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ベルベルの心を備えよ⑥トドラ渓谷との圧倒的遭遇【ティネリール・トドラ】

 6日目。12/13。7時くらいに目が覚める。例のごとくパンにパンを合わせる炭水化物フェスティバルが朝食で開催されたので、すっかり満腹になってしまい、腹ごなしに朝の散歩に出かけることにした。少しだけ宿の周りを歩くつもりで、シャワー用の便所サンダル(百均で買ってきたもの)をつっかけて出たのだが、歩いているうちにだんだん気分が乗ってきたので、20分ほどかけて遺跡まで歩くことにした。
遺跡の隣に小高い丘があったので、最後にゆっくりとその大きさを堪能すべく、私はサンダルごと滑り落ちそうになりながら苦労して丘を登った。この町は宿泊する客が少ないので、朝の遺跡は見渡す限り人は見えず、しんと静まり返っていた。
すうっと息を吸う。土の混ざった赤茶けた空気が肺を満たした。誰もいないのをいいことに、私は地面の上に堂々と胡坐をかいて、巨大な遺跡と見つめあった。
ベルベル人の家族を抱え、ベルベル人の土産物屋が並び、彼らの生活を支えるその巨大な城は、あるいは冬眠している熊のように、静かに佇んでいた。

結局1時間ほど外をうろつき、私は満足して宿に戻った。便所サンダルは、こんなに歩かされる予定はなかったのに言いたげな汚れ方をしていた。
この日は、オンラインでとある講座を受けてから、バスでティネリールに移動する日だった。講座の時間は日本だと19:30~22:00なのだが、現地時間では11:30~14:00となる。講座を受けるにはもちろん電波が安定した場所が必要だったのだが、オーナーが本当に親切な人で、チェックアウト時間を大幅に過ぎた14時まで部屋を使うことを許してくれた。
画面上の誰もが夜の静かなトーンで講座を受ける中、散歩終わりのすっかり元気なテンションで、なおかつ昼間の光ですっかり明るい背景で受講していた私は、控えめに言ってかなり浮いていたと思う(前回の講座はインドからだったので、受講生からは「今日はどこから受講しているのか」なんて茶化された)。

講座を終えると、オーナーがなんとタクシーを呼んでおいてくれた。「100dhsでいい?」と聞かれたが、行きと同じ金額だったので、これはもう少し下がるはずだと読み(我ながら実に図々しいが)「50dhsでどうか」と聞くと、「全然OKだよ」と二つ返事で乗せてくれた。たぶん、ローカルは10dhsくらいなんだろう。
タクシーはオーナーのおじさんで、同乗者としてオーナーの兄がいた。これからワルザザードの街に行くので一緒に乗せてくれるそうだ。親切なオーナーに別れを告げて、私はタクシーに乗り込んだ。運転手と同乗者は、フランス語しか話せなかったが、時々たどたどしい英語で私に懸命に話しかけてくれ、実に親切だった。

全然コミュニケーションとれないのに写真は撮りたがる

 ワルザザードにつき、バスターミナルにおろしてもらう。
 お昼ご飯を食べていなかったので、かなりお腹がすいていた。出発まで30分ほどあったので、私はワルザザードの街を探検することにした。マラケシュで購入した瓶ビールを飲みこんだザックは相変わらずずっしりと重く、本当はバスターミナルに置いていきたかったが、さすがにその勇気はないので、すべて背負っていくことにした。最悪なことに、バスターミナルからグーグルマップで調べたスーパーへの道は結構な上り坂だった。早々に後悔したが、行ってしまえば大したことはないはずだと、グーグルマップをにらみながら足を進めた。

ワルザザードの街は、道路や建物が整然としており、マラケシュのようにメディナがあるわけではないので迷うことはない。大通り沿いの坂を上りながら、私は都会然とした街並みを興味深く眺めた。小さなオープンカフェがいくつかあったので入ってみたが、14時も大幅に過ぎておりランチをしている客はおらず、そのうえマラケシュと比べて格段に英語が通じなかったので、軽食を手に入れることは残念ながらかなわなかった(メニューがないカフェというのはモロッコでは当たり前なので、オーダーにはコミュニケーションが必須なのである)。売店も見かけたが、日本のコンビニのようなおにぎり・サンドイッチといった軽食はなく、飲み物や、引くほど甘そうなお菓子類が並んでいるばかりだった。つくづく日本のコンビニのすばらしさが惜しまれる。
最後の頼みの綱である「スーパーマーケット」も、結局行ってみたら普通の売店だった。私はがっかりして、とりあえず水を1本買い、バスターミナルに戻ることにした。帰りは下り坂なので少し気も楽だった。

