及せずにスタスタとホールの中央へと歩みを進めた。
「私は忙しいのよ色々と。あんた達と違って外で働いてるんだから」
「ははは…いやいや、全く姉さんの仰る通り」
ノリスケは切って貼りつけたような笑顔で応対する。内心、なんで俺がこんなに気を遣ってるんだとも思う。
エティエンヌはホールのあちこちに積まれた荷物箱をひょいひょいと避けながら言う。
「それにしても、思った以上の量ねー。整理するにしても、仕舞い切れるのかしら。上に持ってくにしたって、いつか床が抜けるんじゃない?」
エティエンヌが気にするのも無理はなかった。2階には、アルクレンクから帰還する際にサイヤ人(※古文書に載る伝説の戦闘民族の名である)の治療ポッドのような物まで搬入されたし、それをさて置いても、どの部屋も冒険者達の戦利品・土産物で溢れ返っていて、そのどれもが埃を被っていた。
ちょっと大掛かりなお片付けタイムが必要そうねー、と腕を組むエティエンヌに近付き、マントスが笑い掛ける。琥珀の君主を見つけてからというもの、ずっと機嫌が良さそうだ。
「まぁまぁ。心配は尤もだが、今は良いではないか。どれもこれもアルクレンクの名産品ばかりだぞ。エティエンヌも、良さそうな物があれば貰うといい」
「そうねー、後でゆっくり拝見するわ」
エティエンヌは方々に積まれた箱を流し目で見ながら答える。
と、ここで「そう言えば」とノリスケが懐から2枚の紙切れを取り出してエティエンヌに声を掛けた。
「昨日娘さんがよ、これ、『いつも食堂手伝ってくれるから』ってくれたんだ、たまには気が利く事もするもんだな」
ノリスケが右手でひらひらとさせているのは、今日の巡行サーカスのチケットであった。「S席」と書かれている。
「まだ開演には間に合うからよ、一緒に行かねぇか」
ノリスケの申し出に、エティエンヌは、「うーん?」とほんの少しだけ視線を斜め上にやって考えた後、
「私はやめとくわ。ちょっと寄っただけでまたすぐ出るし。ごめんね」
とやんわり断った。
「なんだよ連れねーなぁ、じゃあ適当に若い子でも誘って……」
とノリスケがホールを見渡すと、エティエンヌがピシャリと言った。
「やめときなさいよ、あんたに誘われたらみんな断りづらいでしょ。マントスと行けばいいじゃないマントスと」
ノリスケは先程の死んだ目をしたラングを思い浮かべて(ど、どの口が…)と思ったがそこには触れず、
「なーにが楽しくておっさんと雁首並べてサーカスなんか見なきゃいけねーんだよ!」
と、声を張り上げた。が、急に名前を挙げられたマントスの方は満更でもなさそうである。
「む?なんだ、いいではないかサーカス。私は見てみたいぞ」
「えええ……」
渋い顔をするノリスケに、マントスは畳み掛ける。
「ああ、そう言えばさっきカンタペルメの劇場が改装中と言ったが、その代わりに今、リューンで『劇団カンタペルメ大衣装展』をやってるんだぞ。帰りにそれも見に行けばいいじゃないか」
え、そうなの?ぴくっとノリスケの食指が反応する。
「おう、昔の演目……それこそシンディーリアの主役の衣装だけでなく、シンディの姉や友人の当時の衣装も全て展示されていると聞いたぞ」
「うっ……それはちょっと…行きたい…」
「決まりだな」
マントスは満ち足りた様子でゴツゴツとした手を伸ばし、ノリスケの手からチケットを1枚、ピッと抜き取るのであった。
「それじゃあまたちょっと出てくるから。夕飯までには帰ってくるわ」
そう言って玄関に向かい掛けたエティエンヌであったが、テーブルの端に置かれた缶が目に入って足を止めた。
エティエンヌはそれを手に取り、暫し見つめる。そして、
「ちょっとこれ、貰ってっていい?」
