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ジョージア、天国に一番近い国(11)ドアポケットのウイスキー【トビリシ】

 1月5日。10日目。先にお断りしておくが、この日は移動しかしていないので、本当に書くことがない。
 メスティアからトビリシに向かうバスは8時に出発予定で、なんとトビリシに着くのは19時の予定だった。とんでもない距離だ。夜行バスにするべきである(かつてはズグディディとトビリシを結ぶ夜行列車があったようなのだが、コロナ後になくなってしまったらしい)。
 まだ夜が明けていない時間だったのであたりは真っ暗、路面は行儀よく凍り付き、悲劇的に滑りやすくなっていた。ハットリさんと私はつるつると滑りながらなんとか早めにバス停に到着し、前の方の座席を確保した。その方が揺れもましだろうと思ったのだ。
 バスは満席にはなっていなかったが、8:15に出発した。昨晩購入しておいたパンを食べる。途中、12時くらいに休憩スポットに立ち寄った。今思えば、ここで食べておけばよかったのだが(そしてその予感も十分にしていたのだが)、そのときはどうにもお腹が減っていなかったので、我々は熱くてやたらと甘いコーヒーをオーダーし、20分ほど休憩して、再びバスに乗り込んだ。

運転手席のドアポケットが不穏
流石に長距離なので席がいい
最初の休憩場所

 1時間後くらいにお腹が空いたけれど、後の祭り。かろうじて持っていた小さなパンのかけらとチョコレートをかじってしのぐ。ひもじすぎる。だがチョコレートがあれば人は死なないのだ。

 さて、バスは粛々と悪路を進み、15:30頃、再び休憩スポットに立ち寄った。ここはあまり食べ物がなかったのと、この時間に中途半端に食べてしまっては負けかと思い、コーヒーを再び飲んでごまかした。この休憩場所は、最初にトビリシからクタイシに向かった時に立ち寄った休憩場所と同じだった。ということはまだまだ先は長いということだ。やれやれ。

 バスが走っている間は、旅の日記を書いたり、寝たりするくらいしかやることがなかった。本当は、仕事の読み物を印刷してこっそり持ち込んでいたのだけれど、とてもじゃないが開く気にならなかった。年明けの自分に期待しよう。

 途中、落石によって通行止めになっている道があり、あわやたどり着けないかと思っていたのだが、恐れていたほどは遅れることなく快走し、それでも着くころにはすっかり日が暮れていた。

 実はこの日はハットリさんのラストナイトだった。ハットリさんは明日、すなわち私より一日早い便で日本に帰るらしい。お互い予想だにしないロングジャーニーになったことで、我々の間には確かな仲間意識が芽生えていた。お散歩大好きコンビなので、トビリシ中央駅直結の謎の電気屋を散策した。閉店間際のそこを歩き回る外国人は我々以外おらず、警備員がかなり不審そうな目つきで我々の一挙一動を見ていた。

ただのヨドバシカメラinジョージア

 ラストナイトを飾るジョージアメシ、失敗したら大変だ。私は、ジョージアに移住して長く食への造詣も深いゾノさんのGoogle mapのレビューアカウントを見つけ出し、ゾノさんが行っている店から選ぶことにした(ネットストーカーさながらの検索力)。

【参考】ゾノさん初登場回

 タクシーで向かったその店は、果たしてかなりのアタリだった。最後の夜なので、お腹のキャパシティはあまり気にせず思い切り頼んだ。特にマッシュルーム入りのヒンカリスープはたまらない美味しさであった。

ヒンカリスープ
ハシ! 二日酔いの朝に飲むものらしい 気になっていたので飲めてよかった
ポットの中に……
肉!
ウマイ!!
ウッ……マイ!

 ホテルに向かって散歩する。私の方は、トビリシの最後2泊分を少しだけいい宿にしていた(1泊1.5万ほど。四つ星ホテルくらいのランクだ)。ジョージアでいう「ちょっといいホテル」ってどんなもんなのか気になったからだ。ハットリさんの方は、当然宿を決めていなかったので、私の宿の近くのゲストハウスを予約したらしかった。
 ハットリさんはおそらく保護者的見地から私をホテルまで送り届け、握手をして、「もうちょっと飲んでくるわ~」といい、ふらりと夜の街に消えた。
我々はその後、日本に帰ったときに少しだけやりとりしたきり、一度もやりとりをしていないし、もちろん会ってもいない。

 私は、旅先で会った人間と親密な関係になることははっきりいってかなり少ない。私は初対面の人間との距離を詰めることがわりに好きな方なので、旅先で会う人間に対しては、なぜその旅先を選んだのか、どういう人生を歩んできたのか、根掘り葉掘り聞く。そしてもちろん、我々はその場においてかなり親密な関係になる。だけど、例えば東京の自宅に戻ってから、連絡を取って約束して会うかというと、私はできるだけそういうことはしないようにしている。
 旅先で会った人間は、あくまで旅の世界の住人でいて欲しいのだ。東京で会ってしまうと、「そちら側」の人間が「こちら側」にきてしまう感じがする。それは私にとってあまり喜ばしくないことだった。だからよっぽどのことがないと自分から連絡はしない。我々が、果たして親しくなるべき2人なのであれば、どこかでもう一度、しかるべきタイミングで会うことになるだろう。そうなってから改めて、個人として仲良くなった方がいい。東京に戻ってから、一定の相互理解がなされた状態で、わざわざ連絡を取ってもう一度会うなんて、旅人同士の関係性としていささかナンセンスではないだろうか。旅人という文脈で得た関係性に、約束だとか、固定された関係性だとかは、あまりに似合わなすぎる。

 そんなわけで、ハットリさんはSNSも特にやっていなかったから、今彼がどこで何をしているのか私は全く知らないし、彼も私の今を全く知らない。その気になれば連絡はとれるけれど、お互いにそれはしていないし、多分、これからもしないだろうと思う。そういうところも含めて、ハットリさんは本当にいい旅の相方だった。

ホテル外観


 久しぶりに一人でチェックイン。一泊1.5万のそのホテルは、全体の照明がかなり薄暗く、内装はよく言えばアンティーク的、率直に言えばかなり古びていた。正直言ってそんなにいいホテルだという感じはしなかったが、円安の影響も大きいかもしれない。インテリアはかなりかわいかったので、良しとした。私は調子に乗ってデザートとクヴェリワインを頼むなど、実に無意味に散財した。

 最終日である翌日は、柄にもなくツアーを予約していた。目的地は、トビリシ東部にある「シグナギ」という街である。天空の街といわれるその場所は、周辺にいくつかのワインセラーがあり、ジョージアでもワインの産地として名が売れているスポットだ。シグナギ単体であれば、マルシュを使えばアクセスは容易なのだが、点在するワインセラーへのアクセスが難しい。ツアーであればもちろんそれらを一気に回ることができるし、何より1日ツアーでも4,000円程度と格安だった。
 私は立派な彫刻がなされた木製フレームのベッドに体を横たえ、目を閉じた。

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