バスの出発時刻は16時。バスターミナルの固い椅子に座り込み、私はぼーっとしながらバスを待った。バスターミナルの待合室にいる人たちは、マラケシュと比べて外国人がかなり少なく、ほとんどがモロッコ人のようだった。相当ヒマなツーリストでない限り、砂漠の街をバスで旅なんてしないのかもしれない。
バスはほぼ時間通りに到着した(驚異的)。予約していた席に乗り込み一息をつく。ティネリールまでは3時間の道のりだ。エッサウィラのように、観光客向けのスポットがあるわけでもないので、バスは淡々と赤茶色の世界を突き進んだ。溜まっていた日記を書きながら、暗くなっていく外を眺めた。

次なる目的地はティネリールである。ティネリールは、アトラス山脈の南側に位置する都市で、ダデス川によって作り上げられた断崖絶壁、「トドラ渓谷」が最も有名な観光スポットである。裏を返せば、トドラ山脈以外に著名な観光スポットはないので、多くの観光客はチャーターした車でトドラ渓谷に直行し、パシャリと写真撮影をして、さっさとサハラ砂漠のツアーに行ってしまうような街だ。
私がこのティネリールで最もやりたかったのは、日本人の女主人が経営しているという「のりこハウス」というホステルに宿泊することだった。
のりこハウス、正式名称「Maison d’hote la Fleur」は、モロッコを旅しようとする日本人なら(バックパッカーであれば特に)、必ずその名を目にする宿だと思う。女主人であるのりこさんの作る日本料理が絶品で、ことにモロッコ料理を食べ続けた胃は一度食べるとすっかりその味にとらわれてしまい、ほとんどの日本人が「沼って」しまうらしい。自分の旅程を考えても、日本語も話したくなる頃合いだろうし、のりこさんにもお会いしてみたいと、かなり楽しみにしていた宿だった。
ところが、事前に予約のためにメールしたところ、なんと女主人ののりこさんは、コロナの影響もあって一時帰国中。現在はモロッコ人とその彼女のカナダ人が常駐しており、宿泊は可能だが、日本料理は食べられないとのことだった。なんという間の悪さだ。
とはいえ、多くの旅人を引き付ける魅惑の宿に心惹かれていたのもまた事実。1泊2食付きで200dhsという破格さも相まって、結局宿泊を決めたのだった。

 ティネリールに着いたのは日もすっかり暮れたころだった(余談だが、「ティネリール」というのは州の名前で、正確な地名は「ティンジル」だ。この情報が事前になかったので、バス停を危うく降りそびれるところだった)。
 Maison d’hote la Fleurは、トドラ渓谷のすぐ近くに立地する宿であり、ティネリールの中心部からは車で30分ほどかかる。日中であれば、「グランタクシー」という乗り合いのタクシーが運行しており、10dhs程度で行けるそうだが、夜は通常のタクシーをチャーターするしかないそうだ(100dhs程度)。のりこさんとの事前のやり取りの中で、スタッフによるバス停までの出迎えと、タクシーのチャーターをお願いしていた。
バス停に降り立ち、私は急に不安になって辺りを見回した。そういえば、いったいどんな人が迎えに来るのかも、その人の連絡先も、私自身の背格好も、何一つ伝えていない。これで見つけてもらえなかったら終わりだ。事前のネットの情報では、日本人とみるやスタッフのふりをして「のりこハウスに行くのか?」と声をかけ、全然違う宿に連れていかれてしまうといったアクシデントに遭った人もいるらしい。声をかけられてもどうやって判断すればいいのか……そもそも今宿にいるスタッフは日本語が話せるのか……。
「レイさん?」ふいに、流ちょうな日本語で私の名を呼ぶ声がした。振り向くと、浅黒い肌、パーマがかかったようにくるりとした短髪、すらりとした鼻筋、炭のように真っ黒で大きな瞳と、少し垂れたような目じり。めちゃくちゃモロッコフェイスの(というかベルベルフェイスの)、スマートな男性が立っていた。
「のりこハウスのお迎えです。タクシー呼んであるので、一緒に行きましょう」

彼は名をヒシャムと名乗った。どの程度日本語が話せるのかわからなかったので、初めはゆっくりと会話していたのだが、やがて4年日本で働いていたことがわかり、そのうち私はまるで日本人と話しているかのようにすらすらと言葉を紡いていた。久しぶりに日本語で話せることが嬉しかった。

