自分を過信しない、でも信じることが「しなやか」である。
今日気づいたことは、今日書き起こしたい、そう思ってnoteを書きます。
あなたが心から信頼している人ってどんな人ですか?
あなたが人を信じられなくなる時ってどんなときですか?
「この人の言うことなら信じよう」そう思える瞬間ってどんな時ですか?
今日、ある出来事で人を信じることについて一人で深く考えました。
人を信頼することや、信頼してもらえることって本当に難しいことで、ありがたいことだなと思わなければいけないなと。
人に何かを教える時、それは信頼の上で成り立っています。
人の指摘だって、信頼していない赤の他人に言われたらきっと不審だと思います。
その信頼って何から生まれるのだろう?
色々考えましたが、やっぱり自分自身がぶれないことだと思います。
ぶれてしまう、と言うのは昨日とは正反対のことを言うことが最たるものではないかと思います。
他人軸で生きてしまうと、自分の中身が空っぽになってしまう。
だから、どんなことにもぶれない自分が必要なんだと思います。
でも、ぶれない自分が「自分の狭い世界」であるとそれはきっと違う。
自分の狭い世界に入っても、肝心の自分自身は気づきにくい。
それが「当たり前」だと思っている。「常識」だと思っている。
大切なのは「広い世界に飛び込む習慣」です。
それが、サードプレイスであってもいいし、読書や知らないことを知っていくことでもいい。
それが「しなやかさ」であり、自分を過信しない秘訣だと思います。
誰かを真っ向から否定することは、ただただ言葉のナイフを振りかざすのみです。
相手を納得させる明確な理由をしなやかに伝えること。
そのためにはわかりやすく伝える力と言語化力。
信頼は、言葉と仕草に表れる。
明日からも学生を前に刻んで生きようと思います。
しなやかに、自分軸で。