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聴くことと話すこと

2019年6月13日、母校であるSFC大学の授業「オーラルヒストリーワークショップ」と「清水唯一朗研究会」で『聴く』について話をさせていただいた。恐縮ですね。これはその備忘録です。

さて、早速始めます。

恩師からのご依頼、でも60分も話せる...?

今回お話しさせていただいたオーラルヒストリーワークショップと清水唯一朗研究会はどちらも恩師である清水先生がひらいているものです。どちらも「聴く」について向き合う場で、研究やプロジェクトを進める一助としてインタビューを用いている方が集まっています。

私は在学中に清水研に所属しており、春に先生にお会いした際に今回のご依頼をいただきました。「聴く」ことについて話してほしい、と。

その場では「私でよければ...」とお返ししたものの、内心はあわあわ。在学中にインタビューをしており、デザイナーになってからもインタビューを頻繁にしているものの...うーむ、私に話せることはあるのだろうかと。

そんなこんなで考えているうちに時は過ぎ...。先々週あたりに「オーラルヒストリーワークショップでは、60分講義、30分質疑応答でお願いします」とメールが届き驚愕。さらに清水研究室からは「もよさんが以前書かれた記事を2つほど事前に読み、気になったことや考えたことをA4一枚のレポートにまとめました」と18ページのPDFが届き、感謝でいっぱいになりました。家宝です。

「よき問いにたどり着くために」

オーラルヒストリーゼミでは、こんなタイトルでお話しさせていただきました。60分なんて無理!と思ってましたが、話し始めると一瞬ですね。しっかりこちらを見て聞いてくださっている皆様の集中力に感服しました。話している間、こまめにうなづいたり表情で反応していただけたことも、とても嬉しかったです。

目次はこちら。「当事者としての問い」では卒業制作について、「観察者としての問い」ではデザインプロセスでのインタビューを引き合いにさせていただきました。

卒業制作「あざと共に生きる」

私の卒業制作のテーマは、単純性血管腫という一つの病気でした。私と直接会ったことがある方はご存知かと思いますが、私の左手は生まれつき皮膚の一部が赤くなっています。その病名が単純性血管腫です。

皮膚が赤い以上の症状は特になく、遺伝することもありません。小さい頃から当たり前のように付き合ってきた赤いあざと向き合いたくて、卒業制作のテーマとして選択しました。

上の画像がその最終成果物です。同じものを持つ9名の方にインタビューをさせていただき、冊子にまとめています。

単純性血管腫を卒制でテーマにしたきっかけは、「私が自分の左手を好きになった話。」を読んだ当事者の方からたくさんの連絡を頂いたことでした。

「勇気づけられた」
「自分も向き合おうと思いました」

そんなメッセージやコメントに、私が勇気をもらい、救われていました。
単純性血管腫(赤あざ)に関するポジティブな検索結果を1つでも増やしたい...、そんな想いで書き綴ったものが届けたかった人にちゃんと届いたんです。これほど嬉しいことがあるでしょうか。

ひとりの当事者として

ひとりの当事者として、同じ病気を持つ方に話を聞くのはそれなりに葛藤のあることでした。インタビューする相手によって、あざの場所や生きてきた環境は大きく異なります。どんな語りが出てきても、聴き手として受け止める度量と覚悟はあるのか、と何度も自分に問いかける日々はそれなりに辛く。私はあまりにも臆病だったのです。

しかしいざ話を聞き始めると、そこに待っていたのは共感仲間を見つけた歓びでした。私の葛藤は私だけのものではなく、私の孤独は私だけのものではなかったのです。語り手たちとの約束なので具体的なことは書きませんが、9名の語り手との時間で得た安堵と勇気は今も心に残っています。

人前で話すこと

少し昔話が長くなってしまいました。さて、そんな私が卒業3年後に、まさか聴くことについて後輩たちに話す日が来るとは...。貴重なチャンスを私にくださった先生にはとても感謝しています。

正直、みんなが私の話に興味を持ってくれるのか、それだけがただただ不安でした。私は体系化した思考を限られた人にしか話せません。一体どこまでオープンにしていいものか、塩梅に随分悩みました。

結局、全部話しちゃったんですけどね。私が捉えた「聴く」にまつわる原理原則を少しだけ。何かがどなたかに少しでも届いたなら、嬉しいです。何も届かなかったとしても、その場にいてくれてありがとう。

60分も聞いてくれたことも嬉しかったし、研究会では120分もいろんなことを一緒に考えられたことが嬉しかった。

そうして、話しているうちにいろんな不安が消えていって。そうだった、私はこの研究室が大好きで、「もよ」という呼び名をもらったのもこの場所で、先輩も後輩もいつだって私の言葉に耳を傾けて一緒に考えてくださったんだ、と思い出しました。当時のメンバーが何に興味を持って何に悩んで、どう進んでいったのか、全部覚えています。

在学中の私にとっての優しい場所は、メンバーが入れ替わった今も優しい場所でした。




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