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ベルベルの心を備えよ(13)そしていきものになる【サハラ、ハッシラビアッド】

 12/20、13日目。目が覚めると、まだ空に夜がくすぶっていた。眠る直前に見たオリオン座が真反対の位置に移動していて、どっちがどこなのかわからなくなる。
 さすがにまだ眠かったので、オリオン座の写真を数枚撮り、もう一度テントに戻って目を閉じた。

反対側のオリオン


 次に目が覚めた時には、少し薄明るくなってきていた。朝の気配がする。
 テントを抜け出すと、物陰でぶつぶつとつぶやく声がした。驚き、目を凝らすと、闇の中で四つん這いになり、朝の祈りをささげる老人がいた。彼は私に気づくと、まるでとっておきの秘密を話すように、小さな声で言った。「朝日を撮りたいなら、山の上がいいよ」

 そのオアシスは、周囲を巨大なデューンで囲まれたくぼ地にあり、そのデューンは確かに「山」といって差し支えない高さだった。
 私はかくして決意的に、その山を登り始めた。3歩分の足幅なのに、ずずずと滑り落ちてしまって、1歩分しか進まない。上半身が全部肺になってしまったのかと思うほど呼吸が荒くなる。信じられないほどしんどい。富士山の須走ルートのほうがよほど楽だった。ポケットに入れていたペットボトルがずるりとこぼれおち、あ、という間もなく斜面をころがり落ちた。
 何度も立ち止まったが、中途半端なところで朝日を見るのも嫌で、根性で登り切った。頭の片隅で、「私ってこういうやつなんだよなあ」と思った。

遠くに見える頂

 なんとか、朝日が昇る前に、山頂にたどり着いた。冷たい砂の上に座り込み、荒ぶる肺を落ち着かせる。空はゆっくりと、しかし確実に、赤く染まり始めていた。
 やがて朝日はまるで線香花火のように赤く、ぷっくりと、今にも弾けそうになりながら、砂漠の果てにゆっくり膨らんだ。
 空を、雲を、砂を、赤く赤く染めながら、球体はみるみる大きくなった。あわや弾けるかと思われたそれは、気づけば白い色にかわり、さえぎるもののない砂漠のすべてを照らした。
 わたしはその強いエネルギーを全身で浴びて、「ああ、わたしはこうやって生きていきたい」と確信に満ちた思いを抱いたのだった。光を浴び、地球を感じながら、私はまるで生まれたての生き物みたいな気持ちになって、ゆっくりと体を伸ばし、冷たい砂に両手で触れた。
 いきているな、と思った。

フレンチファミリーの1人も早起きしてた

 かくしてドラマチックな朝を堪能し、私はデューンをくだった。(案の定、下るのはちょっと嫌になるほど簡単だった)
 登り切ってみればいつも通りの朝で、フレンチファミリーと一緒にわいわいと朝食を食べる。国民性なのか、みんなして私の3倍くらいパンを食べるのが面白かった。 

つつましく朝食の開始を待つオレンジジュースたち


 砂漠の果てに旅を進めるファミリーとお別れし、何度も通った道で、Saidと一緒に街に帰る。帰り道は、せっかくなのでラクダを引いて歩いて帰ることにした(カメラマン 太一さんの教えによると、「ラクダは乗るものじゃない、砂漠は歩いたほうがいい」とのことだった)。
 靴を脱いで、裸足で歩いてみた。足元の砂は、一歩踏み出すごとに身をよじるように崩れるので、何かの生き物を踏みしめながら歩いているみたいだった。
 Saidtは相変わらず写真がとても上手で、ラクダを引いて歩く私をたくさん撮影してくれた。一人旅だとなかなか写真を撮ってもらう機会もないので、恥ずかしい反面、かなりうれしかった。

ずんどこあるく
よしよしする
砂漠の民になる

 あっけないほど簡単にホステルにたどり着いた。ああ、ついにサハラの時間が終わってしまったな。旅の大目的を完遂したことに、満足を覚えながら、温かなシャワーを浴びる。
 バスの時間は19時なので、かなりの時間があった。おなかがすいたので、トドラの宿のオーナー(日本人女性)がメールでおすすめしてくれた店に行ってみる。観光地価格で少し高かったが、モロッカンサラダがとてもゴージャスで素晴らしかった。

ほらナス入ってるでしょ


 昼食を終え、ハッシドラビアットのささやかなお土産物屋を物色しながら、ホステルの近くに戻った。ホステルの前には、トドラを想起させるような、豊かな緑の畑が広がっていた。入っていいのかよくわからなかったが、時間もあったので思い切って侵入することにした。
 畑はよく手入れされており、奥に進むと、トドラで見慣れたパームツリーの林になった。細い道が縦と横に何本も整備されていて、好きなだけ探検することができた。緑陰がここちよく、私は適当な道端に座って風に吹かれていた。時々、ヨーロピアンの団体がガイドに連れられて通るので、私はちょっと寄って道を開けなくてはいけなかった。何かの観光スポットなんだろう。

 散歩に飽きてホステルに戻り、日記を書きながら時間をつぶす。相変わらず2階のテラスがお気に入りだった。旅の日記は、隙間時間を過ごすのにちょうどいい。

 18:30になり、Saidtに別れを告げ、すぐ近くのバス停にアリさんと向かった。
 次なる目的地は、モロッコではかなり有名な観光地、フェズである。

 フェズは、迷路の町といわれている。マラケシュのスーク(路地にお店が立ち並ぶ一帯をスークと呼ぶ)もかなり入り組んでいるけれど、フェズはマラケシュよりも古い街で、ガイドブックによればマラケシュよりも複雑に入り組んでいるとのことだった。また、とりわけ革細工が有名で、皮なめし工場を見学するのが定番コースである。
 ハッシドラビアットからフェズへは、夕方に出発し、朝に到着する夜行バス(Supuratours)しか手段がない。海外での夜行バスなんて経験がなかったし、到底寝られる気もしなかったので、タクシーのチャーターも考えたのだが、さすがに一人で1台貸切るとかなりのお値段になってしまう。苦渋の思いで、夜行バスを選択したのだった。

 バスは、夜行バスだからといってリクライニングが効くわけも、3列独立なわけも、顔回りを隠してくれるカバーがあるわけもなく、純然たる普通のバスだった。幸いにも窓際だったが、窓ガラスの冷たさとかちこちの椅子では、さすがに寝付けなかった。
 途中の休憩スポットで、引くほど汚いトイレに2Dhsを支払い、温かなスープを買って飲んでいると、奇跡的なタイミングでヒシャムから電話がかかってきた。彼は少し酔っているようだった。私がジュラバを買った話をすると、あげるのを忘れていたと、ちょっと悲しそうに言った。気にしないでと私は笑い、そっと電話を切った。
たぶん、もらわない方が良かったということなんだろう。

 再びバスに乗り、夜の街を進む。このままきっと眠れずに朝になることを強く予感した私は、早々に次のRiadに連絡をし、迎えのタクシーを手配した。バスターミナルで仮眠をとろうと思っていたのだが、このままでは体力が持たない。
 時折ローカルな街に停車するバスに揺られながら、トドラのことを想って目を閉じた。


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