#015 青い芝生を眺めるうちは

 ツイッターでも少し触れたのだが、以前在籍していたオーケストラの定期演奏会が新潟であったので聴きに行った。毎年この時期に開かれているのだが、今年は珍しくお足元の悪い中での公演となった。いやぁ風が強いわ強いわ。

 今年は入場無料ではなくチケット700円であるせいか、入場数十分前になっても大して列ができていなかった。昨年来たときはどこから並べばいいか分からないぐらいの長蛇の列だったんだけどなぁ。やっぱり無料じゃないとあれなのか。これじゃあ昨年との比較ができないね。しなくていいけど。その分スムーズだったし全然人が入ってこなかったわけでもないし。

 いつもの3階席、演奏者側から見て右手方向。ここからだと演奏者全てのパートを眺められる。あまり人も座っていないので、ゆっくりと鑑賞できるというわけだ。
 先にロビーコンサートが、入場口近くで行われている。金管打楽器によるファンファーレがその開演を高らかに響かせ、それからフルート五重奏とストリングスによる演奏が続く。今年は心なしかいつもよりも演奏時間が短かったような気もするが、曲目の親しみやすさやサウンドは別の話だ。

 ロビコンが終わった後は元在団者権限でちょっとだけ関係者のお部屋に立ち寄る。現役メンバーとOB・OGとの再会。少し時間を空けただけでも印象は変わるものだ。それに比べて私ときたらこれーぽっちもアカ抜けておらず、人と会うなり色々と突っ込まれてしまうわけである。まぁ、でもこのやりとりも久しぶり。相変わらずすぎて逆に落ち着く。

 いよいよ、メインの開演の時間となる。電子機器の電源が切れているか、軽くボタンを押して確認する。今年は、ていうか毎年鳴らさないでいただきたい。私が在籍しているときの演奏会でも、ステージからも聞こえる程度に耳障りな着信音が鳴るということがよくあったのだ。クラシック、言ってみればアコースティックな演奏に電子的な音というのは、いやでも目立ってしまうわけだ。本来なら電源を切ってもらうのが最善であるが、どうしても公演中に連絡を交わしたい相手がいるというのならば設定を「マナーモード&バイブレーション機能オフ」にしろよ、と言いたくなる。まぁ、画面のバックライトのせいで迷惑なことに変わりはないが。
 いっそのこと携帯電話の着信音を取り入れた曲を作るというのはどうだろうか。交響詩「スマホの着信音」みたいな。絶対演奏したくない。

 さて、オーケストラ、といっても青少年で構成されているオーケストラなのだが分からない人のために大雑把な解説を入れておこう。

 本公演のオーケストラ、「新潟市ジュニアオーケストラ」は他の同様の青少年オーケストラとは若干異なり、3つのグループに分かれている。
 単科教室、A合奏教室、B合奏教室の3つ。公演に出ることができるのはA・B合奏の2グループである。
 ベネズエラにおけるエル・システマのように、楽器に触れたことのない子供でもプロの演奏家による指導の下技術を身に着けていき、そこからA・B合奏とグレードアップしていく。はじめは全く演奏の仕方が分からずとも、この定期演奏会で卒団する高校3年生の時期までには、大人も顔負けの演奏を披露することができるのである。真面目にやればの話だが。

 で、私は在籍中は何を担当していたかといえば、パーカッション(打楽器)である。誰だ、地味だなとか思ったやつ。パーカッションはステージにおいても最も後ろ側であり、リードを奏でる機会が他のパートに比べれば多いとは言えない。しかしながら、「第二の指揮者」とも呼ばれるこのパートはオーケストラにおいても重要な役割を担っている。ここが崩れると全体が崩れる、縁の下なのである。勿論縁の下に留まらず、時として他を差し置いて堂々と表に立ちおいしいところをかっさらっていくこともある。責任重大、しかしながら全体的にはおいしいポジションである。

 閑話休題。はじめはA合奏による演奏である。このA合奏は主に初心者~中級者で構成されている。しかし侮るなかれ、むしろそうしたメンバーたちが響かせるサウンドというのが、独特のカラーを生み出している一因である。シンフォニーのような曲目は無いとはいえ、演奏のレベルは高い。30分に詰められたそれぞれ毛色の異なる楽曲は、彼らメンバーの将来を期待させるのに十分であった。惜しむらくはメンバー的にストリングスや木管ばかりが目立っていたところか。人気だしね。途中で挟まれた曲目紹介も可愛らしかったなぁ。

 そういやA合奏の定期と言えば「いなかの踊り」あるいは「ペルシャの市場にて」が定番なのだが、今年はどちらもなかった。あ、昨年どっちも演奏していたんだった。

 一旦セッティングを挟んで真打・B合奏の登場である。今年はショスタコーヴィチとチャイコフスキー、なんちゅうロシア祭り。いずれも有名な曲であり、それだけに相応のプレッシャーがかかったことだろうと察するが、いやはや凄かった。自らの語彙力の乏しさを恨めしく思えるほどに迫力のある演奏。これだよなぁ、というか羨ましい。だってチャイ5だもの。どの作曲家でも5番は心が躍る。私も乗りたかったなぁ。あ、でもチャイ5はティンパニだけなんだった。それにしても今年で卒団となるパートリーダーの彼女は本当に上手い。特に第4楽章は複雑で難しいのに。見事にそれをこなし、難しさの裏側にあるおいしい部分までかっさらう。これだからパーカッションは魅力的である。

 1時間以上ある演奏が終わり、ホールは今年もやはりいたブラボーおじさんから始まり拍手喝采に包まれる。あ、指揮者の松村(秀明)先生が卒団者と握手交わしている。あんなの私らの代ではなかったぞ。でもトランペットとかパーカッションとか遠めの人にはエアーでやってる。まぁそれも仕方ないか。

