#048 なんだかんだで難は逃れるもの
「#8月31日の夜に」
今月のnoteの企画らしい。夏休み明けは10代の自殺率が高くなる時期であり、そうした悩める子供たちに向けて当時の不安な出来事を文章にする...まぁNHKのハートネットTVでやっていたものみたいな企画である。
不安でもやもやした思い出かぁ。
学校のことなんて、正直早めに捨て去りたいという気持ちでいっぱいだったから当時の記憶はあんまりハッキリしていないけれど、そのぐらいには「いじめ」やら「やらかし」やらの類に関わっていたと思う。
いじめっていうレベルじゃないけど、ボールが顔面に直撃して緑内障になりかけた話とかね。あの時は視界が物理的に「もやもや」した。そういうことを話せっていう企画じゃないけれどね。いじめられっ子の立場に立っていた私は「あんまり面倒事に発展させたくない」として家に帰ろうとしたけれど、流石にそれはクラスメイトもまずいと感じたのか通学路を歩いていた私を引き留めて、保健室で診てもらうことになった。
下手すれば失明一歩手前ではあったものの、幸い大事には至らなかった。とはいえ何の影響もないというわけではなく、その日から左眼と右眼の視力に差が出来てしまい、眼鏡を購入するまでの間は物を視るのに苦労することとなった。
先生は頼りにならない。別に子供の「いじめ」じゃなくても、あらゆるトラブルには暗黙的にマニュアルが存在しその通りに動く。何度このマニュアルのせいで自分の関わるトラブルがうやむやになったことか。
学校やら教育委員会やらはいじめに対して高尚なスローガンを掲げているけれど、失笑ものである。所詮お前らなんか、自分たちの不利益にならないよう早めに厄介払いすることしか考えていないくせに。「いじめ」と認識していませんでしただの、そういった言葉がニュースで現れるたびに思う。自分の身は自分で守るしかないと。
そうした防衛本能の極限が自殺であるとするなら、ここに書く内容は ――既にグダグダ感も見えてるような気がするが ――果たして本当に、悩める10代に届くのだろうか。
もう書き始めちゃったから、このまま続けようとは思うけれど。
学校で楽しい想い出はあまりなかった。心を落ち着かせていられたのは妄想に浸っている時。ありもしない世界に、自分あるいは自分の分身を潜り込ませて、少し遠いところから世界を眺める。現実じゃ関わりたくもない嫌な奴が嫌というほど干渉してくるけれど、自分の頭の中なら誰にも干渉できない。言ってみれば「妄想の世界」が、自分にとって一番の憩いの場所だった。でもそれは別に学校じゃなくてもできる話なんだよね。寧ろ学校じゃない方が、もっと浸っていられるだろうし。
小学校や中学校は周りが鬱陶しかった。自転車の鍵だって壊されたし、先輩とも呼びたくない先輩からは挨拶がわりに妙な絡まれ方されたし。
それらは「いじめ」に近かったり、それほどじゃなくても気分のいいものではないことも多かった。強く物事を言えない自分の性格も災いしたのか、言い方が汚いけれど「糞の役にも立たない」大人達はこれといって真面目に取り合うこともせず、ただ自分が我慢するしかなかった。その大人が、つまらない…もしかしたら本人たちはウケるとでも思っている節がある授業を披露するのだ。これほどの苦痛は無かった。
気持ちを入れ替えて小中学校の知り合いが少ない高校に入ってみたものの、漫画のような青春ライフを満喫できるわけもなく「いじめ」みたいなことは起きなくなったかわりに単調さが増した。誰ともすれ違ったり、縦に並んで自転車を漕ぐことのない路を通って、ただ勉強して、終わればまた同じ道で帰る。同じルーティーンをひたすらに繰り返す、学校というよりかはやりがいのない職場に行くような気分だった。
ここに反抗期・思春期特有の家族への反発もあって、ますます居場所は狭くなった。思えば、とか今も感じていることだけれど私は親族には恵まれている方だと思う。家に帰れば美味しいご飯にだってありつけるのだ。家族だから、学校であった揉め事もちゃんと聴いてくれる。だけれど、当時の私にはそれを認識できていなかった。学校生活のフラストレーションが溜まり続けていくほど、家庭内のちょっとした行き違いでも荒んだ態度しか取れなくなっていたのだ。
風呂場のドアを蹴って壊したことなんかはまだマシな方で、高校生の時は自傷(リストカット)も経験した。まぁ、リストカットはどちらかというと喧嘩の勢いでやらかした事故に近いのだけれど。
あの日は一家で大騒ぎだった。不思議なもので痛みはそれほど感じなかったが、指で圧迫させていてもスキマから血が流れて、床に零れ落ちていく。普段はあまりこちらのことに口出ししない父が、思いっきり私を殴って診療所に連れて行った。
