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ビニール袋の未知と灼熱④いのちをまるごと売っている【ルアンナムター】


 ルアンナムターのモーニングマーケットの迫力ときたら。
 一歩立ち入ると、むわむわと青っぽさを立ち昇らせる葉物や土まみれの得体のしれない根菜が所狭しと並び、竹ざるに投げ込まれた蟹たちが外の世界を見上げるように蠢き、作り立ての総菜がパンパンのビニール袋に湯気ごと閉じ込められ、打ちたてほやほやの小麦の麺類をちょきちょきと切る音が小気味よく響き、一段上がったタイル張りの区画でまだ生きているかのような赤赤しい肉が売られ、足元のバケツにはペンキのような血がたっぷりと溜まり、壁際でばしゃりばしゃりと魚が跳ね、籠入りの鶏たちはまるで今すぐ食べられたいみたいに翼をはためかせてコッココッコと鳴いていた。
 とにかくエネルギーがすごかった。いのちを丸ごと売っている、そんな場所だった。

甘いものコーナー
豆腐っぽい


 とはいえルアンナムターの面白さはもちろんモーニングマーケットだけではない。
 ラオス北部に位置するこの都市は、周辺に多くの少数民族がすんでいる。そもそもラオスに住む人たちのうち、純粋なラオ人は半分くらいしかいないらしい。ルアンナムター周辺には、モン族、アカ族、ランタン族など、15くらいの民族が住んでいる。この日は、日帰りでいけるいくつかの村をめぐるツアーを予定していた。

 昨夜のツアー会社のオフィスに向かうと、1台のトゥクトゥクが停車していた。オフシーズンなので、そのツアーの参加者は私一人だった。
 ガイドのタオは英語を流ちょうに話す32歳で、すでに2人の子供がいるらしい。私が30歳だというと死ぬほど驚いて、「20歳くらいだと思ってた」と言われた(さすがにそれはないだろうと思った)。

 最初の村までは2時間ほどかかった。いささか野生的がすぎる路面に、バリカタの座席かつ空調ゼロのトゥクトゥクで行くには少々遠い距離で、それなりにしんどかった。暑さより振動がきつかった。

 最初の村は、ラオ・ウイスキーを作っている村だった。出た、ルアンバパーンで散々みたやつだ。その時は知らなかったけれど、ラオ・ウイスキーの製造は政府が認めた村でした作れないらしい(少数民族の産業を守るためだとか)。頼りない木でできた家が点在するその村では、あちらこちらで蒸留装置が湯気を立てていた。

フルオープンカー
蒸留後の液体


 お昼に立ち寄ったローカルマーケットは、もちろんルアンナムターのそれと比べるとはるかに小規模で、なんとなくかつて行ったトルクメニスタンを思い出させる雰囲気だった。観光客なんかほとんどこない、ローカルで小さなマーケットという感じ。
 タオがいくつかの総菜と謎の川魚とカオニャオを買ってくれたが、もちろん箸なんてもらってきていなかったので、彼に促されるまま素手で食べた。
 いつもよりうまく感じた。

ウマカッタ


 それからモン族、アカ族の村に行った。モン族は刺繍が美しい衣装が特徴的な民族で、ターバンのようなものを巻いていた。私はそこで刺繍入りのコースターを4枚買った。
 アカ族は最も規模の大きい一族だ。アカ族の村の子供たちはみんな人懐っこかった。何かのお祭りの日だったらしく、大音量でラオ・ミュージックが鳴り響き、みんながこぞってビールを飲んでいた(後から聞いたらとある村人の新居が完成したというレベルだったのだが、その盛り上がりたるや皇族の結婚式みたいだった)。手招きされたので参加したかったのだが、タオが嫌そうだったので我慢した。
 アカ族の村では、どの家の横にも小さな小屋が建っていた。タオに尋ねると、アカ族の文化のことを教えてくれた。13歳になった男の子は、家の近くに小さな小屋を建てて、結婚するまでずっとそこで寝るんだそうだ。結婚に向けてその孤独の演出は大変に合理的な気もした。家族と離れて粗末な小屋でたった一人眠らなければならない少年たち。
 次に訪れたランタン族の村では、そこら中にヤギやブタが歩き回っていた。鶏はよく見るけど、なかなか新鮮な思いでしげしげと眺めた。無造作に干された洗濯物に、ランタン族の民族衣装が混ざりこんでいて、ああ、生活だなあと思った。

