夏休みの終わり
夏休みの終わり、どんな言葉をかけてほしいですか?
ひねくれた感じの聞き方をしてしまってごめんなさい。ここ1時間半、書いては一応保存して、書いては保存してを繰り返しています。でも、もう文章にならなくてもカッコつけなくて、ダサくても、わたしの思ってることを書きます。嫌な気分になったらごめんなさい。
夏休みの終わり、わたしも大嫌いでした。というか、土日が終わるのさえも嫌いでした。そういう昔は死ぬとか生きるとか、あんまり深く考えたことはなかったし、実際にどうやったらいいかなんて考えたこともなかったです。でもぼんやり「ああ楽しくないな、早く大人になりたいな、学校なんて嫌だな、生きてくの嫌だな」と思って生きていました。
夏休みの終わり、死にたいですか?
それは宿題が終わってないからですか?いじめられているからですか?言葉にできないモヤモヤが心の中に溜まっているからですか?誰かに会いたくないからですか?大人になるのが怖いからですか?それとももっと何か別の理由ですか?
頭の中がそればっかりになっちゃいますよね。永遠に無限ループにはまっちゃいますよね。もう人生やめたくなっちゃいますよね、こんなにしんどいなら何もかも手放して、何もかも諦めて、何もかも投げ出してやりたいって思っちゃいますよね。
「どうか死なないで」なんて言葉は聞き飽きましたか?「頑張らなくていいよ」なんて言葉はもう要りませんか?「学校なんて行かなくていいよ」なんて言葉は昔学校に通えた人が言うカッコつけた言葉だって思いますか?「学校だけがすべてじゃないよ」なんて学校だけをすべてにおいてるように見て上から目線で言ってくる大人に吐き気がしますか?
でもね、全部そのまま言います。
どうか死なないで。頑張らないで。死にたいなら学校なんて行かないで。どうか、生きていてほしいです。それだけ、ただ、本当にそれだけです。
生きてたらいいことあるなんて、綺麗事かもしれません。生きてても苦しいだけかもしれません。それはわたしにもわかりません。
わたしはこれを読んでる誰かの何者でもないから、ただのカッコつけてる人に見えるかもしれないし、綺麗事ってとられるかもしれない。めちゃくちゃウザイって思われるかもしれない。
わたしは何様でもないです。ただの一般人。
でも死に損なったし、学校も行かなかった時期があるし、親に歯向かって家出を繰り返した時期もあります。死にたくて仕方がない夜をこえて、腕にたくさん傷もあります。今だってフリーターです。もう21歳だけど、大人になるのが怖くてシクシク泣きながら過ごす日もあります。立派なんかじゃ全然ないです。でもだからこそ、死にたくなる人の気持ちの近くに居ることができます。
えらそうかな、上からかな。
でも「わかる」って言葉は使いたくないんです。どんな気持ちもその人自身の持ち物だから。苦しいもしんどいも死にたいも自分だけのもの。だから余計しんどいし、誰にも話せないですよね、死にたくなりますよね。
夏休みの終わり。どんな言葉をかけてほしいですか?
どんな言葉も響きませんか?どうしたいですか?胸深くにある、1番大事にしたい気持ちはなんですか?
死にたいの中に隠れている、1番大事にしたい本音は「逃げたい」じゃないですか?
逃げていいですよ、頑張らなくていいです。
「逃げたら、頑張らなかったら、その後責任とってくれるんですか?」って、もし言われてもわたしにはそれはできないけれど、その決断にわたしは心から褒めるだろうし、認めると思います。逃げたって誰かが死ぬわけでもないし、頑張らなかったからと言って、世界が戦争になるわけでもない。
好きなアイスを食べたり、暖かい飲み物を飲んだりしてみてくださいね。ありきたりかもしれないけれど、ほろほろ涙がこぼれて100苦しかったのが50苦しいになるかもしれません。上等じゃないですか。だからなんだって感じだったらごめんなさい。
死にたい夜を、誰かが超えられることを心から願っています。