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ジョージア、天国に一番近い国(5)朝日鑑賞、行き当たりばったり雪原滑走、ラーメン忘年会【グダウリ、トビリシ】

 12月30日、4日目。7時ごろのアラーム音で目を覚ます。嘔吐と腹痛の夜を超え、知らない間に眠っていた。寝られてよかった。朝日を見るために目覚ましをかけていたのだ。
 自分の体調がどうなっているのかがまったくわからず、ベッドの中でどうしようかとさすがに迷ったが、どうしても朝日は見ておきたかった。のっそりとベッドから抜け出す。スノボのウェアに分厚いヒートテック、背中にはホッカイロと、これ以上ないくらい寒さ対策を万全に、氷漬けの外へ逃れ出た。思っていたほど寒くなかった。
 朝日を見るスポットは事前に調べていた。昨日登ったゲルニティ教会のある山とは反対側に向かって少し登ったところに、ささやかな教会があり、そこから眺める朝日が抜群らしいのだ。前日の夜にGoogle mapで調べたときは、20分くらい登れば着くと思っていたのだが、改めて調べたら40分かかることが分かった。何だったんだ昨日の情報は。
 宿を出たところに小さいけれどよく吠える犬が待ち構えていて、若干怯んだものの、ここまで着込んで部屋に戻るのもばかばかしいので突き進む。滑らないように慎重に坂道を登る。札幌に住んでいたころの冬を思い出すようだった。
 市街地を抜けて、昨日と同じように、緩やかなカーブを登る。慣れなのか、実際に角度が違うのかはわからないが、ずいぶん楽に感じた。
 夜明けは8:30の予定だった。少し白み始めた空に焦りを覚え、いっそ途中で立ち止まって鑑賞してしまおうかと思ったが、中途半端なところで見るのも悔しいので結局登りきった。

微妙な距離感の教会と修道院

 車道の果てには、小さな教会と修道院のようなものが2棟だけ、喧嘩したカップルのような微妙な距離感で建っているきりだった。周りには誰もいなかった。
 振り返ると、カズベキ山の美しい稜線が一目で見渡せた。ステパンツミンダの家々が、山の麓に身を摺り寄せて眠っていた。
 私は唯一雪がなく乾いていたアスファルトに座り込み、持ってきたチョコレートをちょっとずつかじって、冷たいペットボトルの水をのみながら、朝日が昇るのを待った。

 やがて朝日は、カズベキの山肌を、黒から紫に、紫から赤に、赤から白に。少しずつ、着実に染め上げた。太陽の光によって視界が何度も何度も違う色に塗りなおされ、そのたびにそういえば朝ってこんなに明るかったなと、新鮮に驚かなくてはならなかった。そして毎日このようにして朝が訪れていることに、いつもながら深い感動を覚えた。

紫から赤に
赤から白に

 30分ほど朝日を眺め、今日は何をしようか考えた。体調もそれほどすぐれないし、カズベキでのんびりするか、早めにトビリシに戻ってスパに行ってもいい。というか、多分その方が無難だ。けれど、やっぱりスノボがしたいと思ってしまったのだ。まったく意図していなかったが偶然にもウェアはあるし、ちょうどスノーリゾートの仕事もしていたし、海外のゲレンデを見てみたい。カズベキ(ステパンツミンダ)から50kmほど離れたグダウリという街は、ジョージアの中でも有名なスキーリゾートの街で、トビリシに向かう道の途中にある街だ。マルシュで途中下車・途中乗車が本当にできるのかはちょっとわからないが、とにかくやってみようと思った。
 最悪グダウリからトビリシまでタクシーで帰ればいいだけだ。意を決して私は立ち上がった。

 10時ごろのマルシュに乗り込む(宿の女性が、車でグダウリまで送ろうかと言ってくれたが、金額が高かったので丁重にお断りした。そもそも懸念は、グダウリまで行くことはマルシュで途中下車すればよいとして、グダウリからトビリシまでの交通手段がないことなのだ)。車の中の限られた時間で、「どこで途中下車すればよいか」を調べつくした。乗車前にドライバーにいいところで降ろしてほしいと交渉したのだが、あんまり話を聞いていないようで、自分で降りる所を指示する必要があるなという感じだったのだ。
グダウリのスキーセンターの位置は複数あって結構わかりにくい。ひとまずゲレンデマップを見比べて、レンタルがありそうなスキーセンターらしき建物を見つけ、マルシュのルート上でスキーセンターまで歩けると思われる場所を見つけておき、車内から声をかけてなんとか止まってもらった。とりあえず、途中下車には成功した。慌てて下車したので水たまりに気づかず、なんとひざ下くらいまでの深さがあり、片足がびしょぬれになった。最悪だ。