と、ノリスケ達に声を掛けた。
ノリスケは大歓迎と言った口調で、
「おう!マジで腐るほどあるからいくらでも持ってけ!…あ、箱ん中にあるやつのが冷えてるかもしんねーぞ!」
「充分冷たいからこれでいいわー」
と、返事を言い終わる頃にはエティエンヌは玄関を出ており、その扉が閉まるとともにエントランスには、仄かに甘い色香が漂うのであった。
それぞれの休日であった。
川の畔は穏やかな陽気に恵まれ風も清かに、普段通り人気もなく静かであったが、今日ばかりは時折、遠く空き地の方から「わっ…!」という大きな歓声が聞こえてきた。綱渡りか空中ブランコか。サーカスの演者が大技を決めたのだろう。
土手を下り、宿から離れるように川岸を少し歩けば、川の幅が広がる辺りに、座るのに程よい大きさの平べったい石がある。特別、する事があるでもない。街の人間と関わっては不快だ。宿の人間はもっと不快だ。今日もまた、消去法がタエの手を引き彼女をここへと連れてきた。タエはいつも通りその石に腰掛けて、せせらぎの音に耳を傾けるでもなく傾けていようと思っていた。そうしていればいずれ日も暮れていく。
タエが異変に気付いたのは、目当ての石を視界に捉えた時である。思えば、ここで踵を返してもよかった。が、「それ」が目に飛び込んできた瞬間の突発的な苛立ちがタエの歩みを前へと進めてしまった。
タエがいつも使っている平石に、先に座っている男がいた。聖北の祭服を纏い、腰に金香炉を吊るした恰幅の良い男。神の恵みである陽光を浴びて、気持ち良さそうに軽く俯き目を閉じている。いや、違う。タエはその男のすぐ近くまで辿り着いて気付いた。ぐうぐうと寝息を立てている。
「居眠り輔祭…」
タエが吐き捨てるような口調で呟くと、寝ていた筈の男はすぐに反応して、ゆったりとした動きでタエへと振り向き、にっこり微笑んだ。
「食えない男だ」タエは思った。この男、本当はもっと早くから私の接近に気付いていた。
不審、そして不信の目を向けるタエに構わず、男はまた気持ち良さそうに「うーん」と伸びをする。男の名はラルヴァン・ダアド。世界最大の宗教組織・聖北教会に所属する、名うての異端審問官である。
「やぁやぁ、やっぱり来た。本当に毎日のようにここに居るんだね。ルミスの言ってた通りだ」
今にも人を殺しそうなタエの眼光とは裏腹に、ラルヴァンは糸のような目をニコニコとさせている。
「待ち伏せ?流石聖北の異端審問官さんは、趣味が悪いわね」
タエはラルヴァンを見下ろすようにして言う。
「わざわざリューンまでご苦労なことね。用件は何かしら?人心を惑わす異端の精霊術師を裁きにきたの?いいわよ、殺したいなら殺してくれても」
ラルヴァンは眠気覚ましに両手で顔を揉みながら答える。
「あはは。教会はいちいち一介の精霊使いに目くじらを立てたりしないよ。僕に過労死しろってのかい?ましてや仮にだよ、あらゆる価値観が坩堝のように煮染められている魔都・リューンでそんな事始めてみなよ。ニムストゥーム軍の侵略以来の大惨事…大内乱が起こっちゃうじゃないか。そんな理由で歴史に名前が刻まれるの、嫌だなぁ、僕は」
冗談っぽく躱すラルヴァンに、タエは構わず敵意と悪意を剥き出しにした言葉を投げ続ける。
「それなら。愚者の祝祭の引き金を引いてアルクレンクの街に大混乱を招いた、元凶たる愚かな冒険者を処刑しにきたのかしら?いいわよいつでも。火炙りでも断頭台でも。連れてきなさいよ。ああ、水責めだけは止した方がいいわ。私素潜りには自信あるから」
『殺しても構わない』というタエの言葉の裏に、『どうせなら殺してほしい』という想いが込められていたのを、ラルヴァンは気付いたかどうか。ラルヴァンの表情から、先程までのヘラヘラとした緩みが消えている。
