何かを書きたくなって、noteを開いた
絶賛人生夏休み続行中
しがない会社員のアラサー女である。
最初に鬱病の診断を受けたのがもう何年前のことだったか、曖昧になるくらいには付き合いに慣れてきた。傷病休暇により会社を長期で休むのは、2回目だ。ただ焦燥感と戦うだけだった1回目と違い、色々なことに目を向ける余裕が出てきた。
今日はたまたま早く起きた。
服用している薬のおかげで夜ぐっすりと眠れるようになり、腫れた目と寝不足で回らない頭を嘆いてもはや朝とは言えない時間に起きることはとりあえずなくなった。大いなる進歩である。
愛する飼い猫を膝に乗せ、支度をばっちりした顔で夫の朝食を作り、お気に入りの紅茶を片手に優雅な朝を過ごしている――…
そんな優雅なものではない。
猫の毛まみれのよれよれした部屋着はあちこちに食べこぼしが付いていて、夫は夜遅くまでゲームをしていたせいで眼鏡をかけたままこの時間までぐっすりだ。お気に入りの紅茶は考え事をしているうちにすっかり冷め、愛猫はご飯を食べて満足したので主に用はないと言わんばかりに出窓で寝息を立てている。おまけに、顔を掻くと年齢とともにドバドバ出てくるようになった脂が指について気持ち悪い。
早く顔を洗え。全体の5%くらいしかない”しっかり者のわたし”がいらいらと呟く。
なんだ、この文章は。ただの独り言か。
その通りである。
この文章は会社に行くことができず、うだうだと人生の夏休みを消費する”私”が、脳内でガヤガヤと行われる様々な”わたし”に振り回されながらただただ呟くだけの日記とも呼べないものである。
広いインターネットの海で、どこかの誰かに暇つぶしがてら読んでいただけていたら幸いである。
自分でもつかめない”私”の人物像
脳内会議はてんやわんや、机に書類は散らかり放題である。
”わたし”を統べている”わたし”はどうやら整理整頓が大変苦手であるらしい。
”私”は1990年代の後半に生まれ、現在まで某関東地方に暮らす女性である。
幼き頃はどんな子供だったかと聞かれるといつも困るのだが、ひとこと「かわいげがない」と答えることが多い。
甘いお菓子やゲームに興味を示さず、大人の宴会に交じっておつまみを盗み、NHKのニュース番組を知ったかぶりしながら視聴し、女子の遊びについていけず男子とばかりつるみたがるためクラスメイトから疎まれるような子供だった。本を読むことが大好きで、難しい小説に挑戦しては同級生より大人びたことをする自分に酔いしれていた。実際はほとんど理解しておらず、大人になってから手に取ってこんな内容だったのかと驚いたことが多々あった。
分かりやすく友達の輪に入れなかった小学生、中学生時代を経て高校生になると少し社会性を身に着けるようになり友達ができるようになった。何か突出して秀でたところがあるわけではなかったが、活字を読むことは変わらず大好きで大学は文学部を卒業した。いわゆるオタク気質な一面があるだけで特別文章能力に優れているというわけではなく、現在の就職先も全く高度な文章能力を求められるようなところではないのだが、趣味で細々と小説を書き、ひっそりと小説投稿サイトに書き込んでは満足している。
自己愛が強く、自信家の癖に少し卑屈になりやすい節がある。校正を手掛ける”わたし”が赤ペンを片手にため息をついている。
ついでに根暗である。
自分自身のことは、これから文章化していくことで少しずつ分かっていくところもあると思う。三十数年わからなかったので、わからないままかもしれないがそれでもいい。
夫の携帯がアラームを鳴らしている。
おそらくあと30分は起きないであろう私の夫は、私より4日早く生まれ、私より5年後になって同じ会社に転職してきた元部下である。食が細い私を太らせようと躍起になって大盛ラーメンを食べさせようとすること以外は、穏やかで優しい素敵な夫だ。
彼のことはまだよく知らない。ひと段落にまとめてしまえるほどにしか、私は彼と時間を過ごせていない。
この独り言がいつまで続くかわからないが、彼のことも少しずつ書いていけたらいいなと思う。
”~と思う”って便利な表現だよねえ、と頭の中のソファに寝っ転がり頭の中のPCでこの文章を覗いている”わたし”が笑う。
書き連ねたいことは、たくさんある。
内容と言えるほどの内容はない。
ただ頭の中に浮かんだことを、羅列していくだけの文章である。
前述もしたが、どこかの誰かの暇つぶしになれば幸いだ。
私と”わたし”と、愉快で優しく寛容な私の周りの方々のことを、少しずつ文章に落とし込んでいけたらいいな。と思う。また書いてしまった。
何か読みたいけど頭は使いたくない。そんな時にただ目で追ってなんだこいつと思っていただければ。
ひとつ、よろしくおねがいいたします。