 でかいバックパックを抱えて、スキーセンターらしき方向に向かって歩いていくと、ぼろぼろのコンテナみたいな建物にRentalの表示を見つけた。これはめっちゃやすそうである。ということで入店。案の定ボロボロの板とブーツを借りることに成功した。ビンディングが壊れているようで、ちょっとぶらぶらしていた。死ぬほど安かったので良しとする。そうそう転ばんだろうと、グローブはケチって借りなかった。

 バックパックは預かってもらって身軽になり、再びスキーセンターを目指す。が、たどり着く前に、リフト乗り場とチケット売り場に遭遇した。どうなってんだこのゲレンデ……と思いつつ、まあいいかとチケットを購入し、目の前のリフトに乗った。完全に行き当たりばったりの割には順調だった。

みよ!!絶景
デケェ〜

 グダウリのスキー場は、日本と違って、木もコース表示も全然なくて、緩やかな雪原が果てしなく広がり「どうぞ好きに滑ってください!」という投げやり感があってよかった。人も全然いなくて、どれだけ贅沢にコース取りしても、どこまでもすべて行けそうだった。傾斜が大したことないのも気持ちよかった。
 お腹はやっぱり調子が悪かったし、シーズンインだったし、前述の通りスノボの板は死ぬほどボロボロだったので、恐る恐る滑ったが、その広大さは日本ではなかなか味わえないもので爽快だった。あまり調子に乗って遠くに行ってしまうと戻れなくなりそうだったので、見える範囲のコースで滑ることを心がけた。

 クワッドリフトで、たまたま同じ年齢くらいの男性二人と相席になった。二人は、リフトに乗るや、おもむろにポケットから銀色の小さなコップを取り出した。何をするのかと横目で見ていたら、なんとウォッカを飲み始めたのだった。彼らは私にも飲むか?と聞いてきたが、さすがにお腹の調子が悪いので丁重にお断り。話してみるとトビリシから滑りに来たらしい。「よしRei、今からせーのでリフトから飛び降りようぜ!」などと絡まれたので、「いや一人でやれよ」などと軽口を返す。完全に酔っぱらった勢いのダルがらみだったが、このリフトのわずかな時間で酒を飲むメンタリティが良すぎて気にならなかった。結構酔っぱらっているように見えたのに、リフトを降りた瞬間人が変わったようにスムーズに滑り降りていくので面白かった。

 滑っているうちに空腹感が強くなった。何かを食べる度死ぬほどお腹を下す感じだったので、本当はうどんがよかったのだけど、まあもちろんそんなものは到底なかったので、Dunkinのハンバーガーを食べた。案の定死ぬほどお腹を下した。食べる意味ないなこれ。

 さて、あっという間に帰りを気にしなければならない時間だ。グダウリから帰る手段は、カズベキからトビリシに向かうマルシュを途中で止めて乗り込む以外ない。マルシュは見かけ上、普通の大きめのバンと変わらないので、うまく捕まえられるか自信がなかった。また、当然空席がなかったら止まってくれない。早めに移動するのが吉だった。
 カズベキからのマルシュは大体1時間ごとに出て、グダウリを通るのは大体1時間後だ。1本逃してもいいように、カズベキを14時に出て、15時くらいにグダウリを通るマルシュを捕まえるつもりだった。とはいえ、グダウリは正式な停留所ではないし、交通状況で通過時刻は大きく変わるので、15時ぴったりに行くのは怖い。安全には安全をと、14:50くらいには最初に降りた道路のわきに待機していた。

 ところが、待てど暮らせどそれらしき車が通らない。車通りは多いのだが、まずどれがマルシュか全然わからない。恐る恐る手を上げても、止まるのはタクシーくらいだった(ジョージアのタクシーは個人でできてしまうので見分けがつかない)。一応聞いてみると、カズベキまで200ラリ(3000円くらい)とのこと。払ってもいいけど、できればマルシュ(15ラリくらい)がいいなという値段だ。そのまま40分くらい、車が通るたびに手を上げていた。もはやヒッチハイクだ。

