見出し画像

ベルベルの心を備えよ(9)アリ・ババのお出迎え、トドラ最後の夜【ティネリール・トドラ】

 12/16、9日目。何度見ても美しい朝に、感嘆のため息をつく。
 今日は、ついに新しいゲストが来るらしい。私はすっかりスタッフの気持ちになって、送迎の手順なんかを確認した。お迎えはヒシャムが行くそうなので、ハリドゥを誘い、宿の前の森を散歩することにした。
 ハリドゥは、いつものようにひらひらと、森の中の小さな道を、まるで道しるべがあるように迷いなく歩いていった。どこかに流れている小川の水音に合わせて鳥が歌って、日射しが優雅にダンスする、完成された空間だった。私たちは歩きながら、デーツの実を食べたり、アーモンドの実を割って種を食べたりと、落ちているものをひたすら食べながら歩いた。モロッコでは、落ちているものは食べていい。
 ハリドゥは私のことをとても気に入って、「結婚しよう!」とか、「ボーイフレンドになる!」とか、「ヒシャムと結婚してほしい!」とか言ってくれて、私はそれをにこにこしながら聞いていた。かわいいやつだ。
 そのようにして私たちはひたすら歩き、Palm treeがたくさん生えている広場まで来た。そびえたつヤシの木たちは、青い空に凛と立って、なんだかとっても楽しそうだった。どこまでも歩いて行けそうだった。

 帰り道、ハリドゥは私を先に歩かせ、「次来るときはガイドになってね」と無邪気に笑った。本当に、ここに住めたらいいのにと思った。

ここでみんな洗濯している
パームツリーたち
拾ったものを食べる人
教えてもらったけど、ついぞわからなかった、ラクダの折り方

 宿に帰ると、ヒシャムがお迎えから帰ってきていて、50代後半くらいの髭をたくさんはやした、いささかふくよかな日本人の男性が到着していた。彼は私をみるなり、「あなたがのりこさん?」と聞いてきた。宿のオーナーに見間違えられるほどなじんでいるように見えたことは、素直に嬉しいなと思った。
 ハリドゥは彼を一目見て、私に小声で「アリ・ババだ」と耳打ちして笑った。
 アリ・ババは夕食まで散歩に出るということだった。私はシャワーを浴びてから、ハリドゥと夕暮れのテラスでまったりとお茶をした。すると、ハリドゥが突然「ダンスしよう!」と言い出した。モロッコミュージックをスマホから流し、はてなマークを浮かべる私の手を取って、適当なステップを踏み始めた。やがてテラスに現れたヒシャムをハリドゥが誘い、3人でぐるぐると回るだけの奇妙なダンスをして、その異様さに笑い転げた。

ヒシャムももちろん顔がいい(鼻が高い)

 ひとしきりダンスをして笑ったところで、ヒシャムが「お米を食べないか」といった。お米が余っており、自分たちは食べないので使ってほしいらしい。よしきた、喜んで、といいつつ、計量カップも炊飯器もない。キャンプの知識を総動員して水の量を測り、鍋で炊くことにした。
 炊いている間に、キッチンの下の棚にあるたくさんの調味料を拝見した。お好み焼きソースやふりかけなんかがあって、懐かしい気持ちになった。

いささか不格好だけれど、ぎりぎり合格点?
お味噌汁も発見。お箸が沖縄の箸だった


 お米はなんとか無事に炊けたが、肝心のアリ・ババが、夕食の時間を1時間過ぎても散歩から帰ってこない。さすがに心配したヒシャムが、真っ暗なトドラ渓谷に探しに出かけた。
およそ30分後。なんとか発見。トドラ渓谷の岩場をうろついていたらしい。自由すぎる。
 話してみると、アリ・ババは、なんと9月から3か月間旅をしていて、日本に帰るのは来年の7月ということだった。1か月の旅程でフラフラになっている私にとっては信じがたい話だった。オーロラはカナダでみたほうがいいとか、北欧は冬に行くと日が短くて全く観光ができないことだとか、旅の話をたくさんしてくれた。私はまだ見ぬ世界の国々を想像してわくわくした。

 夕食を終え、いつものテラスに上がる。今日は、トドラ最後の夜だ。ハリドゥは自宅に帰ったので、瓶ビールをヒシャムと2人で分け合って飲んだ。少しだけ肌寒かったので、ヒシャムのジュラバを借りた。ジュラバは、モロッコの民族衣装の一つで、服の上からスポット被るようにして着るものだ。地域によって多少異なるが、ラクダの毛で作られた、白黒のストライプのデザインがポピュラーである。ジュラバは、こと砂漠において、多くのベルベル人の男性が着用している(女性はあまりみなかった)。ひそかにあこがれていたので、着ることができてうれしかった。
 ヒシャムのジュラバはおじいさんからもらったものだそうだ。初めて着たジュラバは、ごわごわしていて、ちょっと砂っぽくて、たばこのにおいがした。

 遠くで虫が鳴いていた。すごくすごく寂しい気持ちだった。ずっとここにいたらいいのにと、ヒシャムが言った。そうしたいと思った。そして同時に、これまでわたしは日本でパートナーを見つけて、日本でずっと生きていくと思っていたけれど、そうじゃない道もあるんだなと思った。世界にはたくさんの人や価値観があふれていて、意志疎通さえできれば、どこまでもいくことができる。そんなのは当たり前のことなのだけれど、こんなにも実感を持ってそう思ったのは初めてだった。なんだか視界がすごい音を立てて広がっていくような気がした。
ヒシャムはしばらく黙っていたが、明日、そのジュラバをプレゼントするよといった。そしてビールを一口のみ、たばこを吸って、少しだけギターを弾いた。
頭上では、満点の星が惜しげもなくまたたいていた。いつものように。

あなたが思ってる以上に励みになります!!!!