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手放すと、軽くなる。
今までずっと、「最悪こうなる」というネガティブな想定をしながら生きてきた。
リスクだと思うことを思いきり潰して、最悪の想定が自分の乗り越えらえるハードルなら大丈夫と思っていた。
だから、知らないリスクは正直怖かった。
だから、なんでも持っておきたいと思った。
なんても持っておきたいから、気になった本は読むし自己啓発もなんだかんだ積極的だと思う。
「意識が高いね」なんて言われるけれど、意識が高いより「怖い」という気持ちが勝っている。
知らないと「怖い」。ずっとそうやって生きてきた。
だから、人一倍「手放す」ことが怖い。
いままで抱えきれないくらい「持っていた」ものを、コントロールできなくなっても、持ち続けてきた。
でも、人の許容から溢れてしまったものは寧ろ害になる。
私は、溢れたものを手放すことが怖かった。
先日、ある決断をした。
ちゃんと実行されたらまた筆を取ろうと思うが、ずっと迷っていたことだった。
手放したら、自分じゃなくなるかもしれない。
手放したら、もっと大きい不安が残る。
そんな気持ちが先行して、私は決断を先延ばしにしていた。
でも、多少のリスクはあっても自分を優先した。
溢れたものを拾えるうちに、溢れている自覚があるうちに、手放してしまおうとちゃんと決断できた。
手放すと、軽くなった。
力んでいたものが、自然となくなった。
もう、私を優先していいんだと思った。
そして、この言葉を信じれば、求めていたものがなんとなく舞い込んできそうな気もしている。
「手放せば、手に入る」
あるイベントで、SHE株式会社のCEOえりさんがおっしゃっていたことだ。
1人で抱えるのが、少しおかしいなと思えた。
私の求めていることは、きっと我儘なんかじゃない。
チャレンジするときには、どちらも手に入れようとしてしまうと中途半端になるのかもしれない。
手放せば、軽い。だから、自由になれる。
気づいたら「手放せない呪い」を自分にかけていたのかもしれない。
呪いは怖い。
暴走すれば、止まらないから。
だから立ち止まってみよう。
手放せば、軽くなる。
手放せば、手に入る。
もし、どうしても苦しいと思えることが来たら、苦しいものを脇における人になりたいと思った。
そして、もし傍で苦しんでいる人がいたら、声を掛けることができる人になりたいと思った。
きっと世界は広いし、私も弱くない。
二本足でちゃんと進めている。
そこに求めるものは、なんだろう。
求める先に、何があるか考えることを、ここで書きたかった。