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ベルベルの心を備えよ⑦岩登りとローカルなセイカツ【ティネリール・トドラ】

 7日目。12月14日。朝起きていつものストレッチをし、薄暗い階下に降りた。ヒシャムは1階のソファで寝ていた。おはよう、よく眠れた?彼は実に眠そうに私に聞いた。ヒシャムはあまり眠れていなそうだね、と答えると、久しぶりにここで寝たから、よく眠れなかったんだと、少ししわのある目じりを下げて笑った。
 モロッコの多くのホステルでは、いつでもゲストが帰ってこられるように、何かあったときに対応できるように、1階のソファで誰かが寝ていることが多い。日本みたいに、ぴかぴか光り輝くフロントがあるわけではないけれど、頼もしい存在だ(おかげで、夜中にこっそり散歩に出るのはちょっと気まずいけれど)。
 今日は朝ごはんを作る日。これまでのホステルでは、朝ごはんがすべてパンだったのだが、このホステルでは朝からちょっと凝った料理が食べられる。それが「ベルベルオムレツ」だ。

 ベルベルオムレツの厳密な定義が何かは私もわかっていない。ヒシャムに教えてもらった作り方はこうだ。
まず、玉ねぎ半分とトマト1個を賽の目上に刻んで、油と一緒にタジン鍋に入れ、蓋をして放置する。いい感じになったら(適当極まりない)、トマトをつぶしてソース状にしてふたを閉め、もう少し煮込む。塩ひとつまみ、クミン、パプリカパウダー、ターメリックを小さじ半分、ジンジャーを小さじ半分よりちょっと少ないくらいを入れて混ぜる。あとは、卵を1~2個溶いて流し込み、固まるのを待つだけだ。トッピングでパクチーをのせたりもする。
タジン鍋での料理はとにかく待ち時間が長くのんびりしている。ほっとく時間が長いので、私がさも日本人らしく「今のうちにお皿洗っちゃおうか?」とかいうと、ヒシャムはのんびりとお茶を飲みながら、「あとででいいよ」というのだ。今暇なんだからやっちゃえばいいのにと思ったりもするけれど、これがモロッコスタイルなんだろう。私も並んでお茶を飲んだ。
ベルベルオムレツが完成したので、私たちはタマネギとトマトを刻んで、油と塩コショウをかけただけの簡単なサラダを作った。ヒシャムはキッチンの隅っこからお世辞にもきれいとは言えないぼろ布をもってきて、中から平たく白いナンのようなパンを取り出した。「これはおれのお母さんが作ったやつ」どこか自慢げな声色だった。
 パンはまだほかほかと温かく、もっちりとしていて、なんだかとっても幸せそうだった。 

 ベルベルオムレツ、モロッカンサラダ、手作りのパン、フルーツ。豪華な朝食をリビングに運ぶ。窓から差し込む陽射しがテーブルを照らしていた。

 朝食を食べ終えると、ヒシャムの甥であるハリドゥが、たくさんの金具をつけたリュックを持ってやってきた。いよいよロッククライミングである。宿を出て、歩いてトドラ渓谷に向かった。
宿の前には、細い水路が張り巡らされた、豊かな畑が広がっていた。日本ではちょっと見られない、鮮やかな緑色の作物が、朝の陽ざしを受けてウインクするみたいにきらめいている。私はわくわくしながら、そびえたつ巨大な渓谷に向かって坂を下った。

 渓谷は、そそり立つ岩壁によって日陰になっているので、意外なほど冷えていた。岩壁には露天商がたくさんの民族衣装やモロッコ絨毯を並べており、渓谷を流れる浅い川で、ヒツジたちが水を飲んでいた。岩壁の上で暮らすノマドは、毎日片道2時間もの山道をゆっくりゆっくり降りて、水を飲ませに来ているそうだ。毎日ヒツジに草を食べさせ、毎日水を飲ませるだけの日々。何一つ疑いなく続く日常。
 間違いなく幸せなんだろうと思った。

