30歳のわたしは何が好きなのか
30歳になった。
この数字にマイナスな感情はない。
なぜか私の30代のイメージは海外映画、それこそマンマ・ミーアのようなハッピーでビビッドなシーンで構成されており、まるでクリスマスを待ちわびる子どものような、そんな憧れを持ってきた。
かっこよく、
スマートで、
自信がみなぎるスマイルで、
生きたい人生を生きている、
愛すことも愛されることにもオープンな人。
それが私の見た未来。
でもいざ30歳を迎えてみると現実は少し違った。
ぜんぜん違うじゃないか!と悲しんでいるわけではない。想像よりも少し素っ頓狂な場所に立っていたという話だ。
お誕生日を迎えた次の日、珍しく熱を出した。布団で横になってNetflix を眺めていると、小さい頃ビデオで何度も見た「BACK TO THE FUTURE」が並んでいた。
昨年末にイギリスで観たミュージカルは本当に素晴らしかった!あの感動を家でも!と、一年目マーケターのようなコピーを脳内で叫びながら(喉が痛くて声が出なかった)、それはそれは幸せな気持ちでPART II,IIIを通して見た。
その中でドクがこんな事を言っていた。
「こんなちっぽけな一枚の写真にワシの運命を決められてたまるか」
「未来は白紙ってことだ」
ハッとした。
目標や未来のイメージを強く持つことにはメリットとデメリットが有る。
前者は少しずつでも休み休みでも長期的には自己研鑽を続けられること。誰のためでもなく自分のために時間とお金と心身を投資できる。
後者は囚われすぎて本当の気持ちに気づかないふりをしてしまうこと。「こういう自分であってほしい」を「自分はこういう人だ」に無意識的に変換してしまう。
私はいつの間にかその透明で酸素の薄い渦の中に僕を突き落としていた。
僕はとっくに私との乖離を自覚していたのに、いや、そんなはずはない!もっと立派な人間なんだ!と叫ばずにはいられなかったのだ。
人は認めることで進んでいけると信じている。
そうやって進んできた。
何十億人もいる地球のたった一人の人生だけど、僕のすべてがここにある。なんてセリフがあったっけ。
僕は小さい頃の一人称。ボクという響きが好きで気に入っていた。男の子になりたかったわけではないけど、祖母にみっともないからと止められた。
「ほんとうのじぶん」なんて陳腐な言葉はごめんだけど、生きているんだから興味や思考が変わるのは当たり前。そっか今はこれが好きなんだ!と発見し続けることを大事にしていきたい。
かっこよくというよりは楽しそうで、
スマートというよりは気まぐれで、
自信というよりは楽観的なスマイルで、
生きたい人生を生きている、
愛すことも愛されることもようやくわかってきた人。
新しいことを学ぶのが好きというよりは、いろんなことをつまみ食いするのが好き。
本を読むのが好きというよりは、本屋で本を買うことが好き。
勉強はコツコツというよりは、一度に一気に。
30歳の私は何を好きになるのだろう。