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やる気を「出させる」こと!

 もゆせいです!!勉強机なう。

 とにかくやる気が出ませーん。目の前のタスクに取り組みたくない。
 前回の記事で書いた「暇」の状態になっちゃってるのですが、いかんせんやる気が出ないので体が集中しようとしないんです。

 何もしてないとそれこそ暇を感じて苦痛になっちゃうから、暇つぶしをするために今noteを開いたところなんです。うーん。

 というわけで、今日はちょっとやる気と自分について色々考えてみたいと思います。

僕の「動き出し方」

 「やる気は物事に手を付けてから出てくるものだ」とか、「そもそもやる気なんてものは存在しない」なんて話をよく聞きます。
 なんですけどー... こういう話に対して“僕は”「違うなー」って思っちゃうんです。

 僕が普段行っている「動き出し方」だと、これらのやる気についての話は当てはまらないのです。

 僕が何かに手をつけるのは、ソレに対して頭で色々考えてからになります。
 例えば、タスクであるソレに対してやる気が出たのなら、やり始めます。また、ソレの詳細を聞いて興味が湧いたのなら、自分もやってみようとします。考えを巡らせて至った気持ちが、原動力となって、僕は行動するのです。これが、僕の「動き出し方」です。
 逆に、頭で色々考える段階で、やる気や興味が湧かなかったら、もうめっきり手を付けません。原動力がないので、そりゃ動かないよねって感じです。

 今僕はこういう動き出し方の元に動いているわけです。

 そこに、「やる気は物事に手を付けてから起こるものだ」とか、「やる気なんてものは存在しない」とか言われても「...はて?」となってしまうのです。これらは、やる気や興味を原動力に動いてきた自分には合わない話なのです。

この動き方の悪いところ

 ...でも、この動き出し方、あんまり良い考え方ではないですよね...
 やる気や興味が湧かないものには手を出さないで、バッサリ切っちゃうの、めちゃくちゃ良くないです。

 まず、やる気が出なくても(興味がなくても)やらないといけないソレを課されたときに何もできなくなります。単純に宿題どうするんだって話です。
 普段の僕はソレを期限ギリギリまでひきづって、「やらないとヤバイ」という焦燥感を原動力にして終わらせています。でもこれってすっごい非効率ですし、うっかり期限を過ぎちゃう可能性があります。色々危ない。

 次に、この動き出し方って新しいことにあまり踏み出せないんです。自分の頭の中で色々考えちゃってから判断するので、新しいものに対して興味が湧かなかったり、恐怖を覚えてしまったりしたときは、そのものが持つ世界を見ずに終わってしまうのです。食わず嫌いだ。
 その世界が自分にぴったり合うものだったらめちゃくちゃもったいないですよね〜。新しい楽しみを得られるチャンスなのに。

 こんな感じなので、実はこの気持ちを原動力に動き出すという考え方を変えたいと思っています。

動き出すにはどうすればいいか

 一応、既存の、自分の抱いた気持ちを原動力に動き出す動き出し方について、どうしたらうまく動き出せるかについても考えておきます。
 興味を無理矢理湧かす... のはソレに携わる人たちと過ごすのにあんまり良くなさそうなので、もう一方の、やる気を出すことを考えようと思います。

 ...とは言っても、それが分かってたら今こうして勉強机でnoteなんて書いてないんですがね。分からないや。

 ここで1つ、やり始めた後、集中してたらもうやる気とか関係なくやり進めるなーって考えたんです。集中してる感じが好きになって、やる気があるかどうかはもう忘れちゃうと。

 だから、やるためにやる気を出すというよりは、やり始めることにやる気を必要としないように、集中できる環境を用意することが必要なんじゃないかなーって思いました。
 今とやり始めた後を比べて、やり始めた後の方が良い状態なら、迷わずそちらの方に行くんじゃないかって思って。

 そう!僕の動き出し方って利益重視なんです。それをしたら自分に何かしら良いことがやってきそうだと考えられたら、すぐする。考えられなかったらしない、なんです。

 だから、している最中に良いことがくるような仕組みを考えられたら、なんでもすぐにやり始めちゃうんだと思いまいた。さっきの例だと、集中した状態が自分にとって良いこと、になる。

やる気は「良いことを求める気持ち」

 やる気って「良いことを求める気持ち」なのかもしれませんね。

 「やる前とやっている最中で、やっている最中の方が良い状態なら、やっている最中の状態になるように自分は向かうだろう」と言いましたが、自分の考え方のもと考えると、このときやる気が湧き出ているはずなんです。おお。

 さっき、「やり始めるときにやる気を必要としないように、集中できる環境を用意する(良いことを用意する)」と言いました。だけど、なんというか、この考えは少し違う気がしてきました。やろうとすると、やる気は確かに出ている。

 やる気は自分で出せるものじゃなくて、自然に出るもの。良いことがあることが自分の頭ではっきりとわかったら、湧き出てくるものなんだと思います。原動力というより、自分を後押ししてくれる力かな。

 何かをするのにやる気を出そうとすることはそもそもがおかしいのかー!やる気は出てくるもの。はー。

 じゃあ、自分を動かす原動力は何かというと、これまた、「良いものを求める気持ち」なんだよね。不思議!!!やる気だってそうなのに、なんでだろう。

 原動力の、「良いものを求める気持ち」は、恒常的に自分の中に存在するもので、やる気は、目の前の良いものを前にして、原動力から湧き出てきたもの... として考えると良いかもしれない!
 原動力の方の「良いものを求める気持ち」がジェネレータで、やる気が、ジェネレータから作られて出てきたエネルギー...みたいな...?

 今までは、エネルギーを出そう出そうとしてじーっとエネルギーのことばっかり見てて、実際のエネルギーが作られる源であるジェネレータのことが全く見えてなかった。ジェネレータさえ起動させれば、エネルギーが作り出される。

・やる気は出すんじゃなくて、出るもの
・やる気を出させるためには、恒常的な気持ちである「良いことを求める気持ち」を起こす必要がある

 これの元考えてみると、「やる気は物事に手をつけないと出ない」ってのも納得できる気がする... その物事に触れなきゃその物事の良いことは体験できないもんね

まずは触ってみる

 結局僕はどうすればいいのかというと、色々考える前に、まずは触ってみる練習をしないといけないんだと思います。頭が働く前に触れる、ことに慣れる!

 ソレの良いことは、ソレを体験してみないと分からないんだから、まずは触れてみることを意識してみようと思います。

 これは僕の場合の考えの筋道でしたが、他の人だと全く別の筋道で全く別の考え方にたどり着くかもしれない!よかったら教えてほしいなー

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