「気の毒なことに、君は、教会と関わる中でよほど悲しく苦しい思いをしてきたんだろうね。あるいは、身近な人物に偏った印象を吹き込まれているのか…。聖北教会はね、本来そんな過激で狭量な団体ではないよ。勿論、一部には君の言うように、行き過ぎた『正しさ』を振り翳そうとする者もいるし、バルドゥア君のようなちょっと困った異端審問官なんかも居たけれど…」
尤も、とラルヴァンは付け加えた。
「やり場のない怒りや悲しみをぶつける対象として教会が使われる事にも、別段不満はないよ。石を投げられるのも、これだけ大きくなった組織の大事な役目だ。寧ろ、そうした悲痛な叫びを上げざるを得ない人達にこそ、教会は手を差し伸べなければならないと思う」
ああ、そうですか。相変わらず、分かったような綺麗事ばかり並べる。これだから聖北は。タエはラルヴァンから視線を逸らし、軽く溜息を吐いた。そりゃ本気で殺しにきたとは思っちゃいないけれど、もしも本当にこの異端審問官が私を殺してくれたら、「あの人は聖北を潰そうとしてくれるだろうか」。聖北を敵に回せば貴方の命もないからやめてほしいとか、でもその気持ちが嬉しいとか、「そんな事してくれるわけないのに」まだこうして妄想し、どこかで期待してしまう自分を自覚し、そのさもしさが嫌になる。
気を取り直して振り返り、指定席からいつまで経ってもどこうとしないラルヴァンにタエは言う。
「で。じゃあわざわざ何でこんなとこ来たのよ、差し支えなければ、さっさと私の視界から消えてほしいんだけど」
ラルヴァンは微笑を湛えた表情を一切崩すことなく答える。
「いやぁ、まず遙々リューンまで来たのは、一番は仕事さ。会議というか、先の事件の顛末の報告会というか…。ほら、僕も療養生活が長かったから、随分遅くなっちゃったけど」
よっ、よっ、とラルヴァンはふくよかな体を捻る。どこも痛まず縛られず身体を動かせる幸福を味わっている。神に感謝だ。
「アルクレンクの事件では、リューンの魔術師連中も随分深く関わってたからねぇ。あちこちへの出張、お偉いさんを交えたカンファレンス、大陸を縦断するような配置転換……大企業勤めの宿命ってやつだね。ほら、それに特に愚者の祝祭の後はさ、他にも色々被っちゃって、どこもてんやわんやだったみたいだよ。君くらいの人ならもうご案内だろうから、伏せとく必要もないよね。聖堂都市シーラで聖女が出奔しちゃったり、アルビナの棺王がまさかの死霊術師だった事が発覚したり……ちょっと洒落になってないよねぇ」
しかしラルヴァンの口調からは、特別それらを億劫に感じているようなニュアンスは受け取れない。彼が穏やかな笑みを崩す事はない。
「で、ついでだから、改めて事件の関係者に会って話を聞いたりしてたってわけ。アルクレンクのことも書き物に纏めたいし、ほら、今アルブレヒト家の次男坊も調査に出てるらしいけれど、先の事件、まだ完全に終わってはいないようだし。…………あっ!そうそう!」
ラルヴァンは一番大事な事を思い出した!といった様子で少しばかり大きな声を上げた。
「本当は三軒茶宿にお邪魔するのも楽しみにしてたんだよ、本来ヨッドでしか飲めない百花蜜ドリンク。ここでその味が完璧に再現されてるって聞いたからさ。ルミスに下調べさせたんだよ。虹ノ先養蜂場の蜂蜜を使ってるんだねぇ、レシピの担当者はよほどセンスがいいと見える」
「何よ虹ノ先養蜂場って」
「おや知らないのかい、人気アイドルユニットを使ってバンバン宣伝打ってる、蜂蜜界隈じゃ知らない者はいない今一番ノってる養蜂場なんだけど……」
「はぁ…」