 岩壁がそそり立つ渓谷を抜け、少し開けた場所についた。よく見ると岩壁の上のほうに、指人形みたいな大きさの人が見えた。どうやらここがビギナー向けのロッククライミングスポットらしい。
 ヒシャムは身一つでするすると岩場を登り、岩壁に打ち込まれた金具にロープを通した。そしてあっという間に降りてくると、私にロッククライミング用のシューズとハーネスを履かせ、「ロープについてるカラビナを外しながら登ってね。じゃあ、どうぞ」といった。どうぞ?
 日本でこういうアクティビティをやる場合、たぶん「何があってもあなたのせいにしません」という誓約をして、懇切丁寧に安全性について説明を受け、やってはいけないこととやらなくてはいけないことを、ともすればムービー付きで丁寧に解説されるだろう。
 それがここモロッコでは、たった一言「カラビナを外しながら登れ」。ロッククライミングでは、およそ2m間隔で撃ち込まれた金具にカラビナでロープがつけられていて、足を踏み外しても金具と金具の間、2mまでしか落ちないようになっている。一つの金具にたどり着いたらカラビナを外し、次の金具を目指して上っていくのだ。理屈は分かるし、それ以外言うことがないというのも理解はできるが、もうちょっと何かないのかと思わざるを得ない。

 どう登ればいいかもさっぱりわからず、私は岩壁の前でしばし逡巡したが、やがて覚悟を決めた。全部言われたとおりに上ったのでは、この機会がもったいない。岩場の隙間に手と足をかけ、ぐっと体を持ち上げる。
「足をできるだけ使って」「左のほうが昇りやすいよ」「カラビナを外すのを忘れないで」私が登る岩を見失い、岩場のど真ん中で途方に暮れると、ヒシャムが声をかけてくれた。ちらっと下を見ると、直感的に死をイメージして全身にじわっと血が巡るような高さで、もう引き返せないところにいながら、いっそやめてしまいたいとも思った。
 最後のカラビナにたどり着いた。地上20mの高さだ。「こっち見て!」ヒシャムの声がかすかに聞こえた。私は恐る恐る足元を見た。ガラス越しにしかみたことないようなサイズ感の人。正直言って、本当に怖かった。足が震えて、とてもじゃないけど手を放すなんて無理だった。それでも半分意地で、私は片手をぐっと広げた。何の意味もないのはわかっていたが、下半身は岩場にぴったりとくっつけて離さなかった。

下から撮ってもらった

 降りるときは、まず体についているロープを手で持って岩場に垂直の姿勢をとり、足で飛び跳ねるようにして降りる。この姿勢は、支えになっていた岩から手を離すことになるので、実は結構怖い。かくして、なんとか私は生きて地上に降り立った。「もう十分だ」という気持ちでいっぱいだった。
「簡単だったでしょ?」とヒシャムがいたずらっぽく笑う。そんな余裕がなかったことなんか、見ていればわかるだろう。私は半分くらい冷や汗で濡れた額をぬぐい、「余裕だったよ」とひきつった笑顔で返した。

 ロッククライミングは、登る岩場を変えると安全ロープをつけなおさなければならないので、同じコースを何度か登るのが通常だ。今回は、他にゲストもいなかったこともあって、すぐ隣にセットされた別のコースを登らせてもらえることになった。今度は、高さ30m。
 2回目は少しだけ余裕も出て、恐怖心より楽しさが上回るようになっていた。視界を岩壁でいっぱいにして、どこに足をかけ、どこに手をかけるか。ただそれだけを考え、少しずつ体を天に近づけていく。岩場を登ることは、どこか瞑想じみた、武骨な儀式のようだった。
 30mに到達した。一度岩場を降りる経験をしていると、どうなっても下までは落ちないことが分かるので、多少気持ちに余裕ができる。1本目では余裕を持てず見渡すことができなかった岩壁からの景色と、ペンキをこぼしたような青空を見、私はすうっと深呼吸をした。

 降りると、ヒシャムが私に聞いた。「同じところをもう1本登るのと、別のところを登るの、どっちがいい」
 まだ登っていいのか。大サービスに驚きつつ、せっかくなら違うところで登りたいと答えると、今度は来た道を少し戻り、羊たちが水を飲んでいた川のあたりに来た。
 ここで登れるコースは2種類あって、20mか、32mだ。どうせならもっと高くしたいと、32mのコースをお願いした。日陰になっているので少し冷えたが、川の音を聞きながら登るのは気持ちよかった。眼下に見える露店の彩りが美しかった。

 合計3本のクライミングをして、私の指はボロボロになったが、心地よい達成感だった。散歩をしながらホステルに戻り、シャワーを浴びた。
 ちなみに、このホステルのお湯は火を使って温めて作る。お湯を使うのに毎回火を起こさなければならないのだ。料理のガスは通っているし、電気もあるのに、変なところで不思議なくらい原始的だった。

 この日はもう一つイベントがあった。ワールドカップだ。モロッコVSフランス戦である。絶対勝てないだろうとみんなが言いつつ、どことなく期待感が漂う不思議な雰囲気だった。以前にも書いた通り、モロッコでは多くの家において観戦できる環境がないため、個人のスマホのほか、カフェやパブリックビューイングを利用する。もちろんトドラは田舎すぎて、パブリックビューイングはおろかカフェもない。ヒシャムに、どうやって観るのか聞くと、ティネリールの街に行くとのこと。一緒に行っていいか聞くと、もちろんOKとのことだった。