昔っから怪我が多かった私も流石にこの時は反省した。どうかしていた。今でもカッターナイフで深く抉った傷跡が残っている。手首を見返すたびに、馬鹿なことをやったなぁと苦笑い。
それから随分と時間が経った今、地元から随分と離れた所を「拠点」として生活している。高校までに多少いた友人もここにはいない、全く新しい生活。
長かったようで短かったティーンエイジャーの10年間。いっぱい馬鹿もやったし、挫折もそれなりに味わってきた。それでもなんやかんやでここまで生きていられたのは、そうした出来事を経験していくにつれて自分なりの結論を見いだせたからなのかもしれない。
なんだかんだで難は逃れられる。
例えば勉強。私にとって高校や大学の「受験」は、人生の分岐点として絶対に負けられない戦いだった。最低条件は国公立の学校に入ること。落ちて私立に入れば、自分の夢も楽しみも、今後色んなことを諦めなければいけなくなってしまう。特に大学は私立も滑り止めとして受けようかどうしようかと考えていたらとっくに締め切りを過ぎちゃっていたので、完全に自分で自分の首を絞めた状態からのスタートだった。
自分はたいして勉強ができない人間だったから当然不安でしかなかったのだけれど、何とか目標の学校に合格してここまで繋いできた。
鮮やかさなんて気にしていられなかった。泥試合でも通過できればそれでいいのである。
大学では講義も大変だった。誰に向かって話しているのか、ひょっとしたら壁にでも話しているんじゃないかと言わんばかりの説明には、どうしてもうんざりすることが多かった。課題とて何が何だかよく分からないまま始めていたので、「これ単位もらえるんだろうか」と毎度呟きながらも課題とにらめっこしていた。
こういうのを火事場の馬鹿力と言うのだろうか。人間、ある程度追いつめられると何とか切り抜けられるものである。モチベーションが上がりにくいなら人参を頭にぶら下げてみる。直近だと私の好きなアーティストのニューアルバム。これが終わればそれを聴けるから、とりあえずその日まで頑張ってみようという気分になる。で、実際なんとかなっちゃう。ひどく単純ではあるが効果的な方法だ。
いじめとか勉強とか、多感な10代は些細なことから重大なことまで兎角悩む時期である。「なんだかんだで難は逃れるもの」というのは、ただの思い込みにしか過ぎないのかもしれない。だけど私はその思い込みでここまでやってこれたのだから案外馬鹿にできないものである。座右の銘にでもしようかしら。
ピンチをチャンスに変える。さっさと払拭して楽になりたい悩みの種も、ひょっとしたらこの先で活かせる場所が見つかるかもしれない。どうにか抜けきれさえすれば、悩む過程で得られたヒントが自分を高めてくれることもあるだろう。
「いじめ」とて肯定するつもりは皆目ないけれど、何で自分はそれに巻き込まれているんだろう、自分は相手に何かしたのかなとか、例え自分が悪くなくても自己を見つめなおしてみることは大切だと、少なくともいじめの経験がある私はそういう風に考えている。
10代に関わらず、生きていくっていうのは辛い。
でも生きていれば、今直面している辛いことは「なんだかんだで」過ぎ去っていくものだと信じている。そのなんだかんだって何だよ説明しろ、と言われるとどうしようもないけれど、兎に角あれこれやっている内に問題は解消されると思っていれば心は軽くなれる。今までだって辛いことは色々あったけれど、なんだかんだここまでやってこれたんだ、だから今度のことだってなんだかんだでなんとかなるって。こんな感じにね。
そうなってしまえば、後に残るのは自分への強みと自信だ。「今日も、今回も何とか乗り切ってやったぞ、滑り込みセーフしてやったぞ」と、自分を思いっきり褒めたたえてそれまで散々悩まされてきた辛みに一泡吹かせてやろうじゃないか。ちょっと図太い位が、丁度いい。
人生の幸せと不幸せの数は決まっているとかなんとか、どこかで聞いたことはあるけれど、多分幸せの幾らかはこの時のために残されているのだろう。何もかも望みを捨てて、一瞬のうちに「幸せ」を使い果たしてしまわないように。
話がごちゃごちゃな、いつものパターンになってしまったが結局何が言いたいかっていうと。
大丈夫。なんだかんだで今日も明日も、その先もなんとかなるよ。
ってことだけ。
あと1週間で8月も終わってしまう。また憂鬱なものが目の前にどっちゃりと積み重なっている様を見せられるかもしれないけれど、そんな時こそ「自分ならなんだかんだで乗り越えられる」と信じて、あまり気負うことなく新たな日を迎えたい。
なんなん言いすぎてなんなん、という気分になってきたので今回はこの辺で。しかし、これお題の趣旨にあってるのかなぁ。一応ハッシュタグを付けて公開するけれど、運営側が外す可能性もあるんだね。
ま、その時はその時だ。なんやかんやでなんとかなる。そろそろしつこいね。おしまい。