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ジョージア、天国に一番近い国(10)ずっと生きていなかった【ウシュグリ、メスティア】

 1月4日。9日目。夜明け前に(とはいっても7時台だ)起床した。雪は昨晩から愚直に降り続いていたみたいだった。朝日は到底みられそうになかったけれど、白んでいく空はどうにか見たくて、しこたま着込んで外に出た。降りたての雪が宿の前の細い道にすっかり積み上がっていて、どうにも進みようがない感じだった。

 宿のすぐ近くに小高い丘のようなものがあり、ひときわ大きな復讐の塔が煌々とライトアップされていた。私はひとまずその塔を目指すことにした。
雪の積もり方を観察し、道と思われる場所にさくりと足を踏み入れる。それほど埋まらなければアタリだが、うっかり膝まで埋もれてしまうこともあった。ちょっとしたギャンブル。
 そんな風にしてずぶりずぶりと歩いていると、頭上で犬の鳴き声が聞こえた。見上げると、丘に向かう斜面の途中に、最初に宿に到着したときに出迎えてくれた巨大な犬2頭と、なんとハットリさんがいた。

「おはよう~」ハットリさんはのんきに私に声をかけた。犬たちは、降り積もった雪に微塵もひるまず、私の近くに駆け寄ってきた。昨日は少し怖かったけれど、今はその温かな毛の塊に救われるような気持だった。私とハットリさんは、犬たちに先導されて(まさに犬たちは私たちを塔の上まで連れて行ってくれたのだ)、急斜面を登り、なんとか丘の上にたどり着いた。

 その丘の上から見るウシュグリは、昨日よりもずっと朧気だった。薄暗い闇の中に絶え間なく雪が降り、ろうそくのような小さな街の明かりがぽつりぽつりとともって、時たま犬の吠え声がした。それ以外の気配は何もない場所だった。

 分厚い雲の向こう側でゆっくりと太陽が昇り、雪空がだんだんと白く染まった。いつの間にかハットリさんはいなくなっていた。2頭いた犬は、1頭がハットリさんについていて、もう1頭は私のそばにじっと寄り添っていた。いつ役割分担したんだろう。温かな体温を足元に感じながら、雪空をひたすらに眺めていると、私はまるでモロッコの旅の終わりから今この瞬間まで、自分がまったく生きていなかったような気がした。これほどまでに心が動くことを生きているというのなら、私はこれまでいったい何をしていたんだろう?標高2,000mの世界で、私はただ立ち尽くしていた。

 30分ほどいただろうか。さすがに寒くなってきたので、丘を下る。下り途中で、またどこかからハットリさんと犬が現れた。違うところで雪を眺めていたそうだ。犬たちの存在に本当に助けられた時間だった。
 宿に戻ると、あたたかな家の香りがした。すっかり濡れてしまった靴を暖房の上に置き、1階に降りると、そこには焼きたてのハチャプリをはじめとする豪華な朝食が並べられていた。なんてこった。売店の一つもないこの村で、いったいどうしてこんなに素晴らしい朝食が準備できるというのか。私は感動して目を閉じた。

 そのハチャプリは、これまで食べてきたそれとかなり味が違っていた。チーズは少し塩分が強めで、多分自家製なのだろう、かなり発酵が進んだ「ギリギリ」の味がした(でも柔らかくてとってもおいしかった)。甘く焼き上げたパンや卵焼きも本当においしかった。

