そう。
昨日幼なじみ?と言うのか、そんな久しぶりでもないけど子供の頃からの友達と会って「毎日何してんの?」と聞かれて「本当に毎日ずっと進撃の巨人観てる。ずっと…」と答えたら、
「なるほど。でも私は、そうなると思ってたよ」
と、言われた。
「そうなると思ってたよ」
どんな種類の予言だよ。
「なんか、あなたは、本当は、そういう人じゃん」と言われた。
そういう人、とは?は、ともかく
彼女は郵便局員と結婚して、娘が2人いて、実家の近くに住んでいて、なにやら忙しそうに暮らしている。
そう言われてみると、わたしも彼女に対して
「そうなると思ってたよ」
と、言えるような気がする。
子供の頃、中学生の頃、高校の頃、大学の頃、ずっとお互いを見ていて、そりゃあ色々あり、そりゃあ色々なことを考え、そりゃあもう、(お、おまえ、どうした?)みたいな時期も互いにあり、でも今思うと
「この人は、こんな感じになるんだろう」
ということをわかっていたと思う。
彼女に何があっても私は常に彼女に対して
(でも、この人は最終的には安定した仕事の優しい男と結婚して子供を産んで実家の近所に家を建てたりするんだろう)と思っていた。
彼女は、私のことを
(この人、なんだかんだで最終的には部屋に引きこもって進撃の巨人をずっと観てるんだろう)
と思っていたのだろうか。まあそこまで具体的ではないにせよ。でも、
「そうなると思ってたよ」
と言われて、全てが肯定されたような気がした。
どんなに楽しくても、どれだけ満足していてもどこかで
(こんなんでいいのかしら…人生…)みたいな気持ちは常にまとわりつく。
それが
「そうなると思ってたよ」
の一言で、
(そうだ、そう、私は、そうなんだよ!)
という、これが、自己肯定感ってやつ…?
違う。自己肯定ではなく、(そう。私は、そうなんだよね。)というただの揺るぎない気持ち。諦めに似た、安心。
私は、そうなんですよ。
まあ、まだ先の事はわかりませんが…
そうじゃなかったりして…
まさかの…