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ベルベルの心を備えよ(12)右も左もわからない【サハラ・ハッシラビアット】

 12/19、12日目。砂漠での一晩だったが、寝る場所は一人ずつ個室だった上に、ふかふかした暖かなベッドが準備されていたので、まったくもって快適な朝だった。
 脳内に住む野生の自分が「もっと寒くて震えながら砂まみれで目覚めるようなギリギリの世界はないのか」とわんわん吠えていた。

 みんなでラクダに乗り、デューンに昇って朝日を眺めた。朝焼けに照らされて、遠くの街の影がぼんやりと眠そうにみえた。低くはっきりとした声のコーランが、砂漠の砂を多い、私の耳に流れ込んだ。ああ、これが砂漠の朝か。

 再びラクダに乗り、いつものホテルに戻る。出迎えてくれたホテルのオーナーであるアリさんに、早速もっとディープな砂漠に行きたいと伝えた。まずは今日のバスチケットの変更をしなければならなかったのだが、その部分は、アリさんがすべての手配をやってくれることに。実にありがたい。
 チケットの変更をしてくれている間に、初日に会ったプロカメラマンの太一さんと再会した。彼は今日から3週間の砂漠の旅に出発するそうだ。水も電気もない旅……実にうらやましい。たまたまだが、帰国後は日本でソマリランドの写真展をやるということだった。彼の目で見た海外が知りたいと思い、必ず行くと約束して別れた。日本に帰る楽しみが一つ増えた。

 二晩めの砂漠は、夕方ごろの出発になるということだった。まだ時間は朝。ゆっくりと朝食をとり、シャワーを浴び、ラクダライドのせいでガチガチに固まった股関節をゆっくりと伸ばし、体を隅々まで点検した。荷物を開け、下着や靴下を手洗いして、さわやかな青空のもとに干していく。だんだん洗濯が板についてきた。

 小腹がすいたのでホテルの中庭に行くと、ジュラバを売ってくれたガチャ目のおじさんに出会った。おじさんは、私の着ているジュラバを見て親指を立て、ホテルのあちこちで写真を撮ってくれた。

 おじさんからおすすめのランチスポットを聞き、ホテルを出て、ハッシドラビアットを散策する。何てことない田舎町なのに、端々に日本語があるのがミスマッチでよかった。日本人が多い街なのだろう。すれ違う子供たちからは、「Ola!」「ボンジュール!」などと声をかけてくれた。外国人を見たらとりあえずそういうようにしているのだろう。私はにこやかに挨拶しながら、マラケシュなんかよりよっぽど気分よく歩けるな、と思った。

 ランチは、最初にバスが停車したロータリーに面したお店だった。朝食も食べていたので軽めにしようと、サラダとサンドイッチを注文し(出てきてみたら全然軽くなかった)、テラスで食べた。すると、今朝までのラクダツアーにいたSaidtがふらっとお店に現れた。彼は私を見つけると手を振り、当然のように席に座ってきた。あまりにローカルすぎてうれしくなってしまい、一緒におしゃべりしながら食事した。

サラダしか撮ってなかった

 夕方ごろの出発というのが正確に何時なのかわからなかったので、少し街を散策してから、早めにホテルに戻ることにした。夕日を見るとしたら、あまり遅くに出発するのもよくないだろうし、ホテルにいさえすればなんとかなるだろうと踏んだのだ。
 すっかり乾いた洗濯物を回収し、テラスにおかれた机で日記を書く。どこからか小さな鳥が一羽やってきて、近くの手すりに留まり、物珍し気に私を眺めた。普段、テラスにいる人間はあまりいないのかもしれない。君の安寧の場所にお邪魔してごめんねと会釈すると、鳥は満足げに体を震わせた。

 モロッコの家にあるテラスが好きだ。トドラの宿でも、この宿でもそうだが、最上階は大抵テラスになっていて、モロッコならではの鮮やかな色合いのタイルやカーペットで飾られ、かわいらしいテーブルやソファなんかがおいてある。独特の色彩センスは、この鮮やかな青空と、みずみずしい緑と、太陽の光を映して真っ赤に染まる砂漠で生まれたのかもしれないと思う。日本の、どことなくセピアな空や植物に囲まれて育った自分にはない感覚だ。そういう感覚の違いを知るのがとても好きだ。

 16時になった。モロッコ人の感覚はわからないが、一般的に夕方というのは16時くらいなんじゃないかと思った。階下に降りるが、掃除のおばちゃん以外誰もいない。さすがにちょっと心配になってきて、掃除のおばちゃんに声をかけた。まったく言葉が通じないので、とりあえず「アリさん」と名前を連呼する。彼女はフロントのほうに行き、誰かを呼んだ。すると、なんと現れたのはSaidtだった。
 彼はいつもの少し変わった英語で(おそらく聞きかじりで覚えたのだろう)、今日のラクダツアーは自分が連れて行くから、荷物を準備してほしいといった。おいおい、昼会ったときに言えよ!などと思いながら、自分の荷物の準備は終わっていたので、砂漠で一泊する荷物の準備を手伝った。ちょっと頑張ればバキっといけそうなテントと、毛布を何枚か運び、どこからかSaidtが連れてきたラクダの鞍に乗せる。今夜泊まるのは、昨日ランチをしたオアシスということだった。なるほど、あの場所だったら確かにラグジュアリーなテントはなかったし、トイレも電気もなかったし、なかなか寒そうだ。悪くない。
 今晩はフランス人の10人グループと一緒ということだった。人数の多さに思わず笑ってしまう。ホリデーシーズン、なかなか一人でじっくり砂漠の夜を過ごすのは難しいようだ。

