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ベルベルの心を備えよ(14)長い長い一日、初めての逃走【フェズ】

 12/21、14日目。早朝4時、Fesに到着した(悪いことに、30分ほど早く着いてしまった)。Fesは、モロッコの中でも比較的治安が悪いと聞いていたが、確かにバスを降りた瞬間に待ち構えていたドライバーたちの雰囲気はかなり「微妙」だった。目を合わせないように、バス停近くの大きな駅舎に逃げ込む。
 大きなリュックを背負った女性から、「日本人ですか?」と話しかけられた。話してみると、彼女は日本に住んでいる韓国人で、大学卒業後に日本で就職して働いていたが、ふと嫌になって旅に出たのだそうだ。その身軽さに驚き、世の中にはいろんな人がいるなあと改めて思う。
 4:30にドライバーが迎えに来た。韓国人の女性にシェアするか誘いをかけたが、ナンパ失敗。タクシー料金を安くする目論見は失敗に終わった。
 ドライバーの男性は、きょろりとした目につるんとした頭で、身長が大きく、上半身がやたらとがっしりしており、まさに実写版 怪盗グルーだった。スペイン語は話せないと言い、OKなどと答えておきながら、延々スペイン語で話しかけてきて愉快だった。多分、いい人なんだと思う。

 メディナ(旧市街)までは駅からタクシーで15分ほどかかった。予約したRiadの前に車を止めると、ドライバーは我が物顔でRiadのカギを開け、荷物を運んでくれた。そのRiadは、いわゆる屋外空間としてのPatioはなかったが、Patio的な吹き抜けのロビーになっていて、床から天井まで細やかなタイルの装飾が施されており、とても美しかった。狭い階段をぐるぐると苦労して登り、ようやく部屋にたどり着く。ドライバーに朝食の時間を聞かれたので、8時くらいにお願いしたいと伝えた。

華やかなRiadの天井
patio的なもの

 部屋は、ベッドが2つにシャワールーム1つの簡素な作りで、空調の効きが悪いのか肌寒かった。道路に面していて、前を通る車の音がひどくうるさかった。出来たら部屋を変えてもらおう。そう思いながら、ベッドに横たわり、つかの間の眠りに落ちる。

 次に目が覚めた時は、ちょうど8時くらいだった。朝食を食べに階段を下りたが、スタッフらしき姿がどこにもない。ドライバーのWhat‘s appは知っていたので連絡をしてみると、ドライバーからオーナーに伝えるね、と返事が来た。頼もしい。
 Patioの豪華なソファに座って暇を持て余していると、「Soooryyyy~!」と実に愉快なテンションでいいながら、くるくるパーマに眼鏡の細身な男性が現れた。すぐ準備するからもうちょっと待っててね!とにこやかに言うので、釣られてすっかり楽しくなってしまい、私は全く問題ないよと彼に伝えた。
 このRiadの朝食は、卵がついている(パンだけじゃない)というラインナップもさることながら、「ムスンメン(クレープ生地のようなパン)」が引くほどおいしかった。多分焼き加減が絶妙なんだと思う。

ムスンメンは左下のペラいやつです

 朝食を無事にとり、さっそく街歩きを開始した。Fesは、街の中にそれほど大きな見どころはなく、迷路のように入り組んだスークを散策することがウリの観光地なのだが、いくつかの古いモスクのほか、「タンネリ」という革なめしの工場もポイントだ。ひとまず、街の中心部にあるカラウィン・モスクを外から眺めた(モスクは、非ムスリムでも入れるところと入れないところがある)。マラケシュで散々見たからいいやなんて思っていたけれど、やっぱり何度見てもイスラム建築の美しさは飽きることがない。Fesの建築は、色合いが比較的シンプルなのだが、その分彫りの美しさが際立ち、見ごたえがあった。

ブールドネージュ門


 「タンネリ」は、特定の観光スポットがあるというわけではない。工場の周囲を囲むように革製品などのお店が並んでいて、店舗の2階に上がらせてもらい、工場を見るというスタイルだ店舗によっては、工場見学までやってもらえるところもあるらしい)。Google mapを頼りに、工場のあるエリアに近づくと、確かにだんだんお店が増えてきて、ついに「ミントを配っているお店」にたどり着いた。
 というのも、革をなめす中で、鳩の糞を使う工程があるために、タンネリは悪臭がものすごいことで有名なのである。それらの臭いに観光客が耐えられるよう、タンネリを見学できるお店は、店先でミントを配っているのだ。最初に目についたミント配りおじさんに近づくと、彼は勝手知ったる顔で私にミントを渡した。どうやら入場料はいらないようだ。そのあとのセールスがきっと強烈なんだろう。
 ありがたくミントを頂戴し、意を決して2階に上がる。外に出た瞬間ものすごい悪臭が……と思いきや、想像よりはるかにマイルドだった。季節にもよるのかもしれない。
 眼下には、スタンプみたいに同じような形で広げられた羊の皮と、染料がはいった巨大な壺が無数に並べられていた。それらの隙間を、職人たちがぬるぬるとせわしなく動き回っていた。ミニチュアな世界感が面白く、何人も見学者が入れ替わるのを横目に、私はぼーっと工場の人の動きを眺めていた。