私は別に蜂蜜界隈じゃないので……ていうか蜂蜜界隈って何。タエは蜂蜜のように艶々としたラルヴァンの顔をジトリと睨む。ラルヴァンはうっとりしている。
「養蜂場というのはいいものだよ、そうだ、タブロアート領の近くにもあってね、養蜂場のある街が……」
「あーもういいもういい。私が訊いてるのはあなたがリューンに来た理由じゃなくて。わざわざ『ここ』に来た理由よ。聞き取りがどうの言ってたけど、私はあなたに話す事も、話したい事もないわ」
言葉の節々の棘を隠そうとしないタエ。ラルヴァンは意に介さず「ははは」と笑っている。
「大丈夫だよ、君から何か聞き出そうってわけじゃないんだ。ただ、少しだけ君と世間話がしたくてね」
タエは「何だってのよ」と聞こえよがしの溜息を吐く。ラルヴァンの声のトーンが変わる。
「………愚者の祝祭の狂乱の最中、アルブレヒト邸にて。唯心銀の魔力に精神の自由を奪われた君は、仲間の冒険者を背後から襲い、刺した」
ピクリ。タエの眉根が動く。
「今となっては、ナムリリトがあの700枚の銀貨擬きにどのような感情を発動するよう仕掛けていたのかは分からない。怒りなのか、憎しみなのか…。しかし単純にその手の所謂醜い感情であれば、君が殺意を向けるのは他の人間でもよかった筈だ。デリカシーのない拳法家?気にくわない女盗賊?それともいちいち癇に障る魔術師かな?でも君があの瞬間矛先を向けたのは、君が最も信頼を、憚らずに言うなら好意と言ってもいい、そんな感情を寄せている相手だった」
タエは、(知り過ぎている)と思った。間違いなく軍団内の人間の仕業だ。誰かこの男に、必要もない事をベラベラベラベラとくっちゃべった馬鹿がいる。
「…何が言いたいのよ」
呑気に居眠りするラルヴァンの姿を視認した時から漏れ出していたタエの敵意は今最高潮に達し、水面を震えさせ、川の水精達を恐々とさせるに至った。
ラルヴァンは怯むことなく言葉を続ける。
「ここでひとつの仮説がある。本件はまだ組織的な調査の途中で、飽くまでこれは仮説だから、取るに足らない話だと思うなら無視してくれて構わない」
タエはキッと異端審問官を睨めつけたまま微動だにしない。
「愚者の祝祭の時、人々はみな理性で自らを律する事が叶わなくなり、内に秘めた欲望をそのまま獣のように表出させてしまった。そして、君も知っての通り、その表れ方は正に千差万別だった。クライアントへの不満のあった仕立屋は、そのストレスを大事な型紙にぶつけてしまった。内心狭く暗い所が大好きだった少女は、人の目も憚らず暖炉に潜り込んでしまった。君の場合は直接大量の唯心銀を手渡され、尚且つ目の前に魔力の発動者たる夢魔が居たわけだから、彼女らと同一に語るのは危険かも知れないけれど…それでも通底しているものがあるんじゃないかと思うんだ。即ちあの状況下、魔力の影響下に置かれた人がどう動くかは偶然でも何でもなく、シンプルに『心の底の底で、最も望んでいる事』をそのまま行動に移してしまうんじゃないか…とね」
タエの眉と頬がピキピキと歪む。
「私が一番、誰より殺したい相手が、れむさんだった…って言いたいの…?」
声を震わせるタエに対し、ラルヴァンは穏やかに穏やかに、教会に救いを求めにきた迷える仔羊を教え諭すように言う。
「『愛憎』って言葉があるだろう?人間の愛ってやつは神の愛とは全く別物で、窮めて不完全なものでね。愛していればいるほど、容易く裏返ってしまうのさ。例えば。本当はもっと自分を見てほしいのに、相手は必死に他の人を追いかけてばかり。本当はもっと自分に構ってほしいのに、ずっと待たせて他の作品の配信ばかり……おっと。それならば、だったらいっそ……」