 準備はあっという間にでき、砂漠に向けて再び出発した。すでに日は傾きかけていて、サンセットに間に合うのか不安だった。案の定、Saidtは、一番高いデューンの手前にあるデューンでラクダを止め、ここで夕陽を見ようといった。なんなら「16時に出発していれば、あそこの一番高いところで見られたよ」といってきた。私は16時には完全スタンバイできてたし、フロント裏の部屋で君が寝てたのしっかり見えてたけど……なんて思ったが、夕陽は十分すぎるほどきれいだったので、何も言わなかった。

砂漠で走る時は前傾ぎみになる

 そこからオアシスまではすぐだった(一番高いデューンを下ったところがオアシスになっている)。フランス人ファミリーはすでに到着しており、立派なテントが張ってあった。我々も急いで寝床を作る。持参したテントの見た目は日本のものとほとんど同じで、一人用なこともあり容易に設置できるのだが、いかんせんポールが情けないほど頼りない細さで、スタバのフラペチーノについてくるストローのほうがマシなんじゃないかと思った。一応設置はできたが、ちょっと大きめの犬が暴れたら簡単に壊せそうだった。
 もちろん私は“そういうの”を求めていたので、すっかり嬉しくなってにこにこした。

へなちょこテント

 それから、フランス人ファミリーと一緒に食事をした。前の晩と打って変わって、タジン鍋を中心としたモロッコ料理だった。砂漠でのタジンは初めてだったが、なんとナスが入っていた。これまでは、玉ねぎ、ニンジン、トマト、オリーブがベースだったので、かなり久しぶりに食べた気がした。地域によって入れる野菜が違うのだろう。
 フランス人ファミリーはとてもフレンドリーで、クリスマス休暇でモロッコに来ているとのことだった。友人同士の2家族と家庭教師の先生一人という、私からすると不思議な組み合わせだった。海外の旅行の感覚はよくわからない。
 彼らはこれから、4日間もの間、歩いて砂漠を旅し、ノマドに会うのだそうだ。10歳の子供もいる中で、すごいチャレンジだと思った。10歳の子供はアニメやマンガが好きで、ワンピースやナルトの話で盛り上がった。海外でのアニメトークは、日本のそれよりやや古い作品が通じるので、大変ありがたい。
 食事が終わると、またもや太鼓の演奏をしてくれた。フランス人ファミリーと手を取り輪になって踊った。そういえば昨日も砂漠で踊ったな。みんな毎日踊って暮らせばいいのに。一日の終わりに、音楽を聴いて踊るのは、健康にいい。

ナスのタジン

 太鼓の演奏が終わり、フランス人ファミリーからは夜の散歩に誘ってもらったが、英語もそれほどうまくないので(特にヨーロピアンに対してはうまく話せない)、丁重に断った。行き道で、Saidtから一緒に星空を撮ろうといわれていたのだが、見つからないようにこっそりと抜け出した。今回の砂漠はとにかく一人でいたい気持ちだった。
 フランス人ファミリーと別方向の暗がりに向かって歩いてみる。太一さんに、星空の撮り方を聞いていたので、しばらくは星空を撮っていた。撮り始めてみると、いやはや、これは難しい。ハマるのもわかると思った。一枚ずつ撮ってピントを地道に合わせていかなければならないし、毎度シャッターを長時間開けておかなければならず時間がかかるし、その時間とともに星が動くので画角の調整も重要になる。そしてめちゃくちゃ電池を使う。一つ目のバッテリーを使いつくしたタイミングで、私は星空チャレンジを終了した。

へなちょこ星空撮影 Day2

 それから、デューンをよじ登り、座って星を眺めた。遠くでフランス人ファミリーの話声が聞こえていたが、やがて静かになった。時間の感覚はなかった。明かりをつけないでいると、星明りでうっすらと足元が見える程度で、ほとんど真っ暗闇だった。そのような世界でデューンを歩くと、平衡感覚を失い、どこに進んでいるかわからなくなるのだった。何度も足を踏み外し、転げ落ちそうになった(もちろん転げ落ちたとしてもその先は柔らかな砂なので、ケガの心配はない)。
 裸の足の裏には冷たい砂の感触だけがあって、頭上にはちょっと贅沢すぎるくらい星が輝く空だけがあった。どこを見ても真っ暗なので、唯一の光が見える上を見て歩く。突然足元が崩れる不安定さにどきどきした。

 私は真っ暗な世界で無性に何かしたくなって、大きな声で歌ってみたり、静かに泣いてみたりした。どれだけ時間がたっても、私が何をしても、当然のように砂はずっと冷たく、星の数も変わらなかった。そうした当たり前を確認して、私はおとなしくデューンをすべるように降り、ライトをつけ、簡易すぎるテントの中に大量の砂ともぐりこんだ。
 毛布のおかげもあるだろうが、思っていたより夜は寒くなく、風もなかったので、私はテントの入り口を全部開けて、寝転びながら星空を見た。目を閉じているのか、開いているのか、自分ではわからなくなりそうなほど真っ暗な世界で、ずっと星を見ていた。そうしているうちに、私はいつの間にか眠りに落ちていた。


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