不安な自分を“傍観する”
もゆせいです!
僕はずっと前から不安に悩んでいました。何かに対して不安を感じると、そのことに手が伸びなくなって、動けなくなってしまうのです。
動けなくなるというのは本当に動けなくなってしまうのです。
例えば誰かと話しているとき、相手とのコミュニケーションに対して強い不安を感じたら、その場で体が硬直してしまいます。こうなると、しばらくは動けなくなってしまいます。
動けなくなってる間は何もしてないわけじゃなくて、常に頭の中でどうしたらいいかを考えています。だけど、考えれば考えるほど頭が混乱してきて、ますます動けなくなってしまう...
急に動けなくなると、周りに迷惑をかけてしまいます。話してる相手が急に固まって下を向いてしまうので、周りの人はどうしたらいいのか分からなくなってしまいます。
でも、自分はずーっと自分の中で不安に苦しんでて、いくらか時間が経ってようやく、「ごめん、またしんどくなってた」と相手に言えるんです。
...この不安で体が動かなくなってしまうの、どうにかできないかをずーっと考えていたのですが、最近になってようやく糸口が見つかったので、今日はそれについて話そうと思います。
最初に断っておくと、今回話す不安は、「何かに対して不安を感じている」とわかっている状態の不安です。
「日常生活を普通に送っていたら、突然強い不安感に襲われて、めまいや動悸が起こった」という感じの、対象が分からないけど、不安を感じて苦しくなってしまう状態の不安とは、違うと思われます。
なので、そういった不安への対処にはあんまりならないかなって思います。ごめんね。
不安で動けなくなるとはどういうことか
自分が不安で動けなくなるのは、今感じている不安のせいで、不安の原因である課題に取り組めなくなってしまうからだとわかりました。
課題に対して不安の感情が生まれると、課題を解決して、早くこの不安を晴らしたいという意思も同時に生まれます。
不安は嫌な感情です。なので、不安が強くなれば強くなるほど、課題を解決したいという意思もよりいっそう強くなります。
しかし、不安という感情はなかなか厄介なのです。不安は、感情であるにもかかわらず、この課題に取り組むとこんな困難にあうだろうという心配を、自分の頭へと送ります。
もちろんこの心配は主観的な予想であって、その課題のもつ情報ではありません。そもそも、モノの情報は自分の頭で分析して得るもので、感情が手に入れることはどうやってもできないのです。
ところが、不安が送ってくる心配はかなーり鮮明で、思考に強く訴えかけてきます。
自分が失敗している様子や、誰かを傷つけてしまっている様子が、はっきりとした映像として頭の中に流れるのです。
こうなると、不安の作り出す心配を、あたかも、それが課題に付随する情報であるかのように、考えるソースとして思考が受け取ってしまいます。
この、「この課題にはこういう困難があるかもしれない」という心配と、「この課題は不安を晴らすためにやらなくちゃならないこと」という最初の意思が合わさって、課題は自分の中で「しなければならない辛いこと」という認識に変化してしまいます。
原因である課題を潰せば今感じている不安は無くなるのに、発生した不安のせいで、その課題に取り組むこと自体が辛くなってしまうのです。
すると辛い、しなくても不安で辛い。ではどうなるかというと、現実から目を逸らして自分の内の中に閉じこもっちゃいます。閉じこもって、常に生まれる不安と戦うことになる。
はっきり言うと、課題に直接立ち向かわずに、この不安を落ち着かせるにはどうしたらいいかを頭をフル回転させて考えて、しんどくなってしまうのです。
これが、不安で動けなくなるということです。
不安で動けなくなっている自分を傍観する
この状態は、「課題の何を不安に思っているかを明確化して、そして不安に思っている自分を傍観する」ことで脱することができます。
まず、これはお友達が前の記事にコメントで教えてくれたことなんですが、自分は課題の何を不安に思っているかを明確化します。
例えば、さっきのコミュニケーションの例だと、「さっきの振る舞いは、相手を傷つけてしまったんじゃないか」とか、「この言葉は不適当な言い方だったんじゃないか」とか、何に対して不安に思っているかをすくい出します。
