第一章
真から感じの良い人とは
ひとそれぞれの解釈であり
自由である。
勝手でもある。
放っておけばいいのである。
しかしながら
『真から感じの良い人は何処におるん?
ワタシバージョン。』ということで
記してしまったので、とにかく書いてみる。
今回の章は
真から感じの良い人が
何処に隠れているのかといった視点から
のぞいてゆこうと思います。
真から感じの良いというと
超個人的な視点で
円空さんの彫り物のイメージが出てくる。
あの微笑みは何処から来るのか。
長期的な謎なぞである。
いく年もかけて
その答えが見つかることを願って。
さぁ話を題材のところに
戻してみよう。
『真から感じの良い人は何処におるん?
ワタシバージョン。』
結論からいってしまうと
真から感じの良い人は
何処にでもいるというのが
現段階でのワタシ自身の答えです。
実在の人物からでも
架空の人物からでも
歴史上の人物でも
何処にでもいるのです。
何処に隠れているかというと
かなり奥の方にとか。
はたまた
隣りにおられたりもします。
例えば
子供のころの
かくれんぼを思い出してみると
総勢11名で
かくれんぼを行なっていました。
あなたは鬼役です。
ひとり
ふたり
三人とリズム良く
あなたは十人を探し当ててゆきます。
そして
4人目、5人目と探し当てるのに
あなたは一ヶ所ではなく
全体的に視野を広げて
探していく動きに変化した状態に。
探し方がスタート時よりも
進化してきます。
そうして六人目からは
捕まった子の
にやにやとした表情から
その表情の先を辿って見つけてみたりもします。
捕まった子は
言わないでいますが
表情であっちにいるよっと
教えてくれているようです。
9人目まで見つかり
さぁあとひとり。
ここで注目したいのが
鬼役のあなたは
見つけられると思っているということです。
こうだっと思ったことが
熟成されて
次,次という流れで実現していきます。
熟成期間は
さまざまであるというのを
ワタシ自身は結論づけています。
逆からの視点でのぞいてみると
こうだっと思っていないことは
何も見えてこないということになってきます。
こうだっと思っていない領域には
○こうだっと
本音で思っていないことと。
○こうだっと
思いたいのだが
こうだにフタをしていること。
それぞれの存在があるとも仮定しています。
本音で思っていないことは
そのままで。
こうだっと
思いたいのだが
こうだにフタをしていることは
フタを外せる場合と
フタを外さない方が良い場合も
どうやらあるようです。
次回は
こうだっと
思いたいのだが
こうだにフタをしていることについて
フタを外せる場合と
フタを外さない方が良い場合のお話です。