#004 ボール紙の雀卓で

 私がテレビをあまり見なくなった間にどうも世界は大きく変動しているようで、国際秩序の在り方について今一度考え直さないといけない事態になっているようだ。「戦争と平和」は昔から対義の関係のように考えられているが、そもそも戦争も平和も何かとの対義を成すような概念ではないというのが私の考えである。あるのは秩序(があるように見えるも含んで)と混乱。平和でなくても一定の秩序を成している例はあるだろうし、混乱のさなかにあっても直接戦争に繋がる訳でもない。つまりは、なるようにしかならないのである。

 まぁこんな風に書き始めてしまったが、社会問題などこの場においては関係ない。「平和になるためにはどうしたらいいですか」みたいな、頭のネジが数本吹っ飛んだ典型的な質問には「公九牌の整理から始める」とでも返しておけばいいのだ。

 このネタが、ずっと周囲には理解されなかった。周囲の友人は麻雀を知らなかった。当時私は小学生だったか知らないのも無理はない、ていうか何で年端も行かないガキが知っているのだというツッコミが入っても無理はない。私が麻雀を知ったのは祖母の影響である。今月のnoteのハッシュタグが「#お母さん」だそうで、「じゃあ祖母もお母さんでいいよね!」と無理やり今回の話を引っ張ってきたということだ。なんという単純さ。

 麻雀を始めたのは幼稚園児の年長組だった頃。その頃は家には雀卓も、麻雀牌も無かった。あったのは旅行先や交通機関内などで手軽に遊べる紙麻雀セットだけ。ここから私はひとつずつ、メンツの作り方やら役やら、読みやらを祖母から教わった。祖母は何でも私の生まれる前は相当なキャリアウーマンであったらしく、麻雀に限らずパチンコとかでも負け知らずだったそうだ。そういうわけで対局しようにも全く歯が立たなかった。初めて間もないのだから仕方がないとはいえ、メンツを揃えて立直をかけるのに精いっぱいだった私に対し祖母は綺麗な手で上がってくる。何度も何度も放銃されまくって、点数があっというまにすっからかんになったのはいい想い出だ。

 「どうやったらそんなに上手く打てるの?」ふと私は祖母に訊いてみた。祖母は種も仕掛けもないように、「何事も経験だよ」とだけ応えてくれた。私はおばあちゃん子ということもあって、暇あれば麻雀を祖母と打っていた。本当にお前小学生か?と怪訝な面持ちをされそうだが、実際そうだったのだから仕方ない。その甲斐もあって、市販あるいはネットに上がっている麻雀ゲームをプレイすると難易度が高くてもそれなりにいい役を出してトップに立てるようにはなった。勿論対人だとさっぱりだが、ゲーム全般で何かと脳筋プレイしがちな私にとって、麻雀は数少ないちゃんと頭を回転させて遊べるもののひとつである。休みの日には、親族で囲んで麻雀もした。親族は皆、実力に差はあれどルールを理解していたので四人対局で何度も打ち合ったものである。

 が、周囲は何にハマっていたのかといえば、そりゃあ当時、というか今でも根強い人気を誇るポケモンやらなんやら。おそらく麻雀は名前ぐらいしか知らない。麻雀をしていた私はポケモンに疎かったのかというとそうではない。だが「麻雀やろうよ」と声をかけても、「ごめん、ルール分からない」と一言だけで返される。この状況は小学から高校までずっと続いた。それでも懲りずに、誰か知っている人を探して何度も何度も声をかけた。だって、麻雀は楽しいんだもの。

 それだけじゃなかった。私が通っていた小学校では、天候が悪くなってあまり外で遊べなくなる冬季に限ってトランプやUNOといったテーブルゲームを家から持ち込むことが出来た。その時すでに小6だったか、私は買った麻雀牌でいつものように友人に声をかけた。「何だったら、ルール教えてあげるからさ」と言って、麻雀のフォロワーを増やそうとしたこともあった。だがある日、麻雀をしようとした私が教師から注意された。「麻雀なんてするな」と。何で、と訊いたらどうやら「賭けに繋がるようなゲームは禁止」だそうだ。私はその言葉を疑った。主に大人がするであろう麻雀を、子供がやっている。それが奇妙に思えて言うのであればまだ良かった。けれども未だに教師の中では「麻雀=賭け」というイメージが根付いていたということに、驚きを通り越して呆れるしかなかったのである。

 教育者がそういうのなら片付けるしかない。悔しく、未練がましく私は麻雀牌を一つ一つケースの中に戻した。麻雀が賭けというのなら、トランプだってそうだろうに。大体、金銭のやり取りがあるから賭けなのであって、現に私たちは一円も出していないじゃないか… ちなみに私は小学校で麻雀倶楽部なるものを作ろうとしたこともあったが、無理だった。教師から却下されるのは目に見えていたことだったし、第一に人が集まらなかった。それだけハードルの高いテーブルゲームだったのだ、麻雀と言うのは。

 麻雀をしている時の祖母は楽しそうだった。私をかわいがってくれた祖母のことだ、私と対局するのが楽しかったのかもしれない。何にせよ、私も楽しかったことには違いない。気の合う人と頭を使いながら熱中しあえる、そんな場を提供するのが麻雀だ。何で誰も分かってくれなかったのだろう。私はその時少しだけ、世間での扱いを恨んだ。"余計なものを植え付けやがって"と。

