衝撃! サンタクロースは実在した!!
明日、12月25日はクリスマス。
1週間後には初詣などという神道丸出しの宗教行事を控えていながら、世間ではてんやわんやの大騒ぎである。
成人し、別段愛を誓った女人もいない私には、あまり関係ないイベントだが、小中学生諸氏はこの一カ月が待ち遠しかったに違いない。なにせ、無条件で欲しいものを授けてくれるあの人、
そう、サンタクロースがやってくるのだ。
(↑ サンタ氏、イメージ)
そのサンタクロース、皆さんは大体何歳ぐらいまで信じていただろうか?
今日はそういう話だ。
恥ずかしがらずに言うと、私は高校1年生までサンタクロースを信じていた。
この話をすると、大抵の人は(また諸星が面白い冗談を言っているゾ)と笑ってくれるのだが、違うのだ。私は洒落でもなんでもなく、(多少の雑念が混じりながら)極めて真剣にサンタクロースの有無を吟味した結果、彼が実在すると思っていた。
私は過去のエッセイでも述べた通り、UFOやUMAなどオカルトめいたものが大好きである。なので、眉唾な存在にただ惹かれていると思われるかもしれないが、それは全く違う。
サンタクロースは実在すると絶対的な確信を持っていたのである。
そもそも、私が覚えている最も古いクリスマスの記憶は幼稚園の年中組ぐらいに遡る。
何を思ったのか、私は当時の背丈の半分以上あったサンダーバード2号の巨大なおもちゃをサンタクロース氏に頂いた。
どこの家でもそうだと思うのだが、12月の第1週の週末にはサンタクロース氏へ、プレゼントリクエストの手紙を送るのが常だった。
そこからいったん記憶がジャンプし、小学2年生ぐらいにレゴのお城、次の年には超合金のマジンガーZなど数々のおもちゃを彼には頂いたわけだが………
最初に彼の存在を疑い始めたのはマジンガーを貰った小学3年生の時だ。
友人にそそのかされたり、家庭の事情でつらい現実を打ち明けられた訳ではない。(小学3年の時、超合金のカタログに載っていた全てをリクエストし、親にサンタクロースへもっと気を遣えと怒られたことはあった)
ふと、目覚めかけた知性(笑)が呼びかけたのである。
―「おい、モヨヨよ。普通に考えろ。世界中の子供にプレゼントを渡すたった一人の男なんかあり得るわけがないだろう?」―
確かに!と叫んだか分からないが、(小3なりに)冷静に考えてみれば妙な話である。世界中に子供はとんでもない数がいるはずだ。
私の小学校でさえ、100人以上。世界となれば1000人以上はいるに違いない。
一晩で1000人は絶対無理だ。そして更なる閃きが私を襲った。
じゃあ、あのレゴやサンダーバードはなんだ?
誰が私のもとへ届けているのだ?
意を決し、私は両親に尋ねた。私は分からないことがあれば必ず両親に尋ねる。(子供の作り方もしっかり聞いた)
私の親は驚くべきことにサンタクロースと熱いコネクションを持っていたようで、即座に答えた。
「確かに1人では無理。でもサンタクロースが一人だなんて、だれが決めたんだ?」
納得。1000人の子供がいれば、1000人のサンタクロースがいればいいのだ。
(↑ おそらくこれが元ネタ)
数週間後、何の疑いもなくなった私はマジンガーZの超合金で死闘を繰り広げるのである。
しかし、小学生というのは多感で疑り深い。
次の年、近づくクリスマスにとある友人が言った。
サンタクロースってのは親なんだぜ?―
その手があったか。確かに辻褄があう。親ならプレゼントを用意するなんて容易なこと。
ご存知の通り、私は何かあったら親に聞くのだ。
私の詰問に親は笑いながら1冊の絵本を見せてくれた。
↑『急行北極号』
この後の人生において私のクリスマス観を決定する聖書的一冊だ。
内容は省くが、この絵本で授けられた知恵はたった一つ。
サンタクロースは信じてる人間のもとにしかやってこない。
この絵本にはご丁寧にその確認方法まで書かれていた。サンタクロースが鳴らす鈴の音が聞こえなくなれば、すなわち彼を信じていないということになる。
今考えれば酷い話だが、サンタクロースを信じていない子供もとには親が仕方なくプレゼントを与えているというのだ。
一種、新興宗教的な手口を感じつつ、「年に一度のプレゼント」を逃してはならないと私は友人が何と言おうと彼を信じ続けた。
ここまで書くとああ、諸星はただプレゼント欲しさにサンタクロースを信じていたんだなと思われるかもしれないが、私の熱心な読者諸氏ならば、私が客観的な事実も伴わずサンタクロースを信じるなどあり得ないと思われるだろう。
その通りだ。
確かに、毎年届けられるプレゼント。それはある種の客観的事実。だが、親が偽装することは全く可能である。
では、これはどうだろうか?
彼から贈られるプレゼントには毎年、一枚のメッセージカードが入っていた。
もしこれが親であるとするならば………ちゃちな日本語で「クリスマスおめでという。親の言うことをちゃんと聞け。いつも見ているぞ」と書かれているに違いない。
しかし、私が十年近くに渡ってもらい続けたメッセージカードには、見たこともない文字で読めない言葉がつづられているのだ。
後に分かるが、これは筆記体の英語だったのだ!
親がこんな手の込んだことをするだろうか?
※家中を探してみたがメッセージカードが見つからなかったので、今後も捜索し見つけ次第上げます。
まだある。
ある時期から、私はふと思い立ち、サンタクロースにコーヒー一杯とケーキの残りでもくれてやろうと窓辺にケーキとコーヒーのセットを用意するようになった。プレゼントを毎年もらっているのにこちらからノーギブでは忍びないと思ったのだろう。
クリスマスの朝、窓辺には完食したケーキと飲みかけのコーヒー。そしてティーカップの下に挟まれた、「Thanks」のカード。
おまけに、窓の外には毛玉が落ちていた。一瞬、毛糸のだまにも見えたがきっとトナカイの毛だろう。
もう何を疑うことがある。
これだけの事実を積み重ねていながら、サンタクロースを疑うなど出来るわけがない。
結果、私は周りがサンタクロースのことを話題にすらしなくなっても信じていた。
いや、この段階では信じる段階を超え、ゴリラが動物園にいるようにサンタクロースが普通に存在していると思っていた。(お願い皆さん、ひかないで)
私がサンタ氏からプレゼントを貰わなくなったのは信じなくなったからではなく、もう彼から何か貰わなくても手に入れられる年になったからだ。
ジョセフジョースターがそーしたように、次の世代へ譲らなければならない。
その意味で言うと、私はいまだにサンタクロースを信じている。
昨年、実家に帰省し、クリスマスに目が覚めると部屋のドアノブに図書券の束がかかっていた。
数年ぶりに彼の匂いを感じた。
彼は実在する。
そしてきっと我々のすぐそばで見張っているに違いない。
PS:好きなクリスマスソングはジョンレノンのやつ。
カップルにも童貞にも素敵なクリスマスが訪れますように………