 当然ながらこれで終わらない。この後にはアンコール恒例の「威風堂々」が待っているのである。毎年毎年同じ曲であるが、よくよく聴いてみるとその年ごとの違いが出ていて面白い。パイプオルガンの席に明かりがともり、ここにホール専属オルガニストも入ってボルテージがさらに高まるのである。そして私もお世話になった(散々迷惑をかけた?)パーカッションの講師もステージに登場。いいね、いいですね。

 トータル2時間ちょいの公演。本当に素晴らしかった。

 そんでもってやっぱり羨ましかった。

 先述した通り高校3年生はこれで卒団し、人生の転換期となる大学受験に専念することになる。最後の想い出に、こんなに素晴らしい楽曲を飾ることができる。有終の美が素敵やん。

 卒団は公演後、メンバー全員が参加して開かれる卒団会において行われる。ここでJOの想い出やらアドバイスやら、名残惜しくも挨拶とかを交わすのである。
 「私たちの代よりももっと素晴らしい…スーパーなJOを期待しています!」
 卒団式の壇上でそう言ったのは私である。なんとまぁ頭の悪さが露呈しているスピーチであった。しかし彼らは見事にそれを成し遂げてくれた。
 本番前に緊張するメンバーに一言声をかけた。「もうこれで卒団してもいいわ~と思えるように演奏できるといいね」と。毎年毎年言っているので結果的にお前らいつも卒団してんなということになるのだが、要は未練さっぱりなくして卒団できるといいよねということである。

 事実、私も卒団の日は思い残すことは無かった。自分たちで作り上げたあの時の演奏は、これまでの何よりも、そしてこれから携わるかもしれないもの何よりも上回っていたと自負しているつもりなのである。
 けれども自分が卒団した後の後輩たちの演奏はいつでも羨ましい。やはり心のどこかに、未練が残っている所為だからなのか。
 入団してからもう10年以上の月日が経つ。パーカッションに入った理由は格好いいからである。だがこのころの私はまだ、音楽に対してその醍醐味をちゃんと理解していなかった。ただただ、漠然としていた。
 それが理解できるようになったのは卒団する少し前ぐらい。8年以上も在籍していながら、遅咲きであった。未練はここから来るものであろう。もっと早く自分が理解することができたならば、もっと多くの音楽にめぐりあうこともできたかもしれないのに、と。今までに演奏した曲に優劣はなく、どれも素晴らしいものだった。ただ参加できなかった曲も多い。それに触れられる機会を、自分が自分で失わせていたのだと思う。

 途中で投げ出しそうになったことも、諦めなければいけなかったかもしれない事態に直面したこともある。けれども入団する前から、「いつかあの曲を演奏したい!」という願望を抱えていて、それが何だかんだ卒団まで私を引っ張り支えてくれたのだろう。私の知る限りで、同じパーカッションから卒団を見ずに途中で退団してしまったメンバーは4人いる。止むをえない事情があった人もいる。
 ひょっとしたら周りについていけず、それでやめてしまった人もいるかもしれない。実際はどうだったのか知ることもできないが、きっと心の中では「勿体なかったなぁ」と思っていると信じたい。やる気さえあれば誰でも始められる。最初は音の出し方すらわからなくても、次第に演奏がこなせるようになる。技術を身に付ければ、いろんな曲を自分の手で奏でることができる。こんなにも多くの経験を積めるオーケストラ教室なんて、そうそうあるものではない。

 大して周知させていないこのブログを訪れる現役メンバーは恐らくいないだろうけれども、一つ言うことがあるとすれば「何のためにやっているかが分からないと思ったら、曲を聴いてどんな曲を演奏したいかを心の中でリストアップしとけ」ということだろう。オーケストラで演奏できそうなものであれば何でもいい。CDやコンサートで他人の演奏を聴いているのと、自分で演奏するという二間には越えられない壁がある。普通じゃ越えられない壁の向こうに到達することが出来る、これが団員の特権なのだ。今はよく分からなくても、続けていくうちにだんだんと分かってくる。そして一つの結論に達しながら卒団を迎えることだろう、もっと早く気付くべきだったと。とっくに気付いとるわい、というのであれば勿論それでよし。他の人より得していると思います、やったね。

 残念ながら私は前者だったから。卒団するときの未練はなくとも、振り返ってみればまだどこかに未練を残していたから。自分の時には演奏できなかった曲を聴いて、羨ましく思って。いいなぁ、いいなぁと。

 そう思えるのが"楽しい"。
 
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 一時期は「絶滅危惧種」とも謳われたパーカッションも、いまやエキストラなしでも全然問題ない大御所になった。ということで私が再びあのステージに乗ることも当分ないことだろう、何よりだ。私がパートリーダーになったときは「エキストラなしでもやっていけるパーカッション」という目標を掲げていた。私が卒団して大分経ったが、安定としてレベルの高い演奏を発揮している。安泰である。

 ステージには知っている人も少なくなっている。だが、きっと私は行けるうちはまた来年、また再来年と行き続けることだろう。ずっと残るJOへの未練。今度はどんな曲を演奏してくれるのかな、そんな思いが自然と私の足を運ばせる。

 公演中。
 現役では許されなかった椅子の深座りも、観客となった今では何も考えずにしている。あ、盛り上がるところきたきた。私はいつかのように、浅く座り直し、背中を気持ちぴんと張る。左手と右手をマレットの代わりに、両足のももをヘッドの代わりに、あの頃を思い出しながら音を立てずに手を動かす。

 JOはJOY(楽し)。

 ひどく当たり前のことが、この上なく有難く感じられた瞬間であった。