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ベルベルの心を備えよ(10)峡谷OUT-サハラIN、太鼓と夜【ティネリール、ハッシラビット】

 12/17、10日目。トドラの朝もいよいよ最後。あまりお腹がすいていなかったので、冷蔵庫から勝手にザクロを出してパクパク食べた。こんな我が物顔で生活できるのも今日が最後だと思うとすごく悲しい。同時に、このモロッコの旅がまだ10日目ーーようやく折り返しくらいであることに、改めて驚く。

お気に入りだった部屋からの景色


 アリ・ババは朝からロッククライミングにハリドゥと出かけていった。バスは夕方の予定だったので、ホステルの前の畑を1人で散歩する。本当は、前日にハリドゥと行ったPalm treeに行きつきたかったのだけど、あんなに簡単そうに見えた道は一晩経つとすっかり姿を消し、どこをどう通ってもあの楽園にはたどり着けなくて、まだまだだなあと思った。
 それでも、畑の隙間を縫うように流れるせせらぎや、遠くにそそり立つトドラ渓谷や、川で洗濯する女性たちの姿は、ちょっと悲しいくらい懐かしく、尊く、美しかった。

 ホステルに戻り、ヒシャムと一緒にティネリールに向かう。大荷物でシェアタクシーに乗り込むと、先客が、ヒシャムと私を見て何事か喋り、ヒシャムは少し笑って首を振った。「奥さん?って聞かれちゃった」と彼はちょっとはにかんで言った。

 10分ほどタクシーに揺られ、ティネリールの街中に到着した。少し早めに着いたので、まずはどうしてもほしかったスパイスを購入しに行くことにした。ホステルの暮らしで料理を覚えたはいいものの、実はモロッコのクミンは日本で買えるクミンとかなり香りが異なり(日本のクミンはインドが原産でやや香りが弱いらしい)、同じスパイスでないと再現できる気がしなかったのだ。
 地元住民が来るようなローカルなスパイスショップで、ヒシャムがぺらぺらとベルベル語をあやつり、スパイス3種の神器(クミン、パプリカパウダー、ジンジャーパウダー)と、お土産用のミックススパイス(45種類のスパイスが入っているらしい)の獲得に成功した。ついでに、砂漠の町では定番のお土産であるローズオイルも購入した。小物のお土産は目についたときに買っておくが吉である。

 さらに街中を散策していると、倉庫みたいな空間に商品を並べただけのローカルなお店が目についた。タジン鍋は4つだけ置いてあった。観光地でみるような華美な装飾はないが、取っ手がちゃんとついていて、実用的に見えた。
 正直、この時点で荷物はかなり限界だった。絨毯は梱包の際に持ち歩けるよう取っ手をつけてくれていたものの、絶対になくしたくなかったので、無理やりバックパックに詰め込んでいた。結果、入りきらない荷物は現地で買ったビニールバッグに入れざるを得ず、すでにバックパックひとつで収まりきっていない状況だった。タジン鍋を購入することは全く現実的ではなかった。
 とりあえず値段を聞こうと、ヒシャムが店主に声をかけた。店主が何事か返事をし、彼は驚きすぎて半笑いになりながら私の方を見た。「20dhsだって」日本円にして約200円だ。迷う余地はなかった。正直200円だったら、持ち運んでいる途中に壊れてもいいくらいだ。私はモロッコ旅中盤にして、サブバックすらパンパンになっていた。
 お昼はベルベルピザを食べようと誘われ、(ベルベルピザってなんだ……)と思いながらお店に向かったが、残念ながらお休みだった。仕方がないので、ワールドカップを見に来た日に行ったお店にもう一度訪れた。当然ながら、今日もメニューはない。その日作ったものを食べるスタンスだそうだ。今日は、レンズ豆と牛の胃(センマイ)の煮込みだった。なんともいえない絶妙な味……おいしかった。
 お腹が満たされたところで、バスが見えるカフェで最後のお茶をした。

何が何だかわからないけど美味しい
ティネリールの広場


 バスは30分ほど遅れて到着した。案の定ほとんどがローカルで、観光客はほとんどいなかった。丁寧にハグをして、私はバスに乗り込んだ。
バスの扉が閉まる。窓の外にいたヒシャムとティネリールの街はあっという間に後ろに流れ去って、長かったトドラの時間が終わったことを実感した。私はようやく次の街――メルズーガに向かった。

 メルズーガは、サハラ砂漠キャンプ(デザートキャンプ)の発着地となる街だ。正確に言うと私が向かうのはハッシラビットという、メルズーガの少し手前の街である。ハッシラビットは、ティネリールで泊まっていたホステルの女主人、のりこさんがかつて住んでいた町であり、ホステルに泊まった日本人は大抵ハッシラビットからデザートキャンプに行くことが多い。ご多分に漏れず私もその黄金ルートを踏襲することにしたのだった。

 バスは知らない町で何度か停車した。知らない町で、タクシーが通り、飲み物が売られ、人々が楽し気に会話しているという至極当然の事実に、どこか驚きがあった。
 トータルで2時間ほど遅れて、バスはハッシラビットに到着した。ティネリールのホステルから紹介してもらった宿(オーベルジュ ロアシス)のオーナー、アリさんがバス停で待っててくれた(アリさんは少しだけ日本語を話す人だったこともあり、敬意をこめて「アリさん」と呼ぶことにする)。
 空腹にあえぎながら宿に入ると、小柄で、メガネをかけ、ジュラバを着た日本人の男性がいた。砂漠に来てから日本人とよく遭遇している気がするな。どうも、と声をかけ、話してみると、なんとこの方ーー太一さんは、プロの写真家であり(!)、モロッコにはすでに10回ほどきていて(!!)、今から3週間歩いて砂漠を旅するらしい(!!!)。赤道沿いの国をすべて旅した話や、未承認国家ソマリランドの話など、柔和な雰囲気からは想像もできないほどアグレッシブな旅の話が次から次へと出てきた。彼には大変かわいらしい小学生のお子さんがいて、彼女とも日本中を旅したことがあるという。こんなにも破天荒さと家庭のバランスを持った人に会ったことがなかったので、私はすっかりファンになってしまった。
 彼は、美しい砂漠の夜と、キャンプで食べるヌードルのうまさについて語ってくれ、私は翌日のデザートキャンプへの期待に胸が高鳴った。
 ロアシスの夕食はキフタ(ひき肉)タジンだった。大抵チキンタジンが一番出てくるモロッコではめずらしいチョイスだ。

 お腹も満たされたので、部屋に向かう。部屋はとても綺麗で、シャワーのお湯の出もよかった。私は久しぶりに違うベッドで寝ることにかすかな違和感を覚えながら目を閉じた。どこか遠くで、太鼓の音が鳴り響いていた。

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