残された側の時間について

父が旅立って1ヶ月が経つ。びっくりするくらい早い。
年明けには役所の手続き、銀行の相続、スマホの解約、ひとつずつ箱を閉じていくように母と作業した。
今まで何気なく通っていた道の墓地や葬儀場がよく目に入るようになり、和菓子を見るとお供えになるかどうかの基準で買うようになった。

当たり前だけど、人は亡くなると意思表示ができない。
毎日お線香をあげながら心の中で話しかけてみるけれど、もちろん返事は返ってこない。
ただでさえ無口な人だったら、その答えを結局自分の中で探すしかなかった。
好きだった甘いものを買って供えてみたり、よく飲んでいた珈琲のお線香を見つけて買ってみたり。

実際に残された人になってみて、故人を偲ぶことや弔うことは残された人のための時間だと思う。
多少の礼儀作法はあるけれど、正解はないと思う。

そんな思いを馳せながら四十九日を迎える。
心の中で生きていれば、それでいい。身体がなくなっても、心は生きている。

ちゃんと生きてるよ、大丈夫だからね。

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