痛いほどの共感と切なさ、それでも前を向いて生きていく。28歳のわたしが聴く、羊文学『永遠のブルー』
週に5日、6時半に起きてバタバタと身支度をする。
それはとても煩わしく、
社会人6年目になったいまでもなかなか慣れそうにない。
脱兎のごとく家を飛び出し、すかさずイヤホンを装着する。
会社まで歩いて、20分と少し。
お気に入りの音楽が寄り添ってくれる。
わたしはこの時間が好きだ。
まだ寒さが残る3月1日、歩きながらApple Musicの画面をなにを探すでもなくスクロールしていると、オルタナティブ・ロックバンド 羊文学が新曲をリリースしたとの情報が表示された。
そのとき、突き刺すような鮮やかな青色、そして湧き上がる赤色が目に飛び込んできた。
曲名は『永遠のブルー』。
大人になったはずなのに
この曲は前述の通り、今年の3月1日に配信リリースされたばかりの新曲で、NTTドコモの22歳以下に向けた料金プラン「ドコモ青春割」の新CM「ブレない青春」編、「ブレない旅立ち」編に使用されている。
わたしは今年28歳になる。
22歳なんてもう6年も前で一般的に6年という期間があれば、小学生は持ち手の擦り切れたランドセルをおいて、新品特有のパリパリとした手触りが残る制服に身を包む。
そう考えるとわたしも大人になったなあとぼんやり思ってみたりもするのだけれど、実際そんなことはない。
なにかしらのポカをしてひとりで落ち込む、なんてことは日常茶飯事である。
28歳という年齢はひとつの分岐点だと思っていた。
母は28歳でわたしを産んだ。子供を産んで育てるという、その重い責任を背負って生きていく覚悟ができていたのだと思うと尊敬する。
一方わたしは結婚もしていなければ、この年齢特有のホルモンバランスの崩れが原因で、おでこに大量のニキビをこしらえているザマである。
痛いほどの共感
わたしは超がつくほどの安定思考で、新しい世界に飛び込むことを恐れて行動しない傾向にある。失敗するぐらいなら今の幸せにしがみついてずっとそのまま変わらない日々が続いていけばいい、そう思っていた。
このフレーズをはじめて耳にしたとき、羊文学のVo. 塩塚モエカさんがわたしの生活をどこかで覗いているのではないかという錯覚に襲われた。
超安定思考のわたしをそのまま表したような一文だったからだ。
28歳でわたしを産んだ母は、今のわたしを見てどう思うだろうか。
最近、そんなことばかり考えていた。
「そんなんじゃ、あかんで」そう言うだろうか。
まるで赤本を解いて自己採点をする受験生のように、わたしは"自分に充てがわれたものではない"問題集をずっと解いていたのかもしれない。
切なさを乗り越えた、その先にあるもの
たしかに、28歳という年齢は一般的なライフステージにおいて、結婚・出産というステップに踏み込む段階なのかもしれない。
けれど、わたしの人生は今のわたしだけが構成しているわけではない。
もしかすると未来のわたしは、思い立ってインドまで飛び、パンジャビドレスを着て夜中まで踊り狂ったり、フィンランドの雑貨屋さんで北欧食器の温かみのある鮮やかな色で描かれた葉っぱやくだものなどを指でなぞり、うっとりしながら眺めているかもしれない。
想像していたよりもきっと
28歳の母も、わたしが想像していたより強くもなく、すこし触れただけでぽっきりと折れてしまいそうになる日だってあったはずだ。
わたしを産んだときの痛みはもちろん、そのほかにもさまざまな痛みを乗り越えて、いまがあるはずだ。
今夜は母に連絡してみよう。
とりとめもないことをいつまでも話したっていい。