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ベルベルの心を備えよ④イスラム教へのささやかな反抗、大掃除【マラケシュ】

 12月11日、4日目。初日の観光でめぼしいところは回ってしまったので、マラケシュで1日暇する日だ。ということで、朝から30分くらいオーナーと雑談した。出会う人一人一人とゆっくり話すことができることは、ゆとりある旅程の大きな魅力の一つである。
 昨晩、化粧水の消費スピードが絶望的なほど早いことに気づいたので、この日のタスクは化粧水をゲットすることだった(実は初日からクレンジングを忘れて現地調達をしていた)。マラケシュは都会なので、大抵のものを入手できる点で、旅程の初めに訪れるにはいい街だと思う。

買おうと思えば鶏も買える

 とはいえ、買い物で一日必要なわけはない。1日目で行かなかったが、時間があったら行きたいと思っていた場所であるDar Si saidと、Badi Palaceに立ち寄ってみた。

イスラム建築特有のシンメトリー
そしてこの彫刻美
中庭が穏やかで好きだ
優しげな木
たぶん主
想像以上に遺跡感あって面白かったBadi palace
ここまで御察しの通り書くほど記憶にないから写真でごまかしました

 そうしている間にお腹がすいてきたので、1日目と同じジャマエルフナ市場周辺のレストランに。ここで遅ればせながら初めてタジンを食べたのだが、あまりのおいしさに、小さなレストランの片隅で私はプルプルと震えた。スパイスによって生み出される複雑な味がジャガイモやニンジン、トマトといった野菜にしみこみ、そこにどっかりとチキンが座り込んでいる。トッピングのレモンは1カットがびっくりするほど大きく、爽やかさで口内をパンチしてくるようだった。依存性のある危険な物質が入っているに違いない、そう思ってしまうほどおいしかった。一昨日のクスクスチョイスを内心呪った。そのうえ、たったの600~700円なのだ。

タジンとの出会い

 クスクスほどお腹がパンパンに張ることもなく食事を終え、まぶしい陽射しに癒されていると、ふと口内に、黄色くてシュワシュワして苦みのある、あの液体の味がよみがえった。昨日エッサウィラで飲んだモロッコビール、「カサブランカ」である。
 えーー、めっちゃビールのみたーーい。
 シンプルな魂の欲求に忠実に従い調べたところ、ジャマエルフナ市場からは歩くと20分くらいの、新市街にあるスーパーで買えるらしい(イスラム国家であるモロッコでは、歴史あるメディナの内側でアルコール飲料を買うことは非常に難しいのだ)。
 歩くとギリギリしんどい距離で、かなり迷ったが、どうせ大してやりたいこともない。天気も良かったし、思い切って歩くことにした。
 スーパーまでは、クトゥーブ・ミナレットを近くから眺めたり、民営の公園(cyber park)を通り抜けたりと、なかなか楽しい道のりであった。

写真奥がミナール。マラケシュは馬車で回るのも人気
突然現れるcyber park たぶんモロッコテレコムが整備した公園

 モロッコで初めてのスーパーに到着した。私は国内外問わず、ローカルスーパーを見るのが好きだ。どんな並び順で、どんなものが、いくらで売られているのかを見ると、生活が垣間見える気がする。モロッコのスーパーは、大量のスパイスやフルーツが量り売りされ、肉のスケールも相当大きく、日本ではクリスマスシーズンしか見ないような丸鶏が大小さまざま売られていた。
 一通りまわると、化粧品売り場に到着。そういえば化粧水を入手しなければならないのだったと思い出し、棚の商品をなめるように眺めた。
 期待に反して、「化粧水」と銘打った商品はうまく見つけられなかった。モロッコ人は「化粧水」というものはあまり使わないようだ。その代わりに、「ローズウォーター」や「オレンジウォーター」と書かれたボトルがいくつかあった。おそらくこれが化粧水の代わりになるんだろう。モロッコでは、ローズの名産地が南部にあるためか、ローズウォーターのほうがラインナップが豊富だった。ただ、どうしても香りが強く、なんとなく肌につけるには抵抗がある感じだった。私はオレンジウォーターを選択した。ついでに、モロッコの特産品としてローズに並ぶ一品である「アルガンオイル」を購入してみた。こういう小さなコスメはスーパーで買うのが大抵楽で安いし、困ったときのお土産として重宝することが多いのだ。