 そうこうしていると、またもやタクシーくらいのサイズ感の車が目の前に停車した。一応値段を聞くと、なんと40ラリで帰ってくれるらしい。渡りに船!
 乗り込むと、車はそのまま道沿いにあるグダウリの中心部の駐車場にいったん停車した。どうやら、ここであと2人くらい乗せて出発したいらしい。シェアタクシーみたいな感じなんだろう。安さの理由がわかって逆に安心した。

 そこでまた30分くらい待ったのだが、全く人が来ない。私としてはもう帰れることが確定したのですっかり安心していて、いつまで待ってもよかったのだが、ドライバーの方がしびれを切らしたのか、「80ラリ払えば今すぐ出発できる」と交渉してきた。迷ったが、200ラリよりはよっぽど安いし、ドライバーも帰りたそうだった。
 私は言った。「いいけど、帰りにアナヌリ教会に寄ってくれない?」アナヌリ教会とは、行きに立ち寄るはずがクローズしていた教会だ。中に入れなかったのが心残りだったので、これを機にリベンジできたら最高だと思ったのだ。
 ドライバーは快諾だった。私は期せずして完璧なプランを作り上げた自分に内心乾杯した。

アナヌリ教会はやはり美しく、湖にひそむいきものたちの息遣いが聞こえてきそうなくらい静かだった。

 夜、疲労困憊でトビリシに到着。これにて4日目終了……と見せかけて、実はこの日、もう一つ予定があった(こうして振り返ると我ながら無茶しすぎ)。
 2日目の夜に食事をした、トビリシ在住の日本人、ゾノさんから、「“UZU HOUSE”でラーメン忘年会を今夜やるけど、来ますか?」というお誘いがあったのだ。UZU HOUSEがなんなのか、ラーメン忘年会がなんなのか、だれがくるのか、何にもわからなくて、絶対面白い時間になる予感がした。だから行くことにした。

 その日の宿(この日はドミトリータイプのゲストハウスにした)に荷物を置き、“UZU HOUSE”に向かって歩く。ヨーロッパ風でありながら目新しくてこぎれいな建物が並ぶ通りを抜けると、そのエリアの目の前で何か爆発でもあったのかと思うほど、唐突にボロボロのエリアが出現した。あまりにもギャップがあって、そのエリアだけタイムワープしてきたみたいだった。そして非情にも、Google mapはそのボロボロのエリアを確かに目的地として指し示していた。

このキラキラ空間からの
ここwwww

 見るからにアングラな、バラックのような空間で、さすがの私も入るのをかなり躊躇した。ところが、運よく扉が開き、中からジョージア人の女性3人組が出てきたのだ。あ、この場所、若い女性3人とかでくる場所なんだ。私は入れ違うように扉の中に入り込んだ。

 扉を入ってみても普通に思いっきり外だったので私は思わずにやにやした。見慣れたアジア顔の男性が数人、中心に焚火を囲んで温まりながら談笑していた。日本語だった。

 そこにいたのは6人の男性――ワタナベさん、ノゾミさん、ラジさん、サケミさん、サトシさん、そしてゾノさんだった。(結局最後まで聞かなかったので、本名は知らない。)
 彼らはジョージア、あるいはアルメニアに住んでいて、ジョージア人と結婚していたり、仮想通貨で稼いでいたり。ジョージアワインの卸売りをしていたり、何にもしていなかったりしていて、三者三様という感じだった。ゾノさんの師匠というワタナベさんは、もう60歳を超えていて、延々とオチのない話をしていた。一人一人の話を聞きながら、ピリ辛のヴィーガンラーメンをすすった。UZU HOUSEでは、こうしたジャパニーズフードイベントを定期的に開催し、そのイベントの収益で家賃などを賄っているらしい。なるほど。
 ジョージアでの移住生活、仕事の仕方、住所のとり方(!)、いろんな話を聞いた。許可をとれないので、詳しい話は書かないけれど、その場にいる人で“普通”の人は一人としていなくて、全員、“ちゃんと選んで生きている”と思った。
 話を聞けば聞くほど、普通に住んで、生きていけそうな感じがした。一歩外に出れば、一歩踏み込めば、こういう世界にいつでも行けるんだな。
もくもくと巻き上がる煙が空に広がっていくのを眺めながら、私は奥歯をぎゅっと噛み締めた。

怪しい日本人たちの集い
よくみるとUZUの文字
ヴィーガンラーメンでした

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