追想:英国の風景と生き物たち
昨年末、英国に住んでいた頃に出会ったMさんとご飯を食べに行った。
世の中はクリスマスモード。慣れない池袋駅で待ち合わせる。
彼女と会うのは15年ぶりだったが、すぐにお互いを見つけることができた。
この日はメキシコ料理を食べながら、お互いの近況報告に終始した。
2005年から2年間、元夫の留学に合わせて住んでいた英国ケンブリッジ。
Mさんもまた同時期にご主人の留学に合わせて渡英し、ケンブリッジで楽しい時を過ごした。
あれからもう15年以上経つ。時が過ぎるのは早い。
Mさんと話しながら、あの頃の英国の風景がよみがえる。
英国は家賃が高く、1bed roomの部屋を間借りし大家さんと壁一つ隔てて住んでいた。
英国人の大家さん夫婦は毎日お庭を綺麗にお手入れ。
私たちは綺麗な庭を眺めるだけでよい、贅沢な時間を過ごせた。
ケンブリッジ(Cambridge)は大学が中心の街。
故郷の京都に似ている。
「ケム(Cam)川にかかる橋(bridge)」が名前の由来らしい。
オックスフォード(Oxford)と並び、全世界から優秀な学生が集まる街だ。
1749年に、釘一本使わずまっすぐの木材だけで作られたこの橋。
後年の学生が構造を確かめようとバラしてみたものの、結局釘なしで再建できなかったらしい。
ケンブリッジらしいエピソードだ。
大学が集まるCity Centreを少しでると、牛が放牧され鳥たちが住む緑のエリアが広がる。
木々や草原に囲まれ、散歩が快適だった。
英国では、日本でいうスズメやカラスなみにヨーロッパコマドリやクロウタドリを見かけた。
自然の多いケンブリッジ。ゴミをあさる野鳥は見かけず、彼らは自然の恵みの中で生きていた。
クロウタドリはカラスより断然かわいく、歌が上手だった。
大家さんが野鳥向けに設置した給餌器を狙って、よくリスも現れたなあ。
日本では、医師になるために小学生からがむしゃらに勉強し、卒業後は専門医を取得するため6年間、朝から晩まで働いた。
30代にして初めて勉強や仕事から離れ、自然や動物、鳥たちを眺めるだけの贅沢な時間を得た私。
英国でのゆったりした時間が、私の英気を養ってくれた気がする。
英国は日本と同じ島国。
日本人とは異なり、英国人は全世界を見渡す視野を持っていた。
日本人がいかに自国のことしか見ていない「井の中の蛙」かを痛感する。
また、外国人として生活する体験は新たな視野をくれたし、日本人としてのアイデンティティは強くなった。
英国から受けた影響は、私の心の一部に今でも根付いている。
英国の人たちは皆自分の意見を持ち、とても紳士的だった。
知らない人でも街ですれ違う時は、目を合わせにっこり。
「あなたに敵意は無いですよ」という意思表示だ。
電車の中や街中で、レディーファーストや高齢者への気遣いは当たり前。
運転していると、よくにっこり「どうぞ」と道を譲ってくれた。
英国は「食べ物がまずいところ」と残念そうに日本人は言うけれど、英国人のマナーや成熟したやり取りは美しく、見習いたいと思った。
日本に帰り、生活は便利になったし食事もおいしくなったが、老人を前に席を立たない若者や、隣人に挨拶もせず無視する日本人を見て寂しく思ったものだ。
休日はグランチェスターでティーを飲んだり、白鳥を眺めたり。
英国は近くに自然が当たり前に息づいていた。
英国のこういった風景は何百年前とそう変わらないのだろう。
進化論を唱えたダーウィンも、この景色を見ていたのかな。
経済性や利便性を追求し続ける日本。
人々はスマホに目を落とし、イヤホンから好みの音楽を流し、自分仕様の時間を過ごしている。
子供がはしゃぐ声は騒音とみなされる。
都会は近代化が進み、目まぐるしく変化していく。
自然はどんどん追いやられ、ゴミ一つ落ちていないコンクリートジャングルが礼賛され、人々が集まる。
東京に住んでいて、私は時々息苦しさを感じる。
自然の息遣いや移ろいに心をゆだねる時間が欲しい。
英国のように、ちょっぴり不便だけど自然を近くで感じるゆったりした環境が私にはあっているのかもしれない。
自然を追い求め、私は休日になると野鳥探しに出かける。