 コスメを無事にゲットし、いよいよメインディッシュであるアルコールの探索に。店内をくまなく歩きまわり、最も奥まった個所に「CAVE」と銘打たれた別部屋への入り口を発見した。よく見ると、それらしき瓶がたくさん並んでいる。

かくして私はイスラム国家モロッコでアルコールにたどり着いたのであった

 ラベルの裏をいちいち確かめてモロッコビールを見つけるのはあまりに面倒だったので、カサブランカに絞って購入するつもりだったのだが、悲しきかな、瓶ビールしか置いていない。普段なら大歓迎なところだが、バックパックで移動している身にとって、瓶を大量に持ち運ぶのは相当なハードルである。だがしかし、ここまで来たのだ。砂漠で瓶ビールを飲んだらどんなに気持ちいいだろう。私はまだ見ぬサハラ砂漠を妄想し、瓶ビールを5本、決意的に買い物かごに放り込んだ。もう逃げられないぞ。
 5本の瓶ビールをぶらさげ、また20分の距離を宿まで戻った。腕に袋が食い込んで痛かった(タクシーを拾ってもよかったのだが、料金交渉が面倒すぎて歩き始めてしまい、引っ込みがつかなくなった)。

 宿に戻り、オーナーに入れてもらったコーヒーで一息つく。今日の唯一の予定は「ハマム」である。ハマムとは、モロッコ式の伝統的な蒸し風呂だ。日本のようにお湯はないが、スチームで満たされたサウナのような空間で、体を洗うだけでなく、あかすりやマッサージを受けたりできる。家庭の外に出る機会がほとんどない女性たちの唯一の社交場であったという歴史的な背景を持っているそうだ(詳しく知りたい人は調べてね)。
 ハマムは、プライベートとパブリックの2種類がある。プライベートハマムとはその名の通り、個室であかすりやマッサージをしてもらえるタイプで、趣向が凝らされたラグジュアリーなお部屋で人様に体を洗っていただくという、ちょっと日本ではなかなかないお姫さま体験が可能だ。観光客はプライベートハマムで癒されるのがセオリーである。
 一方、パブリックハマムはこれまたその名の通り、要するに公衆浴場である。あかすりをしてもらうという点では変わりないが、パブリックハマムはローカル向けなので、値段は安いが混雑していたり、備品が持ち込みだったりと、なかなかハードルの高い場所である。
 大都市マラケシュにはもちろん多種多様なクオリティのハマムがあり、宿のオーナーにおすすめを聞いても「いっぱいあるよ」程度の答えしかもらえなかった(男性だったからかもしれない)。やむなく私はgoogle mapから評判がよくそれほど高くなさそうなハマムを発見し、チャット機能を駆使して予約に至ったのであった。

 宿に荷物を置き(地球の歩き方によれば、ハマムには荷物をもっていかないほうがいいとのことだったので、いくばくかの現金とスマホ、タオルと換えの下着だけ持っていった)、狭いスークを縫ってハマムに向かった。さすがに4日目ともなれば、スークの複雑さにも慣れたものである。
 ハマムの場所は奥まった路地にあり少しわかりにくかったが、たまたま観光客が出てきたところだったので、なんとかたどり着くことができた。
 入り口は地下1階にあった。恐る恐る扉を開くと、薄暗い受付にしわくちゃのおばあちゃんが一人。これはなかなかヘビーかも……そう思いながら話しかけると、おばあちゃんは困ったように笑うばかりだった。それもそのはず、おばあちゃんは英語が全く話せなかったのだ。しばらく無言で目線を交わしあった後、彼女は受付の裏にあるバックヤードに行き、英語が話せる若い女性を連れて戻ってきた。ひとまずは安心。
 予約名を伝えてコースを見ると、口コミ通り、ハマム(=あかすり)とマッサージで300dhsだった。なお、口コミではマッサージの評価はそれほどよくなかったのだが、それほど高くないし、物は試しと、せっかくなのでお願いすることにした。 

