人間が一度に3つまでしか数えられないワケ
人間が一度に数えられる数は3までだという。
例えば目の前にみかんがあったとして、三個までなら一瞬で三個だとわかるが、十個あると1、2、3、。。。10と数えてやらないとわからない。
この3までなら即座に認識できる能力のことをスービタイズ(数覚)という。
そしてこちらの資料にはその数が3である数学的な考察が与えられている。
かいつまんでいうと、多くの事柄を覚える必要がある場合には階層構造で記憶すると思い出すときの効率が良く、かつ1つの階層あたりの事柄の数は3(正確には自然対数e=2.71)になるときが最も探索効率が良い、ということである。
おそらく人間の脳は進化の過程で数学的に最も効率の良い記憶の仕組みを獲得してきたのであろう。
ここでふと気になったことがある。人類が作り出したものは全て3以下の単位に分解できるのではないかということである。
ここでは言葉の例を取り上げたい。例えば日本語、扇風機は「せん+ぷう+き」という3つの意味を持つ音の単位に分解することができる。冷蔵庫は「れい+ぞう+こ」、消防車は「しょう+ぼう+しゃ」、おはようございますは「お+はよう+ござい+ます」
英語を考えてみると、Supportはsup+port=語源はsub(下から上へ)とportare(運ぶ)に由来。
concentrate はcon+cent+rate=語源はcom(一緒)とcentrum(中心)
というように3以下の単位の組み合わせでできているのではないだろうか。
この考え方を広げていくと、音楽のメロディは3音以下の組み合わせで説明できるかもしれないし(西洋音楽のルーツと考えられている古代ギリシア音楽ではテトラコルドという3音単位を音階の基礎としていた)
そもそも西洋社会では古来より3という数字は特別なものとされてきた。
このように人類社会の至る所に3を基本とする階層構造が見られるのではないだろうか。
おそらくこれはフラクタルである。