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原点回帰①

大学で陸上を頑張ろうなんて最初はこれっぽっちも思ってなかった。大して速くもなかったけど、高校2年くらいが自分のピークだと思っていたから。

多分、相対的にみて私が1番強かったのは中3の頃で、指導者にも環境にも恵まれて、ちょっと自慢だけど3000mを10'23で走ることができた。ちなみに1500mの自己ベストは大学4年の夏までずっと、中3の頃に砺波の硬いタータンで出した4’53だった。

高校に入ってからは伸び悩んだ。まぁ多分、環境変化が1番問題で、自分に必要な練習をうまく組めていなかったのが伸び悩みの原因だったとは思う。多分取り組みも考え方も昔に比べたら甘いんだろうなとは思っていた。確かに厳しい環境の中で精神すり減らしながらやる陸上は、苦しいながらも達成感があって良かった。けれど、高校の部活の厳しすぎない雰囲気が普通に楽しくて、あまり強さや速さを突き詰めすぎないようにしていた。別に練習で手を抜いていたわけじゃないけど、環境を言い訳にしていたし、別にそんなもんでいいと思っていた。そんな中でも一応3000mではベストを出せたんだから、もっとしっかり頭使ってちゃんと突き詰めていたらもっと速くなっていたんだろう。色んな人に、多分中学で終わったやつだと思われていたと思うけれど、別にそんなに気にしていなかった。だって自己ベストがそんな簡単に出ると思ってやってないし。

それでも、大学に来ても、結局陸上部に入ることを選んでしまった。なんとなく、中3の頃の、過去の自分の栄光に縋ってしまって、走ることで自分がまた認めてもらえるような気がして、陸上を辞められなかったんだと思う。でも、記録を簡単に出せないことだって分かっていたし、そこまで頑張るのも、高校のレベルで練習をちゃんと頑張ることさえも、もう疲れて嫌だと思っている自分がいた。高校はほぼ停滞だったから、大学4年くらい(6年までやってるつもりじゃなかった笑)までかけてゆっくり高校のレベルくらいまで行ければ上出来、自己ベストとか別にいいや、そんなに環境がいいわけじゃないし、と思っていた。

中途半端な気持ちで陸上を再開した結果、大1は散々だった。西医体や医歯薬はギリギリ入賞できた。でも、インカレレベルになると、ボコされまくりだった。高校生くらいのレベルに戻しさえすればある程度戦えるのに、なんなら西医体なら無双できるのに、4年かけて戻せばいいと思っていた記録も、4年かけずに戻したいとか思ってしまって、やっぱり戦えないことを悔しく思った。同期も練習会で会った他校の子も強くてちょっと萎えた。ちょうど2回目のマラソンで3時間半を切れたもんだから、自分はトラックよりもロードに耐性があるような気がしていた。冬っくらいには、呉羽山を走りながら暫くトラックから離れようかなとほざいていた。

大学2年はコロナだった。暇すぎて、それまでサボっていたジョグを習慣化しなおした。トラック走る気はなかったからジョグだけしていた。コロナのせいでトラックレースしかやってなかったからしゃあなしで秋カレに出た。普通に速くなっていた。トラック競技続けてもいいかなと思った。

大学3年は、コロナだったけど出れる試合もコロナ一年目よりは増えた。一個上の女子の先輩たちと3人で遠征に行くのが楽しかった。先輩の姿を見て、やっぱり頑張ろうと思った。五福との交流がさらに増えたことで、彼らの頑張る姿に刺激を受け、負けず嫌いに火がついた。記録会にもちゃんと出るようになった。不純な動機?だけど、目標に向かって頑張る五福陸上部を推していたから、彼らと一緒に練習がしたくて男子のペースを一部使って練習するようになった。タイムもだいぶ戻ってきた。まぁそりゃ速くなるよな。

大学4年はキャプテンをやっていた。競技よりも部作りのことで病み散らかしていた。機嫌が悪くなる度に、何回も呉羽山に走りにいった。この年は色々あった。医歯薬が久々に開催された。なんかダチョウとちいかわが入部してきた。すり足もよくわかんないけど長距離始めるとか言い出した。全部に疲れてたし別に彼らに興味なかったから全部ほっといたけど、まだ弱々なちいかわが一緒にきろ4じょっっっぐ(当時はガチポイント笑)してくれたから、そこでだいぶ力がついた。久々開催医歯薬で、7年?ぶり?に1500mの自己ベストを更新できた。あ、自己ベストって出るんだ、って思った。3000も秋の記録会で自己ベストまであと1秒まで持っていけた。秋カレでは1500のベストをもう一回更新できた。5000mでは人生で初めて、県以上の規模の試合で優勝できた。なんか、うまくいきすぎてびっくりなくらいだった。秋カレ2日目の夜、幸せすぎて明日死ぬんじゃないかって思った。

5年は春先からうまく練習をつめていたから県選も春カレもかなりいい仕上がりで臨めた。まさか練習してない1500でもいっかいベスト出るなんて思ってなかったし、春カレの10000優勝できるなんて思ってなかった。強化部の3000mも9分台出せて、だいぶ一皮剥けた気がした。まぁそのあと疲労骨折してコロナになって大変だったけど。その年の秋頃からやっと、心に余裕ができてみんなに興味を持てるようになった。ちいかわかダチョウに聞いてみ?多分5年前期くらいまでの私めっちゃ無愛想で怖かったらしいから。笑

自分語りしてきたけど、要するに、別に私そんなに陸上やる気ある勢じゃなかったことを書きたかっただけです。笑

苦労したけど自己ベスト出たから、みんなももっともっと強くなれるよ!とは言えない。自己ベストの価値やレベルって人によってかなり違うし、大学よりも良い環境の中で、ものすごい努力をして掴み取ったものだったりするから。当時の努力の度合いが強いほどに、壁を高く感じると思う。でも、昔がベストとも限らないと思う。だから、昔の自分を超えることを別に無理だと決めつけないで、でも、別に超えることを意識しすぎないで、自分のペースでのんびりやればいいかなって思う。無理なく続けることが、記録を出す上でめっちゃ大事だと思うし、見えるようになってから目指した方がきっと楽しいよ。

っていう、今からまだまだ大学生活ある人たちへのメッセージ🫶