タエの右手の指先がぴくりぴくりと震え始める。れむさんの腹の肉を抉った瞬間の感触が蘇ってくる。心拍数が上がっていく。毎日、朝も夜も感じている猛烈な吐き気が、また戻ってくる。
「敢えてハッキリと言えばね、夢魔に魅入られた君の両手が咄嗟に彼を選んでしまった事は、皮肉なことに、君にとって彼が誰よりも大切で、君が彼を深く深く愛している証左に他ならないと思うんだ」
タエは相変わらず何も言わない。ただ、先程まで纏っていた、世界の全てを引き裂こうかという空気だけは霧消していた。寧ろ、憔悴していると言っていい。
「僕が見るに、君は敏い人だ。自ら望んで彼を殺そうとしまった可能性に、君自身とっくに思い至っていただろう。信じられない、認めたくない……でも、心当たりがないではない……。だからずっとそんな顔をし続けている」
よいしょ、と漸くラルヴァンは重い身体を石から持ち上げて立ち上がった。パンパンと尻を払い、改めてタエを見つめる。
「いつまでも鬱屈し、自己嫌悪に苦しみ続ける者のことだって神はきっと見守ってくださるだろう。……でもね、ちょっとだけお節介を言わせてもらえば、こうして独りで溜め込み続け、飲み込み続けるんじゃなくて、少しずつでも、自分の気持ちに素直に生きることをオススメするよ。勿論禍々しい銀色の呪物なんかに託すんじゃない。自分の言葉で、自分の行動で、自分だけのやり方で、悩んで、考えて、失敗しながら、相手に想いを伝えるんだ。それが大切な相手ならば尚の事、ね」
タエは唇を、そして両手をぎゅっと結んだまま俯いている。ラルヴァンはゆっくりとした動きで、土手へと向かって歩き始め、去り際にタエに微笑み掛ける。
「あはは、ごめんね、喋りすぎちゃった。まぁ、どちらでもいいんだ、何をしてもいいさ。権利は君にある。納得いく方を選びなよ。僕は聖北の異端審問官として、君の選択を是認するよ」
よいしょよいしょと急な土手を上っていくラルヴァン。タエは何事か言おうとしたが言葉にならず、口を開けたり閉じたりしながらその後ろ姿を見上げている。
坂の半ばまで来たところで、あっ、と手を叩いてラルヴァンが振り返った。タエと少し距離ができた分、声を気持ち張り上げる。
「そうだそうだ!大事な事を忘れていたよ!聖北嫌いの彼に伝えておいてくれないかい?『見事な癒身の法だったよ』って。彼の治療がなければ、僕は今ここに居なかったかも知れない。きっと彼は彼なりに神を愛し、神に愛されているんだろうね!だからこそ、自分と異なる神との関わり方をしている者が許せないんじゃないかなぁ…?……ともあれ、会ったら伝えておいてよ、君の嫌いな異端審問官が、深々と感謝してたよ、って!」
ラルヴァンの言葉に暫し面食らっていたタエだったが、果たして彼女はラルヴァンに向かって(コクリ)と力強く頷き、光の戻った瞳で真っ直ぐに彼の目を見据えた。
「あははは、やっぱり前を向いてる方がいいじゃないか。影ながら応援してるよ、天才精霊術師さん。どんな嵐が吹き荒れる時も、君の物語が開かれてありますように!……あ、これはとある少年の受け売りだけどね!ハレルヤー!」
タエはラルヴァンが去った後の平石に腰掛け、長閑な水面を眺めた。石はラルヴァンの体温で温くなっていたが、然程気にはならなかった。先程まで慄いていた精霊達も、ホッとして川の中ほどを揺蕩い始めた。
そんな折、タエは土手の上から跳ねるように、滑るように、しかし決して安定感を欠くことなく軽やかに下りてくる足音を聞いた。誰が来たのか振り返らなくても分かる。
「今日は千客万来ね。それも会いたいわけでもない人ばっかり」
表情も変えず、川面の精霊達を見つめたままタエは言う。友人、と呼ぶには少し距離のある地点で立ち止まった来客もまた、すかさず言葉を返す。