 料金を支払い(もちろん現金のみ)、受付の後ろにある鍵付きのロッカーに荷物をしまうと、奥から真っ黒の武骨な水着を着たおばちゃんが現れた。なかなかの迫力である。気おされつつも、おばちゃんについて奥に進むと、開けた空間に出た。女性たち(主におばちゃん)が各々壁際の長いすに座っておしゃべりをしている。どうやら脱衣所のようだった。雰囲気は日本の田舎にある日帰り温泉にそっくりだ。
 おばちゃんの身振り手振りで、ここで服を脱ぐらしいことを理解した。おしゃべりをしている女性はみんな服を着ていたので、ここで脱ぐんじゃなかったらどうしようと内心心配になったが、旅の恥は掻き捨てである。私は勢いよく全裸になって(といいつつ念のためパンツだけはタオルに忍ばせて)、でっかいタオルを体に巻いた。
 おばちゃんはタオル巻きになった私をもう一つ奥の部屋に連れて行った。扉を開けると、ぬるい熱気が私の体を包んだ。女性たちはみんな自分で洗面器にお湯をためて、体をごしごしと洗っていた。照明は暗く絞られ、壁は石張りで、どことなく牢屋のような雰囲気だった。
 私はローカルの女性たちが洗っているエリアとは少し離れたところに案内された。そこはお湯の蛇口が一つしかなく、おそらく「ハマム」専用の場所と思われた。おばちゃんは私を固すぎる床に座らせ、大きなバケツに3つお湯をためて横に置き、新品のあかすり用と思われるミトン(ケッサというらしい)と、いい匂いのするいくつかのボトルを持ってきた。そして、何も言わずに立ち去ってしまった。
 その場に取り残された私は全裸で途方に暮れた。
 周りを盗み見ると、みんなパンツだけは履いていたので、ひとまず念のため持ってきていたパンツをこそこそと履いた。

 太めのパスタがちょうどよく茹で上がるだろうな、というくらいの時間が経った。
 もしかすると、これは自分で体を洗っておけということなんだろうか。実はハマムっていうのは、私が知らないだけで、全部セルフサービスなんだろうか。横に並べられたケッサとボトルを眺めながらそう思った。だとすれば、おばちゃんが戻ってくるのをぼーっと待っている姿は、とんでもなくマヌケだろう。私はケッサを勝手に開封し、3つのボトルのうち一番泡が立ったボトルで勝手に体を洗い始めた。
 そこで、おばちゃんがようやく戻ってきたのだった。彼女は体を洗い始めた私を見て、私がやるから大丈夫よ、というようにうなずいた。いや、そんなら説明してくださいよ。
 さて、おばちゃんは何をしていたのかというと、ハマムで一番大事なスキンケア用品、サボンベルディとガスールを水に溶かして作ってきてくれていたのだった。サボンベルディとガスールについての説明は割愛するが、要するになんかいろいろハーブが入ってるモロッコのスキンケア用品と理解してもらえればよい。ちなみにモロッコはアルガンオイルをはじめ、美容用品が充実しており、女性なら絶対に楽しい国である。
 おばちゃんはまず、サボンノワール(茶色のぬるぬるした石鹸)を体に塗り込んだ。そこからあかすり……と思いきや、サボンノワールは全部流してしまって、なんとそのままケッサを手にはめ、何の潤滑剤もなくあかすりを始めたのだった。
 考えてみれば滑ってしまったら垢は擦れないのも当たり前なのだが、こんなゴワゴワしたものでお肌をこすったらめっちゃくちゃ痛むんじゃないか。そんな心配をよそにおばちゃんは私の腕を「ゴスリゴスリ」とこすった。ゴシゴシなんてもんじゃない。皮膚一枚くらいはぎ取ろうとしてるんじゃないかというくらいの強さだった。正直言ってかなり痛いのだが、出てくる垢の量を見ると文句も言えなかった。これで少しでもキレイになるなら、耐えてみせようではないか。お世辞にも清潔には見えない石の床に敷かれた、黒ずんだペラペラのシートの上に横たわるよう指示され、私は何も見ないようにぎゅっと目を瞑った。
 背中の大掃除をされていたところ、かなり近くで早口のフランス語が聞こえた。声からするとおばちゃんではない。延々と続くので何かと思ってうっすら目を開けると、水着も着ていないおばちゃんが私の垢すりをしてれているおばちゃんにすごい勢いで話しかけていた。おそらく近所の常連客なのだろうが、仮にも接客中のおばちゃんにこの勢いで話しかけるとはなかなかの根性である。垢すりおばちゃんの方も特段嗜める様子なく、おしゃべりおばちゃんの話をうんうんと聞いている。
 猛然と喋る裸のおばちゃん、恨みでもあるのかと言うほどのパワーで垢すりをするおばちゃん、ガンコ汚れが染みついた風呂場の床扱いの私。控えめに言ってかなりシュールな絵面である。