 朝食を終え、いよいよ乗馬タイムだ。ハットリさんはさすがに行かないというので(自分の足で村の中を散歩するらしい)、私一人。雪は相変わらず降り続けていた。

 乗馬のガイドは英語を話せないようだった。最初は並足でウシュグリの中心部を散策。悪天候で、シュハラ山は全然見えないし、Lameri教会にいたっては教会に向かう道が雪にうずもれていて全然入れもしなかった。でも、馬の体温を感じながら街なかを散策しているだけで、私は相当いい気分だった。
 なかなか駆け足をしてくれないので、「走りたい!」というと、彼はちょっと肩をすくめ、自分の横を指して「行っていいよ」といった。私は聞き間違いだと思った。普通、乗馬というのは、ガイドの前に出てはいけない。というのも、馬は前に馬がいればその速さに自然と合わせるものなので、駆け足をするときはガイドがスピードをコントロールするからだ。ガイドの前に出てしまうと走りすぎてしまう可能性があり危険なのである。特に初めて乗る馬は、どんな特性かもわかっていないので、暴走を止められない可能性もあるのだ。
 一度はスルーしたものの、少し経ってもう一度走りたいというと、彼はやはり自分を抜かして走らせていいと言っているようだった。ジョージアの乗馬はつまりそういうことなのだろう。私は思い切って走らせてみた。その馬はとてもよく走ったし、指示も聞いてきちんと止まるし、とんでもなくいい馬だった。
 途中、偶然ハットリさんに遭遇したので、動画も撮ってもらった。うまく動画が撮れていなかったので、同じ道を何回も駆け足で疾走した。馬にはちょっと申し訳なかったけれど、こんなに何度も遠慮なく恐怖なく駆け足をしたのは久しぶりで、ものすごく楽しかった。

 一通り駆け足を楽しんで、最後にもう一度ウシュグリの村を馬で歩く。馬の体は温かく、汗ばんでいた。

犬が常に後ろについてまわってた たまに蹴られてた

 たっぷり2時間ほど乗馬を楽しみ、私は宿に戻った。ずっと雪に降られていたので、私はすっかりずぶぬれでみじめなネズミみたいになっていた。ドライバーは、雪が降りすぎて帰れなくなることを心配し、私を急かした。そそくさと準備をして車に乗り込む。

 その車は行きと同様、雪道を控えめに言ってかなりスリリングに走った。時折ある川や雪の塊によって、車体は激しく振動した。

 メスティアにはあっという間に到着した(生きて到着できてよかった)。その日の宿は私とハットリさんでそれぞれ部屋をとったのだが、ほぼ二部屋しかなく、バスルームは共同だったので、結局一緒に泊まっているのとおんなじようなものだった。また、私の部屋とハットリさんの部屋の間に共同バスルームがあるのだが、なぜか共同のキッチンの方は、私の部屋から直接行くことはできず、ハットリさんの部屋を通るか外を周らないといけない作りだった。変なの。

 キッチンでコーヒーを飲みながら一息つく。窓の外の雪を眺めていると、スキー合宿にでも来たみたいだった。
 あんまり雪がひどいので、メスティアを散策する気にはなれなかった。とはいえお昼も食べておらず、おなかも空いたので、ひとまず外に出ることに。
 歩き出すと案外楽しいもので、我々は谷地になっているメインストリートを通って土産物屋を冷かしたり、住宅街を散策したりした。スワネティ地方特有のミックススパイス、「スワネティソルト」も無事手に入れることに成功した。

カラフルで可愛い看板
すげえ吠えてきた犬
異様につぶらな瞳の牛
メスティア的日常

 食事のお店はずいぶんと迷ったが、結局レビュー件数の多い店に行くことにした。明らかにツーリスト向けの雰囲気だったのでちょっと心配していたのだが、ここが大当たり。シュクメルリを初日以来初めて食べたのだが、これがとにかくおいしかった。私もハットリさんも、美味しいシュクメルリに出会えていなかったのでかなり大満足だった。

ジョージアサラダ
めっちゃうまかったシュクメルリ
モツの炒め物みたいなやつ
まだまだクリスマスだぜ

 スーパーに立ち寄ってお酒を買い、宿でハットリさんとゆったり飲んだ。たまには人と動くのもいいものだ。私はほろ酔いで上機嫌になり、本当に素敵な一日だったなと思いながら、早々にベッドにもぐりこんだ。疲れていたのか、あっという間に眠りに落ちた。


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