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4. 不妊治療できないノイローゼ

夫に不妊治療を断られたと思い込んだ私は、どんどん思いつめていきました。他人を羨み、この先生きていても仕方がないのでは、とさえ思うように。

※かなりネガティブな内容ですのでご注意ください。

幸せ家族が羨ましい妬ましい

それまでの私は、街中で赤ちゃん連れや子連れの人、妊婦さんを見かけたとき、微笑ましく温かい気持ちに満たされた。よく言われているような、嫌な気持ちや複雑な気持ちになる不妊治療中の人のことが理解できなかった。というか、正直少し軽蔑していたのかもしれない。

夫がフーナーテストを拒否したその日からそれが一変した。

幸せそうな家族、妊婦さんを見て、オートマチックで黒い感情が沸きあがる。

なんで私だけ。

やっとわかった。絶望を味わうとはこういうことだ。

他人を羨むなんて人間として恥ずかしいことだと思っていた。不妊治療クリニックに子供を連れてくることの是非を問うこと自体がおかしいと思っていた。他の人の子供を温かく見守ることさえできない人に子を持つ資格なんてないと思っていた。どんな事情があれ、幸せな家族への僻みや妬みを堂々と正当化するような言動は悪だと思っていた。友達の妊娠を素直に喜べない人って、本当に不幸な一部の人だと思っていた。全く友達でもない関係ない芸能人の妊娠に敏感に反応する不妊様を嘲笑っていた。

全部私だ。まさに自分がそうだった。

宝を持っていない利点を考える

子宝という言葉は皮肉だと思った。宝を持っている人が羨ましい。宝が欲しい。宝があれば、大事に大事にするよ。だって宝物だから。

宝持ってる人が自慢げに見える。人から奪われないように気を付けながら、自慢している。

宝を2つも望む人は図々しい。2つ以上持ってる人がいるなんて納得がいかない。1つも宝を持っていない人もいるのに。

宝物を持っていない利点を挙げてみる。

強盗に狙われない。人から妬まれない。余計な気苦労しなくて済む。

惨めだった。 負け惜しみだった。

どんどんどんどん、闇に落ちて息ができない。別のことを考えようと思っても頭から離れない。この先、生きていても何もいいことがないとさえ思った。

自分の変化に驚くもどうすることもできない

結婚と幸せは別のもの。夫や子供がいなくても毎日充実していて楽しい。なんで世の中ないものねだりの人が多いんだろう。ほんの数か月前までは本当にそう思っていた。むしろどちらかと言うと、自立し、家庭を持たずにバリバリ働き、マンションを購入、好きな人たちやものに囲まれて自由に生きていく、例えばそんな女性に憧れていた。もちろんそういう人はたくさんいると思うし、そういう人生を否定するものでは全くないけれど、自分はそうではなくなってしまった。

急にどうしちゃったんだろう。どんなときもナイスでスマートな女性でありたかったはずが、人を妬む醜い自分が剥き出しになる。

冷静になろうとしても、他のことを考えようとしても、趣味を楽しもうとしても、嫌な感情が張り付いて取れない。

これは完全に病気の域だな、という自覚を持つようになった。

続く

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