 地獄のようなこすり洗いを乗り越え(「顔もやるか?」と身振りで聞かれたので全力で拒否した)、垢を流してもらった後、おばちゃんは天使にジョブチェンジし、甘い香りのソープで私を優しく手洗いしてくれた(おしゃべりおばちゃんは、あかすりのおばちゃんと熱烈な別れのキスを交わして去っていった)。そのまま髪の毛までもわもわと洗い上げ、お湯で豪快にざぶんと洗い流す。最後にガスールというハーブが調合された不思議な香りのパックを全身に塗り、丁寧に(パンツの中までしっかりと)流しておしまいだ。
 洗い流してみると、お肌のつるつるっぷりに私は絶句した。ひどい荒れ方をするのではないかと思っていたのだが、とんでもない。触り心地はなめらかでもちもち、10歳くらい若返ったのではないかと思った。
 タオルで体を拭くと、次はマッサージだった(ここまでの満足度が高すぎて、うっかり帰りかけた)。マッサージ台は、診療所のベッドみたいに簡素だった。マッサージの担当はもう少し若くて、ちょっとだけ英語が話せるようだった。最初はくすぐったいくらいの力だったが、お願いするとしっかり強くやってくれた。時間にして45分くらいだったが、ハマムでふやけた身体に優しいマッサージが染みた。
 マッサージの後には小さな部屋に通され、ミントティーをいただく。甘くておいしかった。垢すりは痛かったが、総合的な満足度はかなり高く、私はここ数日の疲れが心地よく癒されたことを実感していた。

 ハマムを出るとすっかり夜だった。それほどお腹はすいていなかったが、今日はマラケシュ最終日。マラケシュの夜といえば、ジャマエルフナ市場の夜市が評判だ。ここに行かずして、マラケシュを発つことはできないと、私はお風呂上がりのびしょ濡れの髪の毛でジャマエルフナ市場に歩いていった。
 ジャマエルフナ市場は、夜になると、昼のオレンジジュース屋台や大道芸人に加えて、様々な屋台が並ぶ。屋台は、バーベキュー串に刺されて焼かれるお肉や魚介をパンではさんで食べる店が多い。呼び込みの声も強かったが、座っている客はローカルやヨーロピアンなど様々であり、ローカルが多そうな屋台を選んで入店した。
 屋台のメニューはアラビア語で全くわからない。私は得意の「とりあえずお勧めで」を発揮した。ローカルたちの間に私は5%くらい細くなって座った。少しして、巨大なパンと何かわからないお肉、そして野菜の盛り合わせが運ばれてきた。少し辛口のソースにつけて食べる。なにかは全くわからないが、とりあえずおいしい。こんな雰囲気でビールが飲めないのはちょっと理解に苦しむななんて思いながら完食した(モロッコでは、屋外などオープンな場でアルコールを飲めることはほとんどないし、下手すると警察にお世話になってしまうこともある)。

何かはわからなったけどおいしかった

 おなかもいっぱいになったところで、なんだかんだ充実したなあなんて思いながら私は宿に戻った。マラケシュではあまりに観光客扱いされてクタクタになってしまい、私の心は一刻も早く田舎に飛びたがっていた。
 明日からはいよいよアトラス山脈を越え、サハラ砂漠にぐっと近づく予定だ。予約のバスの時間はなかなか早い。
私は同じドミトリーのスペイン人をほどよくかわし、早々にベッドによじ登って眠りについた。


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