〜【賞レースとは】自分の空手選手人生と重ね合わせてみたら。前半〜
お笑いの賞レースといえば「M-1GP」「THE W」「キングオブコント」「R-1ぐらんぷり」「ABCお笑いグランプリ」「上方漫才大賞」など…年間通して何かしらのナンバーワンを決める大会があり芸人さんはその称号を目指して心を燃やしていると思います。
また、M-1GPの特別審査員だった島田紳助氏は出場できるコンビとして結成期間を決めることで「夢を諦められるように」と人生に一線を引けるよう、という意味も込められているそう。
実際、点数をつけられたり人と比べられることって「勝ちたい」とおもうことでモチベーションにもなるし自分を高めることになるが、そこに囚われてしまって潰れてしまう可能性もあります。そんな過酷な状況の中で目指す自分を見失わず、走り続けるのがどれだけ難しいかと私も少しはわかる気がして。
少し自分語りになります。すいません!
私は約20年ほど極真空手の選手&指導員として活動していました。(空手はいまでもしているが、過去系なのは試合から距離を置いているから)。空手には「型」と「組手」がありますが、基本的には「型」の選手として出場。試合に出ている時はまさに人生を空手に全振りしていたので、やりたいと思っていた仕事も遊びも全て後回し。365日、1日の半分は道場にいたのではないか。。というレベルで練習をしていました。クリスマスにひとりでひっそり練習をしていたのを友人に目撃されて「あぁかわいそうに」と思われていたのはちょっと悲しい。。ちょうどこの頃からお笑いライブにいくことがなくなった感じですね。
試合の上位常連選手は5歳ぐらいからはじめた方だったり、空手歴の長い選手がほとんど。そんな中、私は中学生の頃にはじめたのでかなりのスロースタート。大ハンデがあるように感じていました。だからその空白を埋めるようにとにかく練習・練習・練習・・・。地方の大会からコツコツ出場していたが、良くて4位とか3位とか。どうしても名を残している有名選手には勝てない!壁を越えられない状況が5年ぐらい続いていました。それなのに「全国大会でたいな…」なんて高望みをしていました。地方の大会でも結果を残せないのに全国大会なんか行けるわけがないとおもっていましたが、ある先生と出会った時「そんなの考えずにでてみたらいいんじゃない?」と言われて、意を決してエントリー。超無名の実績もない、地方でくすぶっている私がどこまで通じるのか、出てみないと全く分からないままとにかく練習ばかりしてましたね。型の試合のために組手の試合も出てそっちではなぜか優勝したりして(笑)
いよいよ全日本当日、試合の流れとしては受付をしたらクジで演武順を決めます。まさにM-1でいう笑神籤だ!!わたくし今までのクジ、なぜかほとんど前半を引くんですよね…トップバッターも3回ぐらい経験してて、M-1の1組目は点数が上がりにくいとか場が温まっていないみたいな感じめちゃくちゃわかるんですよ(笑)(笑)この初めての全日本もほぼ前半だった記憶が…。
「あーあの選手知ってる」「全日本チャンピオンの人だ」とか他人事とみたいにキョロキョロしながら試合コートへ。ど素人感満載だっただろうな!笑
いざ自分の演武順。もう頭真っ白のままなんも覚えてない。ほんとに生きてたのかと思うぐらい緊張してたけど、ミスがなかったのは練習のおかげだったな。勝手に体が動くところまで頑張って良かった!
まず予選は3位通過…(上位5人が決勝へいく)この時点でえ、マジで?ってなっててまた挙動不審……悲。
決勝はやはり百戦錬磨の先輩方に勝てることなく4位でフィニッシュ。初めての全日本、全国4位。まさかの決勝進出という結果で私の目標は変わってしまいました。
「全日本にでる。」から、「優勝する。」へ。
あの場所で自分のやってきた成果をみせて点数として返ってきてそれがランク付けされる恐怖と高揚感、次への目標ができることにすごくはまり込んでしまいました。ここからひたすら「優勝」するための空手漬け生活が始まります。