「貴女が会いたい人なんて街中探したって二、三人しか居ないでしょ。贅沢言わないでほしいわね」
エティエンヌ。交易都市リューンが誇る大盗賊様のお出ましだった。
「珍しいわね、ここに来るなんて。何か用?」
「別に。仕事に行く途中にちょっと寄っただけよ」
「あ、そう」
ここで漸くタエは首を捻り、やや離れて立つエティエンヌを見上げた。刹那、風が吹き抜けタエの顔を煽る。長く伸びていた前髪の束がタエの目元で無造作に暴れ、タエは鬱陶しそうに髪を掻き上げた。呆れた様子でエティエンヌは言う。
「貴女ね、いつもこんなとこ居るんじゃなくて、たまには街で髪でも切りなさいよ。年頃の女の子なんだし、素材はそんな悪くないんだから。……大体、何もかも面倒臭がり過ぎなのよ。『どうせ明日も仕事ないからー』とか言ってキャンセルせずに、湯浴みだって毎日しなさい。服だってそう、貴女その緑の外套ばっかりじゃない。あ、ほらその首元、シミができちゃってる」
うぜぇぇぇ…。バサバサと視界を遮ってくる前髪なんかよりも、あんたの方が千倍うざいよ、とタエは思う。
「洗ってないわけじゃないし、シミったってこんな小さいの誰も気付かないわ。あなたの目が無駄に良すぎるだけよ」
「に、してもよ。たまにはお洒落したらいいじゃないって言ってんの。ほら、宿にアルクレンクから贈り物届いてるの知ってるでしょ?可愛い服も入ってたわよ。鮮やかで、色取り取りの。お花の刺繡も入ってたりして。貴女に似合うんじゃないかしら」
はーはいはいそうですか、と聞き流すタエだったが、続くエティエンヌの言葉は聞き捨てならなかった。
「貴女どこに行くでもそのくたびれた上着でしょ?たまーにおめかしするったって、いつまで経っても大昔の白い服一着だけじゃない」
「なに?キャシーが私の為に仕立ててくれた大切な服に文句があるの?それともあれが貴方のものじゃない事をまだ根に持ってるのかしら」
「別に誰もそんな事言ってないじゃない…」
やれやれ…と、エティエンヌは疲労を感じる。もう話を切り上げよう。
「分かった分かった、お邪魔して悪かったわね。私もう行くから。さっさと依頼終わらせて、晩御飯作らなきゃだし……。あ、そうそう」
忘れるところだった。エティエンヌは投げナイフの要領で、座っているタエに向かって『ピッ!』と鋭く利き手を振った。
『パシッ!!』
タエは咄嗟に顔の前に手を掲げた。丁度そこへ、エティエンヌが飛ばした何物かがすっぽりと収まる。派手な色をした金属の筒だ。随分と冷たい。
「こんな固い物、いきなり乙女の顔に向かって投げるのやめなさいよ。怪我したらどうするの。あんたと違って傷物じゃないんだから」
タエの抗議に、エティエンヌは何事もなかったように答える。
「反応できない相手にはやらないわよ。乙女だってんなら身嗜みくらいちゃんとしなさいな」
タエは、で、何これ、と冷たい金属の筒をしげしげと見つめる。
「錬金レモネードよ。新作なんだって。好きでしょあんた」
タエは無言のままだ。
「その入れ物も、何か新開発のやつだってさ。今ならまだ冷えてるから、さっさと飲んじゃいなさい」
タエは上体を動かし、改めてエティエンヌに向き直る。
「何よ、わざわざ私に?あんたが飲めばいいじゃない」
軽く苦笑いして首を振るエティエンヌ。
「あー、いいのいいの、私は口の中でパチパチするのはあんまだし……こっちがあるからいいわ」
そう言って、エティエンヌは懐に手を入れ、小さな包みを取り出し、タエに見えるように持ち上げた。そこに入っているのはトゲトゲの粒。金平糖だった。いつの間に積み荷から持ち出していたのだろう。恐らく宿の誰も気付いていまい。