これが臭いらしい
広げられている羊の皮
インク壺たち

 30分くらい経っただろうか。さすがに見飽きてきたので、店舗に戻った。いいものを見せてもらったし、買ってあげたいのはやまやまだったのだが、モロッコの革製品は分厚い革が多く、装飾もしっかりあって、正直言ってあまり好みのデザインがない。私の反応が芳しくないのを見て、セールスの男は「自分の友達がアルガンオイルを売っているから案内するよ」といった。そういえば、最初のマラケシュのスーパー以来、アルガンオイルを買っていない(本当はエッサウィラが本場なのだが買い忘れた)。何かしらは買おうとは思っていたので、案内してもらうことにした。

 案内されたのは数軒となりにある、おじいさんが一人でやっている小さなお店だった。そこでは、アルガンオイルを店先で絞って、搾りたてのオイルを売ってくれるとのことだった。マラケシュで買ったものは完全に工場製品で、フレッシュさはまるでなかったし、せっかくなので一瓶購入することにした。

生搾りの機械
そのままいれてくれた


 いいものを買わせてもらったお礼も込めて、私は案内してくれた男にチップを渡し、一人で散策を始めた。あたり一帯が、革製品だけでなく多くのショップが集積していて、歩くだけで楽しい雰囲気だった。
 店の中に巨大な機織り機があるお店に興味本位で入店した(スークのお店は、アルガンオイルもそうだが、目の前で製品を作っているところを見せるお店が多い)。そこは、美しいストールや刺繍の施された洋服などを売るお店だったのだが、物陰に、きらきらした刺繡が施されたポシェットがおいてあった。かわいらしい桜色。日本にいる姪っ子のことを思い出した。当時2歳くらいの姪っ子は、まさにそんな色が好きなお年頃だった。ポシェットのサイズも小さめで、小さい子でもきっと使いやすいだろうと思った。
 ポシェットを手に取り値段を聞くと、思っていたより高く、私はしばし逡巡した。作りはそれほどしっかりしていなさそうだ。観光客向けなんだろう。とはいえ、これまでの経験からいって、モロッコのピンクといえばショッキングピンクばかりで、こんなかわいらしいピンク色にはもう出会えない気がした。
 しょうがない、買うか。意を決したその時、とある男がお店に入ってきた。彼は私を見るなり、流ちょうな日本語を話しだした。完全に怪しい……と思ったが、どうやら店のオーナーらしく、店のスタッフと話して大幅なお値引きをしてくれた。まあ、ここまでセットで作戦だったのかもしれないけれど、そもそもの値段で買おうとしていたのでお得にはなったということで、ありがたく購入することにした。
 彼は、私が買い物をしそうな雰囲気を察したのか、自分のお店にいくつか連れて行ってくれた。特段やることもなかったので、散歩がてら一緒にお店を見て回ることに。何を買うでもなかったが、日本語で話せることにささやかな安堵があった。



 買い物も飽きたので男性と別れ、Fesの街を散策する。すると道中、男性が何やら話しかけてきた。「ガイド料はいらないよ」「気持ちだよ」といって、私の横をさも案内しているかのような顔でついて回ってくるのである。写真スポットがどうだとか、景色のいいカフェがどうだとか、聞いてもいない情報を話すので、これははっきりさせた方がいいと思い、写真スポットだという路地裏で私は唐突に「ガイド料は100dhs(※1,000円くらい)しか払わない」といった。とたん、彼は大変不機嫌になり、案の定それなりの金額(いくらだったか忘れてしまったが、確か500dhsくらい)を要求してきたのだった。おそらく、たっぷり情報を出した後に要求するつもりだったのだろう。
 最初こそ話し合いを試みたものの、まったく折り合いがつかないので、私は10dhsを彼に押し付け、走って逃げることにした(!)。彼は後ろから「Hey!」などと大声を出したが、私は一度も振り返ることなく、迷路のような街をやみくもに走り、なんとか脱出に成功したのであった。今思えば、今回のモロッコ旅で「走って逃げる」までのことをしたのはこれが最初で最後だったな。やっぱりFesはちょっと治安が悪いのかもしれない。

