医師は患者から学ぶ:穏やかに死を待つ女性
とある日の午後。
診療所で、看護師からクミコさん(仮名)の訃報を聞いた。
クミコさんは、つい3週間前まで私が訪問診療をしていた患者さん。
3週間前に癌による痛みに耐えられなくなり、本人の希望で緩和ケア病棟に入院した。
入院後にお見舞いに行こうと考えていたが、結局最期まで会えなかった。
クミコさんはおしゃれで優しく綺麗好きな70代の独身女性。
1年前に顔に癌ができ大学病院で治療を受けていた。
再発後に投与された抗がん剤の副作用が強く、副作用に耐えた割には効果が無く癌がどんどん彼女の顔を侵食した。
口から食べられなくなり胃ろうを作ったものの、吐き気が強くて栄養を入れることもままならなかった。
半年ほど前から自宅を訪れているM訪問看護師によると、この2か月で癌が急速にクミコさんの顔に広がっていったという。
人間にとって「顔」は自分のシンボルであり、人とのコミュニケーションに影響のある大事な部分。
クミコさんの癌が悪くなっていく様子を看ていたM看護師は「看ている方も辛くて」と苦しい胸中を吐露してくれた。
大腸がんや胃がんはよく出会うが、顔が失われていく癌はM看護師も未経験。
忙しい病院主治医になかなか相談できず不安そうなM看護師に「病院受診が大変そうだし、私も一緒に訪問診療で診ようか」と提案した。
クミコさんも私の訪問診療を快く受け入れて下さり、クミコさんの訪問診療が始まった。
病院主治医から診療所への紹介状には、クミコさんの癌に対して治療を継続する予定であること、自宅での体調不良時の対応を診療所にお願いしたいことが書かれていた。
自宅を訪問すると、クミコさんは病気の部分をマスクで隠しぐったりとソファに座っている。
先日終了した抗がん剤の副作用でめまいや吐き気がすると、顔色も悪かった。
見る限り、余命1-2か月という印象だった。
クミコさんは癌で相当痛みを感じていると思われたが、鎮痛剤で吐き気が悪化すると使用したがらない。
それどころかクミコさんは、初めて訪れた私に「もう、大学病院には行かない。治療はもういいと、(病院の)先生に言ってください。」とはっきり言った。
これ以上辛い思いをしてまで、延命は希望していないんだと。
病院の主治医は、「癌病変」に対して手術に抗がん剤と次々に治療を提案した。
クミコさんは考える時間を十分に与えられず、治療を強く勧められ同意したものの、治療の結果良くなるどころかひどくなるばかり。
主治医は、顔が崩れていく彼女の心の傷を気遣うどころか、さらなる「癌病変」への治療を提案した。
クミコさんがどんな思いで治療の結果を受け止めているかも気にせずに。
そんな主治医へ、クミコさんは「もうやめて」と言えなかったんだろう。
私は「わかりました。それでは私から先生に、もう通院治療を希望されていない旨を伝えます。」と約束し、病院主治医に報告した。
そして毎週訪問しながら、吐き気や痛みなどの辛い症状に対して薬を調整した。
クミコさんは抗がん剤を中止後徐々に吐き気が落ち着き、自宅で落ち着いた時間を過ごすことで日に日に活気を取り戻した。
親族のサポートを受けながら一人暮らしをしていたクミコさんは、最期を病院で迎えたいと希望していたため、体力に余裕が出てきたところで緩和ケア病棟のある病院を紹介受診し、最期を迎える場所も確保できた。
クミコさんは訪問診療に切り替えて後に全身状態が落ち着き、毎週訪問する私たちを笑顔で出迎えてくれた。
身体がだるいであろうに、自宅は常に綺麗に掃除されていた。
クミコさんに残された時間は短い。
「やり残したことや、したいことをしてくださいね」と提案するが、「もう、やりたいことはやりつくした。こんな顔だから友人にも会いたくないし、こんな口じゃ美味しいものも食べられないもんね。早くお迎えが来ないかしら。」とあっけらかんとした返事が返ってくる。
食レポばかりのテレビ番組が辛いと思いきや、「美味しそう、って思いながら見ているの」と笑顔で話してくれた。
私は、独身で子供がいないクミコさんと自分とがオーバーラップする感覚を覚えつつ、クミコさんにどう関わるのが正解なのかを考えた。
自分が同じように死を待つ状態だったとして、どうして欲しいだろうと自問自答した結果、出した結論は「顔が変わっても、普段通り接してくれること」「病気の苦痛や、死を待つ孤独を和らげてくれること」と考えた。
M看護師や私は、診察・処置が終わるとクミコさんと故郷の話や外で見かけた事、世間で話題になっている事など、他愛も無い話をした。
クミコさんは癌の痛みがあったであろうに、楽しそうに話してくれた。
後に、クミコさんは私やM看護師の訪問を楽しみにしてくれていたと聞いた。
4か月ほど経ったある日、別れは突然訪れる。
病変の痛みが突如悪化し、寝られなくなったクミコさん。
病院へ連絡し、急遽の入院となった。
鎮痛剤が増量となり、ゴールデンウィークが明けたある日、静かにこの世を去った。
医師は冷静な判断が求められるため、患者への感情移入を抑えるよう無意識の力が働いている。
私はこれまで多くの人の最期を見てきたが、クミコさんは私自身と重なる部分があったせいか他人事に想えず、訃報に心が揺らいだ。
独身で子供のいない私。愛する家族がいない私には、延命してまで固執するものがない。
同じように癌を患ったら、クミコさんと同様の決断をすると思う。
でも、クミコさんのように平然としていられるだろうか。
自分の大切なシンボルでもある「顔」が癌で侵されていき、不安や恐怖で狂いそうにならないだろうか。
そんな私の心配をよそに、クミコさんは入院する直前までクミコさんらしく穏やかに過ごしていた。
親族を心配させまいと、彼らに病気の部分を見せることも無かった。
そして、この世への未練を感じさせず綺麗にあの世へ旅立った。
クミコさん、本当は心の中に不安や苦痛を隠していたんじゃないのかな。
顔以外の所の癌だったら、やりたいことがあったのかもしれない。
私たちの対応はこれで良かったんだろうか。
答えを知るクミコさんは、もうこの世にいない。
医師は診療を通して多くの患者と接する中で、記憶に強く残る患者がいる。
自分の心を大きく動かした人、自分に学びを与えてくれた人。
患者の人生に接し、苦悩し、医師は成長する。
今回のクミコさん。
病を受け入れ、生への諦めがつき、穏やかに死を待つ姿に私は畏敬の念を覚えた。
そして「立つ鳥跡を濁さず」のような清々しい引き際は、旅立たれた側の心に悲しく切なくも美しい余韻を残した。
クミコさんが活気を取り戻した様子に私たちは安堵し、逆に元気をもらうことができた。
クミコさんは、医師が患者を癒すだけでなく患者が医師の心を癒すことができることを教えてくれた。
後日M看護師と、お悔やみのためにクミコさんのご自宅を訪れた。
クミコさんからの遺言で、クミコさんが大好きだったお菓子を私たちへのお礼にと準備されていた。
自宅内は親族の手でさらに綺麗に掃除され、遺骨の周りに元気だった頃のクミコさんの写真がたくさん飾られている。
写真の中で、クミコさんは大きく口を開け笑っている。
クミコさん。
癌との戦い、本当にお疲れさまでした。
この世で思う存分笑えなかった分、天国ではその素敵な笑顔で楽しく過ごしてくださいね。
医師としてまた一つ、学びを与えてくれたことに感謝します。
私はきっと、あなたのことを忘れない。