エティエンヌは包みを破り、金平糖を一粒口に放り込む。爽やかな甘酸っぱいレモンの風味が、口いっぱいに広がり、彼女をちょっとだけ嬉しい気持ちにさせる。
「じゃ、それはあんたにあげるから。いっつまでもしょげ散らかした顔してないで。シャキっと目ぇ覚ましてさ。暇ならレナータ達手伝ってあげなさい?多分まだ荷物の片付けしてるから」
エティエンヌはそこまで言ってしまうと、レモネードの缶をじっと見つめたまま硬直しているタエの返答を待たず、踵を返して土手をスイスイと上り始めた。ラルヴァンの緩慢な動きとは雲泥の差である。放っておけば今にもこの急な坂を上り切って、彼女は街へと消えていくだろう。
…………。
「エティエンヌ!」
エティエンヌの背後で土が靴で擦れる音と同時、タエの声が飛んできた。エティエンヌは街の方を向いたまま立ち止まる。続いて聞こえた声は、先程よりもややか細かった。
「……ありがと」
エティエンヌは一瞬振り返ろうかもと思ったが…やめた。そのまま軽く片手を上げてひらひらと振り、またすぐに坂を上り始めた。エティエンヌの後ろ姿が土手の向こうへと消えてもなお、タエは暫しの間、時が止まったようにその場に立ち尽くしていた。
因みに。
この後程なくして川辺では、サーカスの出し物かと見紛うほど天高く、高圧放水機の如き凄まじい勢いの噴水が発生。美しい虹が掛かったという。
十数分後、宿で衣類の仕分けに勤しんでいた若手冒険者、ビリーヴとルカは、突然『バァン!!!』と蹴破ったかと思うような音で玄関扉が開き、何が起きたか全身びしょびしょのベトベトになった先輩冒険者がドスドスと足音を響かせながら近寄ってきて、本当に何人か殺してきたような据わった目で、
「コロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス絶っ対に殺す」
と延々呟きながら木箱から桜の刺繍(ヴィートマー謹製)のワンピースを引っ張り出し、浴場へと向かっていく姿を目撃することになるのだが…。
それはまた、別のお話である。
そして。それぞれの休日であった。
サーカスは大盛況の内に幕を下ろした。空き地の周辺は、帰りの客でごった返しているだろう。夕飯時を前に、ユウゲ通りの方は特に賑わっていることと思われる。親子同士友人同士、目を輝かせてサーカスの感動を語らい合い、串に刺さった焼き芋を頬張る者もあるかも知れない。長閑で、日常の幸福に満ちた休日であった。
そんな活況を呈する表通りとは対照的に、聖北教会の裏手にある共同墓地は閑散として、深い静けさに包まれていた。嘗てふくらし魔女と呼ばれた老婆も眠るこの墓地では、西門の傍に乱雑に作られた寄る辺なき冒険者達の墓地とは対照的に、墓石は磨かれ、芝生は整然と刈り込まれ、教会による手入れが行き届いている事を思わせる。
墓地の端には、古い石造りのベンチが一つ置かれており、苔と風雨に曝されて風合いが増している。丁度そのベンチから見上げると、教会の高いステンドグラスの窓が目に入り、夕陽がそれを通して墓地に虹色の光を投げ掛けていた。
今、この墓地の中ほど、とある墓の前に二人の人物が立っていた。「誰そ彼時」とはよく言ったもので、よくよく近付いてみなければ、彼らの顔をはっきりと認める事は難しかった。
二人のうち、一人は青年だった。目深に暗色のフードを被り、腰には細剣を佩いていた。片手には水桶、もう片方の手には何やらボトルのような物を持っている。もう一人は随分と幼い少女、年端もいかない娘であった。夕陽を照り返す金色の髪は美しく、しかしただ両の耳元で垂れ下がる二房の蔦が、彼女が尋常ならざる存在である事を物語っていた。