 月日は流れ、祖母が体調を崩し、病院、養護施設の中で過ごすようになってからは、めっきりと麻雀をやることも減った。私の場合麻雀は一局するだけでも20~30分かかる。忙しくなってそんなに時間が取れなくなったのもそうだが、祖母という一番の対局者が家にいなくなってしまったのが一番大きかった。それでも感覚は忘れないようにと、親などとテーブルを囲んで何にもやることのない日に、年に数回麻雀を打っていた。麻雀マットの代わりに段ボールを敷いて、その上でジャラジャラと麻雀牌をかき混ぜる。四暗刻、小四喜、純国士無双。役満であがるたびに、まだまだ鈍っていないなぁと思う以上に、これは祖母から教わった賜物だと改めて感じた。さすがお局と言われた人。きっと、彼女は他の誰よりも気持ちよくあがれることの喜びを知っている。

 祖母は養護施設の中で、何をして、何を考えているのだろうか。そんなところにずっと居たって、退屈でしかないでしょう。また打とうよ。まだまだ敵わないかもしれないけど、昔に比べればそれなりに上手くなったんだよ…? 麻雀をするたびに、こみ上げてくる思いは強くなった。

 結局、それが叶うことのないままに大学生となって私は自分の故郷から出ることになった。大学生になる前の3月に、私は祖母のいる施設に訪れた。祖母は結構寝ている時間が長く、ここでも相変らずのようであった。いつもはちょっと声をかけると目を覚まして、応えてくれる。けれど私は敢えて起こすようなことはしなかった。代わりに私は、耳元でそっと話した。

 「入学式のためのスーツ、買ったんだ。今は持ってきていないけど…夏になったらまた、こっちに帰ってくるよ。そのときは、スーツ姿見せてあげるからね」

 祖母はちゃんと聞いていたのだろうか。眠っていたから、気づいていないかもしれない。いきなりスーツ姿で現れたらきっとびっくりするだろう。それはそれで、見たい気もする…その時からちょっとだけ、ワクワクしていたのを覚えている。

 「それからさ…また、麻雀しようね」

 私は帰り際に、こちらから一方的に約束しておいた。なんとまぁわがままな奴だと思うだろう。でも今までだって、祖母は嫌な顔を見せることなく色々ときいてくれた。もうこれからはそんなことも滅多にできなくなるのだ、これぐらい言ったってバチは当たるまい。

 それからしばらくして私は遠く離れた場所まで旅立った。


***

 夏にもならない、大学1年の6月手前。

 やっぱり祖母は話は聞いていなかった。

 入学式に着たスーツを慌てて鞄に詰め込んで、私は新幹線で実家へと戻った。新幹線の中で思うことはただ一つだけ。

 やれやれだぜ、と。

 言ったじゃんか。夏になったら言われなくても帰ってくるし、スーツ姿も見せてあげるし。まだそんな季節じゃありませんよ。どうしたんだ、私がいきなりいなくなったもんだから心配にでもなったのかな。ちゃんと起こしてその旨を言っておけば、わざわざ他の人まで巻き込まなくても良かったのかねぇ… 私は大分反省した。母が「聴こえるように言わないと、言ったことのうちには入らないよ」と、何回も私を叱ったのを思い出した。まだまだ子供だなぁ。

 いや、祖母からすれば私はずっと子供のままなんだろう。でもスーツ姿を見せたら、一体どんな反応をするんだろう。「随分と大人になったね」とでも言ってくれるのだろうか? 実家に帰ったその日の夕方に、私は祖母と再会した。

 当の本人は相変らず寝ていた。そりゃあもう、ぐっすりと。いやいやばあちゃん。スーツ姿が見たくて、私を呼び出したんじゃないの? ていうか、こんな時間に寝てると生活リズム崩れますよ?

 野暮な突っ込みは言葉にせず、私は黙って祖母のそばに座った。いつまでも変わらず、美しく白い肌。口元は微笑みをたたえていた。時間を気にすることなく、まじまじと彼女の姿を見つめていた。折角スーツ姿で来たというのにこれじゃあ、あべこべだ。こんなにも色が対を成していると恥ずかしくなるじゃないか…


 起きているならせめて約束ぐらい果たそうかなと思ったけれども、どうやら当分お預けと言うことになりそうだ。再び麻雀を打ち合える日が来るのはいつになるのやら。それは誰にもわからない。ただ一つだけ、次にお呼びをかけるのならば、出来ればちゃんと起きていると分かっている日に設定して頂きたいものだ。私だって心待ちにしているのだから。やってきたはいいけれど寝ていて出来ませんでしたー、は勘弁してください。

 そういえば、と思い出した。時系列は再び小学生にさかのぼる。あれは祖母が隣にいて、私がパソコンの麻雀ゲームをプレイしていた時だったか。偶然にも引き当ててしまったのだ、あの役満を。

役一覧に映る四文字。"九蓮宝燈"。

 それを見ていた父が言った。「九蓮宝燈あがると死んじゃうっていう話あるんだけれどなー」と。私は困惑した。迷信を真に受けるつもりは無かったのだが、お祓いか厄落としをしないといけないのかな。私若くして死んじゃうんすか。耐えかねて祖母に、「九蓮宝燈て、あがると死んじゃうの」と訊いたら「どうだろうね。死んじゃうかもね」と冗談交じりの表情で、笑いながら話した。

 久しぶりに麻雀しようかな。未だに親族以外の4人と対局はできていないぼっちプレイヤーだけれど、いつか来る祖母との対局のために今からもう一度、鍛え直しておくのだ。「何事も経験」でしょう?

  だから、さ。 麻雀牌、洗って待っててね。