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人間がいる暮らし

三日坊主ならぬ五日坊主。何のことかというと、noteの執筆である。
note、毎日更新するとどこかに明言したわけではないが、なんとなく1~2日に1回くらいは文章を書こうと思っていたのに、気づけば1週間経っていた。おそろしい。毎日こういうのを更新している人々は、いったいどうやってその時間を捻出しているのか問いたい。

この1週間何をしていたのかというと、今週の平日、恋人が我が家に滞在していた。
自己紹介に書いた通り、独身街道まっしぐらの限界労働OLではあるのだが、まあ一応恋人がいる。なお、この恋人は相当人間的に面白いヤツなので、今あるエピソードだけで軽く5記事くらいは書けると思う。書き記したいのは山々なのだが、ここで手を出すときりがないということで、この話はまたいつかに譲ることとする。

ということで本日の記事の結論は、「独り暮らしを10年して分かったけどやっぱ人が家にいるの楽しい」である。

■料理が超楽しい
本当に単純なことなのだが、これはやはり「10年独り暮らしした後、他人と暮らしてみた人」には、実に深く頷いていただけることだと思う。それ以外の人はへえ~って思っといてください。
自分のための料理というのは、とかく効率に終始しがちである。私はそれなりに料理が好きな方だと思うが、自分一人のために唐揚げを揚げようなんてとてもじゃないが思えない。食事というものの目的が、空腹を満たすことに尽きるため、睡眠や排せつと同じくらい創意工夫のないような――具体的にいえば、ベースブレッド2個とか、レンチンしたキャベツとかになるのである。
そこに一人人間がいて、「唐揚げが食べたい」といわれるだけで、なぜか揚げる気がモリモリと湧いてくる。それはもうやる気十分、ついでに付け合わせでコールスローとか作っちゃう勢いだ。
お腹を満たして幸せ、これは一人で完結する単純な喜びであり非常に動物的だが、他人に喜んでもらえて幸せというのは、喜びの種類として少し異なるものである。
加えて、食べることの充実度も段違いになる。作った立場からすると、やはり「おかわり」というものが一番うれしい(僅差で次点のうれしい言葉は、「この間の○○おいしかったからまた作って」である)。
こうしたことは、人間が一人家にいないと味わえない喜びだなとつくづく思う。

■テレワークが超楽しい
我が家は都内でも屈指の賃料が安いエリアに立地しているが、それでもしがないOLが払える賃料で住める家となると、やっぱり1Kとかになる。したがって、2人で同時にテレワークをするには、片方がメインの部屋を使い、片方がキッチン横の微妙なスペースにローテーブルを置いてちまちま作業するという悲惨な見た目になる。
我が家で2人同時にテレワークを行う場合、家主である私がローテーブルに甘んじている。これには非常にしょうもないが重大な理由があって、恋人の腰が相当繊細で、1時間に1回くらい立ち上がらないと辛いみたいなレベルなので、流石にかわいそうということで妥協することとなったのだ(ちなみに、家に一つあるディスプレイを使うのはさすがに私だ)。
そんな劣悪な環境ではあるが、2人でテレワークをしていると、何せ息抜きが高品質である。
職場の人間は、ある程度関係性が構築されていたとて所詮は仕事上の関係であり、やはり気心の知れた人間とのちょっとした会話で得られる穏やかさには、えも言われぬものがあると思う。
そして、仕事のストレスが溜まりに溜まって突然踊りだしても一緒に踊ってくれる人がいるので、非常に愉快な気分で仕事をし続けることができるのだ。これはストレス社会で戦う社会人に必須の要素であろう。

■人それぞれなのは大前提として
無論、1人で暮らすほうがずっと気楽だし好きだ、という人もたくさんいるだろうし、人がいたとて料理はめんどくさい!という人もいるだろう。人それぞれ心地のいい生活リズムや距離感がある中で、どんなカタチが自分にいいのか、探していけることが1番なんだと思う。
私は大学1年生から一人暮らしを始め、それ以来一度も人と住まない生活を続けた上で、ようやく実感を持って、人間が家にいる生活の方がいいなと感じることができた。
これを読んでいるあなたにとって、居心地の良いスタイルは何か、それがピンとこないとき、試していないスタイルは何か。
ちょっと考えていただけると、楽しいかもしれない……と思う。

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