背格好から判断すれば、二人は年の離れた兄妹か、或いは親戚のように見えただろう。しかしながら、それにしては二人の間に親密な空気は一切介在せず、どころか、気のせいかその距離は他人よりも遠く感じられた。
青年は、フードを捲って「ふぅ…」と息を吐いた。
「漸く来られましたね。本当はもっと早く来たかったけれど……」
薄暗いせいで具に観察することはできないが、青い瞳をした青年の顔立ちは眉目秀麗に思われた。ただ、頭部から右目にかけて巻かれた包帯が痛々しい。
「いくらこの街が特別に守られているといっても、まだ余り、白昼堂々歩き回るような立場ではありませんからね。貴方も、僕も」
ましてやこの場所を、二人並んで訪れるとあってはね、と、青年は目の前の墓石に視線をやる。青年の言葉を聞いているのかいないのか、少女は興味深そうにぐるりと墓地全体を眺め回し、言う。
「お墓と一口に言っても、場所によって随分雰囲気が違うのね。以前私が行った所は、街全体がお墓という感じだったけれど」
「アルビナ、ですか」
青年は水桶の中から布巾を取り出し、よく絞ってから墓石を拭き始めた。
「貴方の言う通り、様々ですよ。この街でも、西にある冒険者の墓はもっと簡素な作りです。ただ…」
青年は、目を離すと勝手にあちこち観察しに行きそうになる少女を留まるよう促しつつ、言葉を続けた。
「ただ、死者が安らかに眠れるようにと祈りを込めて建てられ、生きている者が彼らと語らいにくる。形が違えど、そこに想いが込められている以上は、同じですよ」
「そう」
少女は、分かったような分かっていないような生返事をする。青年は特に気にせず、手際良く、しかし心を込めて墓石を拭いていく。
「教会の方も手入れしてくれていたようですが、隅や細かい所の汚れはどうしても…ですね。次からはもっと早く来られるようにしないと…」
独り言のように言う青年に、少女は反応した。
「『次から』…?あら、また来るの?それは私も?」
青年は一旦手を止め、穏やかな、しかし射抜くような視線で少女の目を見る。
「ええ。嫌ですか?」
「別に嫌ではないけれど。それは命令?」
青年はふっと笑う。
「僕は貴方に命令できる立場ではありませんよ。貴方が僕の友人に生殺与奪を握られているように、僕もまた彼の戦利品に過ぎませんから。僕と貴方は似たような存在です」
青年の襟元で、ラペルピンが青く輝く。
「ただ、仮に貴方がそれを拒むと言えば、僕は彼に懇願してでも、貴方に命令してもらうでしょうね。この場所に来続けるように」
「構わないけれど、私はそれをいつまで続けるのかしら。5回?10回?」
少女に悪意はない。ただ純粋な疑問から出る問い掛けに、青年はやはり穏やかに答える。が、その言葉の内には、譲る気もないという固い意志もまた感じられた。
「敢えて答えるなら。命令でもなく、期限でもなく。貴方が自らの意思でこの墓を訪れねばならないと思い、実際に訪れ、ここに眠る者達に跪拝を捧げるようになるまで、ですね」
墓石の掃除を終えた青年は、持参していた蒸留酒の栓を抜き、墓前の隅にボトルを置いた。そして、深く息を吐いた後、ゆっくりと跪き、両手を組んで祈りを捧げ始めた。暫しの間、少女は立ち尽くしその様子を眺めていたが、いつまで経っても青年は動かない。果たして少女は、青年の模倣をするように、青年の隣にしゃがみ込んだ。
沈み行く夕陽が二人の長い影を映し出し、風は清かに草木をさらさらと揺らした。
長い長い沈黙の中、目を閉じた二人は墓前で微動だにせず、永遠とも思える時間が過ぎていった。遠く聞こえる街の喧騒が却ってくっきりと墓地の静寂を切り取り、二人をいつまでも包み込むのであった。