なんか連れてかれた外国人墓地?
なんか案内されたカラフルな壁
ここで逃走
ランチはサラダと
ちっちゃめなタジン(かわいい)
道端の猫盛り


 さて、夜行バスのせいもあって、私はすっかりくたくただった。Fesの街はマラケシュに比べると小さく、見どころも多くはない。あまりに暇なので、謎の木工博物館のようなところまで入り込み、少し傾いた太陽を遠くに見ながら、屋上でオレンジジュースを飲んだ。

 夜ご飯は、散策の末、Riadの近くのローカルレストランに潜入した。レストラン、というか、ちっちゃなキッチンに、グラグラのイスと机が1セットだけあるような、キオスクのようなサイズ感のお店だった。そして私は、50dhsくらいの格安なタジンと、ここにきて初めてハリラスープなるものを口にした(振り返ってみると、ここにいたるまで一度もハリラスープを飲んでいないというのは、正直モロッコ料理をなめているとしか思えない)。

場末のタジン
ビビるほど美味しいハリラ

 ハリラスープというのは、モロッコではラマダン明けに飲むスープで、すりつぶしたヒヨコ豆とトマトスープがベースのポタージュのようなものだ。私が飲んだハリラは具があまり入っていなかったが、複雑だけれど優しいスパイスの味わいが胃腸に染み渡る地味深さがあった。疲れた体にしみるとはまさにこのこと。タジンに次いで大好きになったのだった。

 人でにぎわう通りを歩いてRiadに戻る。扉を開けると、今朝がた朝食を用意してくれた細身の男性が出迎えてくれた。彼は自らをBossと呼んでほしいといった。本当の名前はHamzaだけれど、ニックネームなんだそうだ。なんとたいそうなニックネームだこと。

 今日の仕事は終わったというので、Bossと一緒に、Riadの屋上でお茶をした。彼は、流ちょうな英語で、「日本のアニメとマンガが大好きなんだ」と話した。
「僕が唯一知っている日本語、“コンニチハ”、“アリガトウ”、“カイゾクオウニオレハナル”!」
 “カイゾクオウニオレハナル”のイントネーションがあまりにそれらしくて、私は思わず笑った。本当に、海外における日本のアニメとマンガの知名度にはいつも驚かされる。私たちは、ワンピースについて語り合った。私は最新話まで追いかけられていないので、Bossのほうがはるかに詳しかったが、アラバスタだとか空島だとか、もはや歴史といっても過言ではない過去のストーリーでなんとか話をつないだ。
 Bossは、モロッコ人では珍しくムスリムではない。証拠に、彼女もいたし、しこたまタトゥーを彫っていた。そのタトゥーがまた独特で、正直言ってへたくそな幼稚園児が描いたキャラクターみたいな絵が、腕の死ぬほど目立つ箇所にはっきりと彫り込まれているのだった。私は目を疑って、「これタトゥーだよね?消えないんだよね?」と確認してしまうくらいだった。

目を疑う雑さのタトゥー
Riadの屋上テラス


 そのようにして楽しく話していると、階下からインド人の夫婦が上がってきた。彼らは、ジンのボトルを持ってきて、一緒に飲もうと私たちに声をかけてきた。
 私たちは夜のFesの空を肴に、久しぶりのアルコールを楽しんだ。インド人の夫婦は、いわゆるインドのセレブで、何個も別荘を持っていて、世界中を旅してまわっているのだそうだ。ふくよかな二人が小さな椅子できゅっと寄り添って座っている感じや、夫がいつだって妻にレディーファーストをしている感じとかが、なんだかとても暖かくて、幸せな気持ちになったのだった。
 ただ、もともと早口なBossの英語に、インド人の訛り散らかした独特の英語が重なったので、私はすっかり会話についていけなくなってしまった。粛々とジンを飲み、ほどほどのところで別れを告げ、部屋に引っ込む。

 Fesの街は1日で散々堪能したので、明日は宿のExclusionを利用し、Fesの近郊にある「メクネス」という古都を訪れることにしていた。日本で例えるなら、Fesが京都で、メクネスは奈良みたいな感じだ。最も古い都市であり、近郊にある古代ローマ時代の遺跡、ヴォルビリス遺跡が観光ハイライトだ。これまで、イスラム建築をさんざん見てきたこともあり、また違った景色が楽しめそうだった。
翌日の出発時間は何度聞いてもわからなかったので、とりあえず8時に朝食をお願いして、私はペラペラのベッドにもぐりこんだ。長い一日だったなと内心ため息をつく。
 夜行バスの疲れもあって、私は一瞬で眠りに落ちた。窓の外では、人々の声がにぎやかにこだましていた。

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