 試合開始は18時と少し遅かったので、時間があった。私は洗濯をすることにした。この旅を始めて7日が経ち、下着類は毎日手洗いしていたものの、さすがにそろそろパーカーやジーンズなどの大物も洗ったほうがよさそうな雰囲気になっていた。ヒシャムに聞くと、洗濯機の場所を教えてくれた。
モロッコの洗濯機はドラム式で、乾燥までついていることが多い(少なくとも私が宿泊したすべての宿はドラム式だった)。目盛りは全部フランス語で、全く理解不能であった。ヒシャムも、フランス語が分かるはずなのに、「この洗濯機は新しくて使い方が分からない」といってどこかに電話していた。日本語だと柔和な印象なのに、ベルベル語だとなんだか強そうに見えて、使う言語の違いでこうも変わるものかと不思議だった。

タイムスリップしたみたいな洗濯機

 書き忘れていたけれど、ヒシャムはベルベル人だ。モロッコのアトラス山脈を越えた砂漠のあたりに暮らす人々は、ベルベル人がほとんどらしい。ベルベル人はベルベル語を使うが、アラブ人とも当然コミュニケーションをとる必要があるので、ほとんどの人は(特に男性は)アラビア語も話すことができる。海外に行かなくても多言語を話さなくてはならない環境は日本と全く異なっていて興味深かった。ヒシャムは大学で英語を勉強していたらしく、ベルベル語、アラビア語、英語、日本語、フランス語の五か国語を話せるそうだ(信じられない)。

 かくして洗濯機を動かすことには成功したのだが、なぜか排水されずに途中で止まってしまった。あれこれ試してみたものの、どうやればいいのか全く分からない。そんなこんなで出かける時間になってしまったので、私たちはロッククライミングの後もホステルで暇そうにしていたハリドゥにすべてを託し、ティネリールに向かうことにした。

 トドラからティネリールに向かうときは、シェアタクシーが一番安い。15分くらい待つと、大型の車が現れた。ヒシャムは手慣れた様子で指笛を鋭く吹いて車を止め、我々は一番後ろに乗り込んだ。
 30分ほど車に揺られ、我々はティネリールの街についた。ティネリールには巨大なパブリックビューイングが設置され、路面のカフェにあるテレビ画面の前にはびっしりと椅子が並べられていた。
 ヒシャムは、モロッコの生活を知ってほしいからと、いろいろな場所に連れて行ってくれた。路地裏の隠れた小さな小部屋でおじさんが揚げている甘くないドーナッツのようなパンを食べたり(モロッコでは定番らしい、)、メニューのない店で羊の頭の肉を使った不思議な料理を食べたり、帰りのバスチケットを買ったりして、ティネリールの街をゆるやかに散策した。これといって観光スポットはないけれど、とにかくローカルな空間で、モロッコの生活を味わうには実にいい街だった。

街角の揚げ物やさん
持ち運びはビニール紐でくくって
果物がたくさん売っている
屋台で食べた羊肉

  開始時間が近づいてきたので、我々はパブリックビューイングも見えるカフェに陣取った(カフェじゃないと座るスペースがなくてつらそうだったためである)。
 試合観戦はとても楽しかった。ゴールを狙う時の盛り上がりや、点を入れられた時の落胆を全員で共有する空間。旅人なのに、なんだかずっとこの場所でこうして生きてきたような気がして、言葉が分からないことに違和感すら覚えた。
 結果、フランスには勝てなかった。激しい人の群れに揉まれながら我々は店を出た。普段、夜はタクシーが走っていないので、帰ることができるかドキドキしたのだが、ヒシャムが知り合いに電話してくれたおかげで、なんとかタクシーを捕まえることに成功した。
 タクシーは当然のように寿司詰め状態だった。我々のホステルはトドラ渓谷に一番近い場所、つまりトドラの街の一番奥にあるので、タクシーから降りるのも最後だった。
 夜はミントティーをヒシャムが淹れてくれた。ホステルの屋上はテラスになっていて、星がとてもきれいだった。温かくて甘いミントティーを飲みながら、我々はとりとめもない話をした。こんなに気の合うモロッコ人は初めてだった。モロッコ人というよりほとんど日本人という感じだったけれど。
トドラの夜はどこまでも続いていきそうな感じがした。

 私はかくして延泊を決めた。


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