
#84.【希語メモ#3】 苦痛で尋問する牢番の試金石 [βασανίζω/𓃀𓐍𓈖𓈙]
最近、印欧語族のアナトリア語派が気になっている。西岸がエーゲ海に面し、ペロポネソス半島の対岸にあり、ペルシャ戦争やアレクサンドロス大王の東方遠征の舞台となったため、ギリシャとペルシャの狭間というイメージがある。確かに沿岸部はそうかもしれないが、内陸部には古代より、ヘレニック語派でもイラン語派でもない、印欧語族アナトリア語派の国家群があった。代表的なもので言えば:
ヒッタイト帝国(紀元前1586-1180年)
首都:ハットゥシャ
競合:エジプト新王国・
中アッシリア帝国・
ミタンニ帝国
リュディア王国(紀元前680-547年)
首都:サルディス
競合:メディア王国
その後、アナトリアはアケメネス朝ペルシャ、アレクサンドロス大王の遠征、ヘレニズム(リュシマコス朝→セレウコス朝)と時代を経る。セレウコス朝時代の紀元前3世紀にはケルト人の一派が侵入し、ガラティア王国を建設する。ギリシャ語の Γᾰλᾰ́της (Galátēs) は ケルト祖語 *galnati (“to be able”) から来ているようだ。ギリシャ語でケルト人のことを指す語 Κελτοί (Keltoí) は ケルト祖語の *kel-to (“to strike; to fight”) さらには印欧語根の *kelh₂- (“to beat”) から来ていて、ケルト人は勇敢な戦士で知られていたことが伺える。
その後のローマ時代には、土着のアナトリア人だけでなく、ローマ人・ギリシャ人・トラキア人(系統不明のバルカン半島の印欧語族)・ケルト人・セム系民族が入り混じる場所だったのだ。その後、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)時代を経て、オスマン帝国・そしてトルコ共和国へと現代に繋がる。アナトリアは常に民族が行き交う舞台だった。
印欧語族アナトリア語派に含まれる言語は
ヒッタイト語
パラー語
ルウィ語
リュディア語
カリア語
リュキア語
ピシディア語
シデ語
アナトリア語派の言語はすべて死語になっている。
楔形文字やアナトリア象形文字やアルファベットなど、場所と時代によって使われている文字は多岐に渡るようだ。特にヒッタイト語は多数の粘土板が発見されインド・ヨーロッパ祖語の研究に大きな影響を与える。
古代のリュディア王国と言えば、世界最古の鋳造貨幣 エレクトロン貨 Electrum で有名だ。鋳造貨幣で有名なだけあって、金の純度を検査する方式もこの地域の名前から取られたリュディア石というものがある。それにちなんだ語で面白いものがあった。
[Revelation 20:10] βασανίζω (vasanízo) "torment, investigate"
βασανίζω
← βάσανος (básanos, “touchstone”) +
-ίζω (-ízō, “verbal suffix”)
βάσᾰνος (básanos)
← Egyptian bḫn (“a hard stone”) 𓃀𓐍𓈖𓈙
リュディア石と呼ばれる黒い石。試金石と呼ばれる。この黒い石に金をこすりつけると条痕ができる。この条痕の色を、あらかじめ不純物の含有量が分かっている金をこすり付けて作っておいた条痕サンプルと比較し、金の純度を測定することができた。その語が時を経て色んな意味に発展する。
試金石
└→ こすりつけて金の純度を試す
├→ 試して判定する際の基準 → 裁判の判例
└→ 試練で試す・糾明する
├→ 投獄の辛酸
└→ 拷問の苦しみ
└→ 拷問係 → 牢番
βάσᾰνος は「苦しめる」ことに関わる語だが、文脈に応じてどのニュアンスで理解すべきか難しい語だ。なぜこの語が気になったかと言えば、"hell" 訳される語には実は複数の語があることを調べている途中で出て来たから。では hell という語は元はどういう意味だったのだろう。それは次回。