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ベルベルの心を備えよ(8)羊に水を飲ませること、絨毯の似合う家に住むこと【ティネリール・トドラ】

 8日目。12月15日。トドラに限らないことだが、モロッコはとかく毎日空が青すぎるほど青い。日の光で起きて、いつものように部屋のすぐ外にあるテラスで深呼吸。昨晩から干していた洗濯物はカラカラに乾いていたが、ハリドゥの干し方が控えめに言ってかなりダイナミックだったので、おばあちゃんの目じりみたいにしわくちゃになっていた。まあ、細かいことは気にせず着る。
 1階のソファではいつも通りヒシャムがいたが、朝食は私が作ることにした。せっかく教えてもらったベルベルオムレツの作り方を忘れないようにしておきたかったのだ。作りながらヒシャムと話して、その日の予定を考える。トドラ渓谷を抜けた先の岩場の上に、ノマドの家族が住んでいるというので、会いに行くことにした。彼らは、ノマドといいつつ、もう長い間その岩場に定住しているらしかった。
 ノマドのお宅訪問は、ハリドゥに連れて行ってもらうことになった。ハリドゥはたいていホステルにいたが、ほとんど話す機会がなかったので、私は内心少し身構えた。果たしてちゃんと楽しくおしゃべりできるだろうか。
そんな心配をよそに、ハリドゥは私がちょうど朝食を食べ終わったタイミングで、背負ってる意味があるのかもわからないくらいぺらぺらなリュックを背負い、ふらっと現れた。
 ノマドのお宅に訪問するにあたっては、ささやかなチップに加え、売店でいくらかのお土産を買っていくらしい。ノマドは、トドラの小さな売店を訪れるにも、岩場を下ってこなくてはならないので、お菓子などのちょっとした手土産はたいへん喜ばれるのだそうだ。ハリドゥはそれらの手土産を手慣れた様子でリュックに詰め(少しだけ厚みが増した)、トドラ渓谷に向かって歩き出した。

 ハリドゥは、ふたりきりになった瞬間、嘘みたいによく喋った。日本語は話せないけれど、いつかは話せるようになりたいこと。エッサウィラで料理の勉強をしていたこと。背の高い草を使ってラクダを折るのが得意なこと。
つたない英語で、とりとめもない話をしながら、私たちはトドラ渓谷を抜けた先の岩場を登り始めた。当日朝に決まった予定だったし、ハリドゥも大した荷物をもっていなかったので、私は至極簡単なハイキングを想像していたのだが、いざ登り始めるとかなりヘビーな岩場で、すぐに息が切れた。ハリドゥは、その細い肢体をひらひらとさせ、綿毛のように軽く登っていくので、私はしばしば声をかけてペースを合わせてもらわなくてはならなかった。


 途中、ロバに水を飲ませに行く途中のノマド(少女とその母)にすれ違った。写真を撮ると、少女が手を差し出すので、母親の分も込めて少し多めにチップを渡したのだが、後ろから来た母親もきっちり要求してきたので、私は内心舌を巻いた。なかなか図太いメンタルだ。

 ノマドは、毎日ロバや羊に水を飲ませにいくために、片道2時間の岩場を上り下りしているそうだ。毎日、家畜に水を飲ませる以外のことはほとんどできない日々。彼らは気っとそのことに疑問を持つことはなく、ある種の信仰のように、毎日同じことを繰り返し、死んでいくのだろう。その事実に、私はどこか感動に近い感情を覚えた。彼らは幸福なのだろうか?
美しい青空に抱かれ、息を切らして岩場を登りながら、物質的に満たされることのむなしさを思った。トドラに来てから、ずっと、幸福について考えている自分がいる。


 ノマドの家は、岩場をようやく登り切り、スコンと開けた空間に、唐突に表れた。斜面にぽっかりと空いたいくつもの穴ぐら、白い砂まみれの布地がくっつけられている。かなり奇妙な見た目だった。そこには、子どもが二人、母親らしき人、そしておそらく最高齢であろう家の主人がいた。彼の眼は日に焼けて白く(おそらくほとんど見えておらず)、指は岩のようにごつごつしていて、この人がいつか死んだときには、ひょっとして岩になってしまうんじゃないかと思うくらいだった。
 彼は私とハリドゥにミントティーをいれてくれた。これまで飲んできたミントティーとは違い、タイムの葉が使われていて、実に不思議な味わいだった。ノマドの家はちょっとした観光スポットとして有名なようで、私たちがお茶を飲んでいる間にも次々と観光客の訪問があった。私たちはみんなでお茶を飲んで、家を見せてもらい、たくさんの旅の話をした。