ただ、これについてあんまり考えすぎるとまた別でしんどくなってしまうので、はっきり分からない場合は、「とにかく自分はこのこと(課題)について不安に思っているんだ」ということだけを抑えて、次に進みます。
次に、それに対して不安に思っている自分を傍観するということをします。
傍観するとは、「ああ、自分はそれについてこういう風に不安に思っているんだな」と、自分の心の動いている様子を見ることです。
最初に言っておくと、これはフル回転している頭を落ち着かせるために行います。
しかし、自分から考えるのを止めることは絶対にできません。今考えている頭は、溢れ出る不安から自分を防衛するために必死に動いているので、それを止めることは無理に近いです。
なので、暴れる考えを止めようとはせず、逆にそれらもひっくるめて、ゆっくりと、自分を遠くから観察します。
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これは、頭と心は別であることを再認識する作業です。
不安は、心から生まれた感情です。だけど、不安は嫌な感情なので、頭にこの感情を取り消すように促します。
本来人は頭で考えて行動します。頭で考えて、頭で判断して体を動かすのです。
しかし、不安に襲われているこのときだけ、人は感情に命令されて考えます。この考えた結果から、同じように行動しようとします。
しかし、このことを人はよく忘れてしまいます。先ほど言ったように、心から生まれた不安は鮮明な心配を頭に送ってきます。これが心由来の不確かなものなのか、それとも頭で分析して得られた確かな情報なのかが分からなくなってしまうのです。
これもまた、先ほど言ったように、本来人は頭で考えて行動します。頭は、課題に取り組んで、この不安で辛い気分から脱したいと言っている。
だけど、頭はこうも言うのです。「この課題に取り組んだらこんな困難に見舞われる」
...心が送ってきたものをあたかも自分の頭で考えたことだと錯覚してしまったのです。
このような錯覚が起こってしまうと、頭が矛盾した意識を同時に言っていると自分の中で考えてしまいます。
やって辛い気分から脱したい。だけどやったら辛いからやりたくない。この2つはせめぎ合って、ますます自分を追い詰めてしまうのです。なんせ、矛盾した考えをしてるのは自分なのだから。
...頭を落ち着かせて、不安を取り除くためには、まずはこの錯覚を取り払わなければなりません。
「ああ、自分はそれについてこういう風に不安に思っているんだな」と心が不安を感じているのをしっかりと認識します。
心がそう感じているのを認識できたら、今辛いのは、課題に取り組むことへの心配を真に受けて、その上で課題に取り組むことを考えているからだということを理解します。
ここまでして、ようやく平常心を取り戻すことができるのです。
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...色々長々と述べましたが、やるべきことは「何に不安なのかを明確化して、不安に思っている自分を傍観する」ことです。
先ほど述べた思考の過程(::で囲まれている部分)なんですが、実は無意識のうちに行われるものなのです。ほんとほんと。
これをやると、この内容が言葉では描画されずに、一瞬で頭の中に流れます。一応、今回の記事では自分の中で何が流れているかを全て文字に起こしてみました。
なので、さっきの::で囲まれてる部分は覚えなくていいです。それよりも、「不安で動けなくなるとはどういうことか」の内容と、「不安の対象を明確化して、自分を傍観する」ことを大事にした方がいいです。
おわりに
こんな感じで、ひとまずはなんとかやっていけそうな対処法を僕は見つけました。未来の自分が後で見れるようにするのと、同じように不安で苦しんでる人の参考になるかなーって思ったので、今回記事にしてみました。
とにかく、「なんで動けなくなるのか」「動けなくなったら、まず何に不安を感じているのかを考えて、そして不安に思っている自分を傍観すること」を意識してほしいです。
最近見つけたばかりの対処法なので、まだまだうまく言語化できてないところがあります。整理がついたらまた記事に書き直すかもしれない...
うー、3500文字!!!疲れたなぁ。ここまで読んでくれた君もありがとう!!お疲れ様〜!!
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