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多良福

『釜石ラーメン物語』という映画が昨年公開された。放蕩していた娘が、父と妹の切り盛りするラーメン屋に突然帰ってきて、ひょんなことから東日本大震災で行方不明になった母のラーメンの再現に挑戦することになるというコメディータッチの作品だ。釜石を知る者は、あ、ここあそこだ、とロケ地に注目すること必至であり、釜石ラーメンを知る者は、これ観終わったらラーメン食いてえ、と垂涎すること必至の映画だった。

 わたしはラーメンよりも蕎麦派だ。一人で外食をするときに蕎麦屋を差しおいてあえてラーメン屋に入ることはほとんどない。背脂チャッチャだったり、麺バリカタだったり、煮干しニボニボだったり、人間の欲望をそのまま丼に盛ったような食べ物を好んで食べようとはおもわない。そんなわたしがすっかりラーメンフリークと化したのが、大槌に赴任していた一年だ。

 配属された部署の直属の上司は現地の職員で、食通だった。着任して早々、一枚の手書きのメモを渡された。大槌にいる一年のうちに行くべき飲食店リストをくれたのだ。大槌、釜石、大船渡、陸前高田、山田、宮古といった近隣の沿岸地域の店がジャンルごとに合わせて二十ほど一覧になっている。わたしはその上司の下の名前を冠して「◯◯リスト」とこれを呼び、一覧にある店を訪れては報告するという職務を一年とおして忠実に遂行した。

 余談だが、大槌では同じ名字の人が多いから、目上の人であっても下の名前にさん付けで呼ぶのが普通だった。地方ではよくある話なのかもしれないが、職場の上司は名字にさん付けか役職で呼ぶのが当たり前だったから、初めは新鮮に感じた。大槌の場合は佐々木、阿部、三浦などが多く、役場だけで何人もいた。

 手打ち蕎麦をメインに提供するいわゆる蕎麦屋は、当時の大槌に一軒もなかったのではないか。かわりにラーメン屋はいくつもあった。隣町の釜石には「釜石ラーメン」と呼ばれる独特のラーメン文化さえあった。「鉄の町」として古くから栄え、製鉄所で働く者たちが出勤前に食べたラーメンが発祥といわれる。それゆえ今も朝早くから営業している店が多く、朝早くに食べるゆえ味つけは極めてあっさりしたものだ。琥珀色の透きとおったスープに極細のちぢれ麺という釜石ラーメンのスタイルを踏襲するような店が、岩手県沿岸には点在している。上司のリストにもラーメン屋が多くノミネートされており、ラーメン嫌いだったわたしも必然的に足を運ぶことになる。

 まずは釜石ラーメン発祥の店とされる「新華園本店」(支店、NAKAZUMAと合わせて新華園は三店舗ある)。明星食品とコラボしたカップラーメンも出たほどの人気店だ。津波の被害を受けて改修されたという店舗はいたって普通の町中華。ラーメンはそのシンプルさに驚いた。ネギ、メンマ、チャーシューという最低限の具。東京のラーメンのイメージからすると、中華そばといったほうがしっくりくる。戦いを挑むかのように丼と対峙する東京のラーメンとは違って、見た目どおり優しい味のスープが身に染みていく。なるほどこれなら朝からでも食べられるし、製鉄所での労働で疲れた身体にもいい。

 新華園本店を手はじめに岩手県沿岸のラーメン屋をしらみつぶしに食べて行ったが、衝撃的だったのは山田にある「藤七屋(とうしちや)」だ。釜石ラーメンのシンプルさをさらに研ぎ澄ましたような中華そばだ。あと少しでも味のバランスを失したらラーメンであることをやめてしまいそうなほどあっさりしている。正直いって、初めて食べたとき、これで金を取るのかとおもった。うちでつくれるんじゃないか。いや、この吹いたら消えてしまいそうな繊細なスープは一生かかってもつくれないだろう。

 一番気に入って何度も通ったのは、宮古にある「多良福(たらふく)」。今でもそれを食べるためだけに岩手に行ってもいい。四人がけのテーブルが四つしかない狭い店内はいつ行っても満席。待合席でじっと順番を待つ。相席は当たり前。ぺこりと頭を下げて知らない人の隣に座る。メニューは中華そばのみという潔さ。注文する数だけ店員に伝えてじっと待つ。ほどなくして運ばれてくるのはスープがこぼれそうなほどに入った丼。チャーシュー二枚とネギ、メンマ、特徴的な三角形の海苔が申し訳なさそうにのっかっている下には麺、麺、麺。スープがひたひたになるほどの麺。釜石ラーメンよりも太く食べごたえのあるちぢれ麺。多良福はこの麺がとにかくうまいのだ。蕎麦派のわたしにいわせると、麺の味が勝負の蕎麦に比べてラーメンはスープの味に頼りすぎで、麺がなおざりに感じられるのが好きになれない一因だった。多良福は違う。麺にしっかりとした風味がある。仮にスープがなくても食えるとおもう。ああ食いたい。

 客はみな静かだ。数人で来ている客も丼が運ばれてからは黙々と食う。丼いっぱいのスープから湯気が立ちのぼる様は風呂のよう。知らない者同士が黙って肩を寄せあうここは銭湯か。いや、もはや知らない者同士ではない。正面のおじさん、わたしはあなたを知っている。家族や友人にも見せない裸体を他人同士見せあう銭湯のように、今わたしはおじさんが中華そばをすする姿を見てしまった。知ってるよ、まずはれんげでスープを三口飲むこと。知ってるよ、次にチャーシューを一枚ほおばること。知ってるよ、麺は丼の縁に口をつけてすすること。もしかして、奥さんや学生時代の友達も、おじさんのその食べ方知らないんじゃない? いや、もし奥さんや友達がいなかったらごめんなさい。でも大丈夫。わたしは知ってるよ、あなたがここにいたこと。

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