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4年


3月14日、世間でいえばホワイトデー。
心も体もここではないどこかにいってしまいたくて、隠されていた薬を見つけ出し、すべて飲み込んで、家を飛び出した4年前。

毎年書いている。
それでも今年も書きたくなったので残すことにする。


苦しい毎日が続いていく感覚、まわりの理解は得られない、大人になることへの気持ち悪さ、うまく言葉にできない感情、ただただ苦しくて死にたかった日々、それでも死ねないで腕を切ってばかりの自分、すべてが嫌だった。何もかもから逃げたかった。今の薬は安全で、死ねないこともわかってた。だから、少しの現実逃避。そんなつもりだった。


あのときに戻りたいとは思わない。
でも同じことがしたくない、とは、はっきりと言い切れない。
だって、もう全部忘れられる、もう何もかもわからなくなる、一時的に楽になれる、思考のループから抜け出せる、そう思って、実際に記憶がない時間があること、それはとても快感だったから。何も知らない時間はわたしにとっては間違いなく幸せだったと思う。


今でも手元に薬があれば同じことをしてしまうと思う。つらい気持ちや、自分の落ち込んだ気持ちへの寄り添い方や、気持ちの切り替え方がまだまだわからなくて、ヒビの入った泥団子に水をかけながら、一生懸命丸めて、固めて、きれいな泥団子にしようとしているような、そんな感覚。自分で作りあげた、自分のものなはずなのに、扱い方がわからない。

それでも自傷行為も自己破壊行動も少しずつ減っていると思いたい。他人を信じて話をするということも少しずつできるようになっていると信じたい。23年で作りあげられたつらい気持ちが、ちょっとやそっとで簡単になくなるなんて思わないで、投げ出したくなりながら、向き合えてると思いたい。

自分の心や気持ちなんてクソだ、どうでもいい、もう大嫌いだ、めんどくさい、わたしなんかやめてやりたい、となるときもある。
そんなときに「診療時間内ならできるだけ話聞いてあげるからすぐに電話しておいで」と優しく言ってくれて、試すように待合室を抜け出すわたしを「寂しかったね、ごめんね」と言ってくれた主治医の存在、誕生日を毎年祝ってくれて、どうでもいい話を永遠に話して旅行に一緒に行けるような友人、落ち込んでることを察するかのようなタイミングでわたしの前に現れる親友、過呼吸になりながら電話したり、興奮状態で泣いているわたしを優しく慰めてくれる彼さん、無断欠勤をしても対応して休ませていただいて「ミホさん元気になって本当によかった〜」と言ってくれる仕事先の方々、焦らせず見守ってくれる家族、本当にいろんな人が寄り添ってくれて、そのおかげでわたしは23年生きてこれたんだろうなあと思う。

今は、その恩を返すよりも、自分らしくのんびり生きたい。心の余裕を持って、まわりにいる誰に対しても優しさを持って付き合っていきたいと思っている。もちろん、まだまだで、優しいどころか困らせたり大変な思いをさせたりすることもあるけど。


つらかった気持ちはなくならないし、起こした過去もなくならない。一度思った気持ちや、体験した快感を忘れることもできない。それでも、その誘惑に扉を閉めて、現実に向き合っていかなくてはいけない。本当に大変だ。


ホワイトデー。
今年は実は、なぜだかすっかり忘れていた。きちんとしたプレゼントをバレンタインに贈っていないのに「ホワイトデー、いつか返すね」と言ってくれた彼の言葉で気付いた日。

もう過去なんて忘れてもいいのかもしれない。幸せにひたひたに浸かっていてもいいのかもしれない。でも、過去の自分をなくしては、今の自分はここにはいない。とてもつらかったし、行動を起こした自分を誇りに思うことなんてできるわけないけれど、それがなければ生きてこられなかった。愛おしい存在だと感じる。


わたしが現実逃避と思って起こした行動はまわりには「自殺未遂」と言われた。だから、4年前のホワイトデー、わたしは一度死んだのだ。

忘れられず、書きたいことを書いているわたしは、まだ過去に起きたいろんなことや、自分の丸ごとを、受け入れられてないんだろうか。いつか大切に、抱きしめることができるんだろうか。


もう4年、それでもまだ4年。
来年のホワイトデーはもっと違う気持ちになっているのかな、10年経ったらどんな気持ちを思うんだろう、なんてことを思うくらいまでになっている。


どうか、わたしが未来も生きていますように。
自分のことも、まわりのことも大切に、優しさを持って、付き合っていっていますように。


2021年、3月14日、ホワイトデー。



#エッセイ #ホワイトデー #3月14日

わたしの文章で何かできそうなことがあれば、全力で力になりたいと思っています。