穴蔵のようなすみか
キャンプもある
何年も何年も使われる洋服たち
狭い穴蔵で器用にお茶を入れる主人
同行ハリドゥは顔がいい
ごつごつ
ハリドゥは2人で写真撮るのが好き


 下山して、ホステルで一息つく。岩場登りは大変だったが、帰ってみるとまだ昼過ぎで、意外と時間があった。ハリドゥと話し、ベルベル絨毯を作っているお店に連れて行ってもらうことにした。
 モロッコでは、嫁入り道具として織った絨毯を持っていくので、女性はみんな絨毯が織れるらしい。マラケシュでもたくさんのお店をみかけたが、どれも似たり寄ったりだったし、どうにも高そうで、お店に入ることもはばかられる感じだった。トドラにあるお店なら安心だ。
 ハリドゥと一緒に路地裏の小さな民家に入ると、人のよさそうなオーナーと、3人の女性がいた。オーナーは、ベルベル絨毯の織り方の種類や、染め方へのこだわり、柄の意味などを、次々と絨毯を倉庫から持ち出してきて、愛おしそうに話すのだった。街中でみてきた柄とは全く異なる、オリジナリティあふれるデザインが次々と出てきて、この1枚1枚にかかる時間と、これだけの枚数を作るのにかかった時間を考えると、その積み重ねた時の重厚さに涙が出そうになった。
 最初は、本当に全く買う気はなかったのだが、そのあまりの美しさ、きめ細かさに圧倒され、この芸術品が家にあったらどれほど素敵だろうと思った。そう思った自分に気づいた瞬間、私は購入することを決めた。
 オーナーに、購入の意思を伝えると、彼の眼がキラッと光った(ように思えた)。デザインが無限大なので、まずは好きな折り方や素材を決め、その中で様々なデザインを見せてもらって決めるスタイルである。サイズや形も様々な絨毯を見ながら、私は遠く日本にある自分の小さな居城を想像し、そこにぴったりと落ち着く絨毯の色や柄について思いを巡らせた。
 最終的に2枚までなんとかしぼりこんだものの、そこからが長かった。どうにも決められない。どちらもデザインやサイズが異なっており、どちらもずっと見ていたいほど美しかった。
 うんうんと悩む私にオーナーは、最終奥義「2枚買ったら安くするよ」を発動した。そもそも2枚置けるようなスペースがあるのかが問題だったので、それでも悩んでいると、彼は私が金額で悩んでいると思ったのか、さらにディスカウントしてきた。こんなに美しいものを値下げしてもらってしまうことを申し訳なく思った。私はついに、「この絨毯に似合う家にいつか住む」と肚を決め、カード一括払いで絨毯を購入した。

絨毯の作り方も教えてもらった

 夜は、キフタタジン(ひき肉のタジン)をヒシャムと一緒に作った。以前、アイト・ベン・ハッドゥで食べたそれがあまりに美味しかったので作り方を知りたかったのだ。だが、いざ作ってみると、煮込み時間がやや長かったのか、ひき肉が固くなってしまった。さすがに習ってすぐにおいしく作るのは難しいようである。

お肉固くなっちゃうんだよね

 夜は、ヒシャムとハリドゥがテラスでギターを弾いてくれた。誕生日が12/16なので、時差を加味するとちょうど29歳になった日だったことから、バースデーソングをプレゼントしようとしてくれたのである。なけなしの瓶ビールを開栓し、ヒシャムと分け合って飲んだ。
 私たちは上機嫌で歌い、踊った。明日もトドラで過ごせることが、何よりうれしかった。

結果的にはバースデーソングのメロディが思い出せず、モロッコソングを歌うだけだったのもご愛嬌

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