下校時間に遭遇
家。家?
暑いと腹を出すあたりが小学生男子
少年たちが住む家
虫売ってました
唐辛子がたくさん干してある
祭り
とりかご

 少数民族ツアーは結構面白かったけど、正直にいえば、魂震えるというほどの経験ではなかったと思う。
 帰りのトゥクトゥクに揺られながら私は考えていた。予定通りいけば、次の日の飛行機でヴィエンチャンに帰ることになる。ルアンナムターで一番行きたかったモーニングマーケットへの訪問という目的は一応果たしているけれど、もう少しルアンナムターを感じたい気がした。

 ツアー会社の前まで戻ってきて、私は開口一番、飛行機のキャンセルを依頼した。昨晩親切に案内してくれた女性ーーリンネは、昨日の今日でキャンセルを言い出した私にさすがに驚いて、「キャンセル料がかかってしまうけれどいいの?」といった。金額は大したことなかった。私は全然いい、むしろ明日何かやれることがないかと聞いた。
 彼女はそれならと絶対にナムハー国立公園に行くべきだといった。全然知らなかったけれど、ルアンナムターは大自然の残る国立公園のすぐ近くの都市で、たいていの旅人はトレッキングとかカヤックツアーを体験するらしい。心惹かれたが、そういう系のアクティビティって結構高いものだ。特に1人だと、ラオス価格でも100$くらいはする可能性もある。
 覚悟を決めて値段を聞くと、50$で良いよとのことだった。二日連続でオフシーズンに利用したからだろうか。他のツアー会社の値段を見てもかなり安い方だったこともあり、私は即決した。

 時刻はまだ夕方くらいでそれなりに時間があったので、ルアンナムターの町を端から端まで歩いた。途中、日本の友達から電話がかかってきて(彼女に振られたらしい)、げらげら笑いながら失恋話を聞いた。なんだかずっとここに住んでいたみたいだ。

 夜はナイトマーケットにご飯を買いに行った。今度こそビニール袋メシ以外のものを食べると心に決めていた。
 ルアンバパーンと違って英語表記がなく、ろくにメニューが読めないので、ひとまず前日の夜見た中で一番人が集まっていた屋台のご飯を買うことにした。
 そこでは女性がどでかい木の臼でてきぱきとパパイヤサラダ(ソムタム)を作ってくれ、吊り下げられたショーケースでは色よく焼き付けられたチキンやダックの肉を買うことができた。
 私は半分サイズのダックとそのパパイヤサラダを注文して(辛くする?と聞かれたので、ラオスの食文化に敬意を払いつつ、心からNoと言った。ラオスの辛い料理はマジで辛すぎる)、宿に戻った。
 日中の疲れもあって食欲はなかったのだが、シャワーを浴びたら少し元気になったので、一口だけパパイヤサラダを口に運んでみた。

 その瞬間、あまりのおいしさに私は腰を抜かしそうになった。なんだこの複雑な味わいは。シャクシャクのパパイヤに爽やかなライムの香り、そしてよくわからないスパイスたちの協奏。前日の夜のビニール袋メシがつくづく悔やまれるうまさだった。今思っても、あれをもう一度食べるためにルアンナムターに行ってもいい。そのくらいうまくて、気づいたらなくなっていた。そのまま勢いでお肉も平らげてしまった。
 ラオスメシの後半の追い上げに戦慄しながら、私は翌朝に向けて早々に就寝したのであった。

袋越しで全然美味しそうさが伝わらないソムタム
同上

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