車は暗闇をひた走り、やがて宿に到着した。
ピンク色を基調にした外壁に、緑の窓枠。日本じゃ絶対に見られない配色だ。宿の前は少し急な階段になっていた。扉を開けると、左手には20人くらいで夕食を囲めそうな大きなテーブルとふかふかのソファが鎮座するリビング(きっと多くの日本人がここで夕食を共にしたのだろう)。壁に扉が一つあって、奥には階段があった。建物の外観から言って、3階建てといったところか。そして正面にはキッチンが見えた。
宿は、放課後の教室のようにひっそりとしていた。どうやらほかのゲストはいないようだ。ヒシャムは私に部屋を案内して(元々ドミトリーで予約していたのだが、修理中だとかで、最上階の個室が割り当てられた)、あたたかなミントティーを淹れてくれた。
「ご飯はすぐ食べますか?すぐ食べるなら、おんなのひとにお願いしてきます」
彼は料理を作る女性のことを「おんなのひと」と呼んだ。その丁寧な響きに、このホステルの居心地の良さに対する予感が、優しく漂っていた。
私は朝ごはん以降何も食べておらず、悲劇的に空腹だった。ありがとう、食べたいです。そう答えると、彼はうなずき、リビング奥側の扉の向こうに消えた。ホステルにキッチンはあるが、どうやら作り手の「おんなのひと」は扉一枚隔てた隣の家に住んでいるようだ。
取り残されたわたしは、リビングにおいてある本棚に日本の本があるのを見てわくわくしたり――アラビア語入門、地球の歩き方モロッコ編、赤川次郎なんかがあった――、壁に貼ってあるexclusionを眺めたりして時間をつぶした。
Exclusionでは、砂漠ツアーはもちろんのこと、それ以外にも「ロッククライミング」「ノマドの家訪問」「パームツリー散策」なんかがあった。トドラ渓谷は、その類稀なる渓谷の深さから、ロッククライミングの聖地といわれているらしい。全く知らなかった。
扉の向こうからヒシャムがタジン鍋をもって戻ってきた。夕食はチキンタジンと、モロッカンサラダ、フルーツ、たくさんのパンだった。
チキンタジンは空腹も相まって実においしく、私はパクパクと快調に平らげた。一人で食べるにはちょっと量が多かったのだが、なぜだかお腹に入ってしまうのだ。

食べ終わるころ、扉の向こうからガタイのいい白髪の男性が小さな子供を二人連れて現れた。彼は日本語こそ話せないが、どうやらオーナーであるのりこさんの代わりに宿を経営しているらしい。小さな子供たちは彼の息子だという(年齢的には孫にも見えたが、聞き間違いだったのかもしれない)。簡単な挨拶を交わすと、彼はヒシャムと一言二言会話し、扉の向こうに戻っていった。

「ほかにゲストもいないから、自分の家みたいにしてください」ヒシャムはにっこりと笑った。自分の家みたいにしていいなら、食器は片づけたいし、自分のことは自分でしたい。ここまでの宿で「ゲスト扱い」されることにひどく疲れていたので、私は積極的に食器をホステルのキッチンに運び、洗い物をした。久しぶりに自分のペースで生活できた感じがして嬉しかった。

なんとなくexclusionを再び眺めていると、ヒシャムがそばに来て説明してくれた。中でもロッククライミングは、トドラに住んでいる子どもがみんなやる遊びで、自分もやるそうだ。私が興味深く話を聞いていると、「せっかくだからやりますか?」とのお誘い。来た、この展開。私はいつものように少しだけ迷って(あるいは迷ったふりをして)、「じゃあ、せっかくだからやります」といった。

トドラ渓谷は日陰になっていて寒いので、ロッククライミングは朝10時くらいから始めることにした。朝食の時間を聞かれたので、私はかねてから考えていたことを思い切っていった。
「もしヒシャムが良ければ、一緒に朝ごはんを作らせてもらえませんか」
モロッコに来ておよそ1週間。私はすっかりモロッコ料理の虜になっていた。なんとかして日本でも作れるようになりたい。そんな思いだったが、リヤドではたいてい複数のゲストがいて、キッチンに立ち入らせてもらえることはほとんどない。この宿であれば、この人であれば、やらせてもらえるかもしれない。
そして私の期待通り、ヒシャムは二つ返事でOKしてくれた。朝ごはんは8時くらいから作るから、時間になったら降りてきてください。

私はわくわくしながら部屋に戻った。部屋のすぐ隣はきれいなテラスになっていて、小さな星が何度も私にウインクした。明日からこの宿に滞在するのだ。星空を見るのは明日でもいい。早くも延泊の可能性について思いを巡らせながら、私はふかふかのベッドに身をうずめて眠りについた。

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