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ビニール袋の未知と灼熱③雨季の始まり【バン・シーエン・ロム、ルアンナムター】


 滝の音で目が覚めた。
 滝?

 違う。雨だ。

 あまりにも深く眠りすぎていて、自分の家だと思い込んでいたので、脳みそがひどく混乱していた。
 外はまだ真っ暗だった。一呼吸おいて全ての状況を理解し、「洗濯物!」と叫んで飛び起きた。実は前日、手洗いした洗濯物をしこたまベランダに干していたのだ。慌ててバルコニーに出る。

 風がなかったおかげで雨は吹き込んでおらず、洗濯物は無事だった。安どのため息。

 バルコニーの明かりに照らされて、ドラマの撮影みたいな量の水が何かの冗談のように地面に降り注いでいた。出しっぱなしのシャワーを浴室の外から眺めているみたいだった。水滴は地面に当たり、不規則で絶え間ない打音を鳴り響かせていた。こんなにも降り注ぐ水を外から眺めることがひどく新鮮で、わたしはバルコニーにおかれた心地のいいカウチに寝そべりしばらくそれを眺めていた。
 その突然の豪雨は、5月の雨季の始まりみたいに思えた。知らない国の知らない宿で、季節の変わり目に立ち会っていることに、不思議な感動を覚える。

 こんな日でも托鉢がなされるものなのか、とても気になった。少し空が白んできたので、合羽を着て外に出る。観光客向けのイスが多く置かれたメインストリートでは、テントが張られていた。

 かつて村上春樹がルアンバパーンを訪れたとき、雨の日の僧侶はみんなして黒色のコウモリ傘を差していたらしい。彼は「オレンジ色の傘を買ってあげたらいいのに」とその著書に書いていたが、果たして2024年のルアンバパーンにおいてはきちんとオレンジ色の傘が支給されていたのであった。トータルコーディネートの概念が歳月を経てインストールされたらしい。

 メインストリートを外れて裏通りを歩いていると、明らかにローカルなおばちゃんが手製のカオニャオとお菓子をもって、傘の下で丸くなっているところを時折見かけた。どれほど観光地化されても、文化と習慣は確かに息づいているのだ。

 一通り見物して満足し、雨も上がったので、朝食の時間までプーシーの丘に行くことにした。時間帯が早いからか、陽ざしはまだ眠気眼で、私はご機嫌に急こう配の階段を上った。
 プーシーの丘から見えるルアンバパーンは、ちょっと馴染んでないように思えるほど三角屋根ばかりだった。どの屋根も白い縁取りだった。少し湿気をはらんだ風に吹かれながら私はしばし幸福について考える。旅の隙間の時間にはいつも幸福について考えてしまう。

階段を登って向かう
小鳥が入れられて売られているのことの多い籠 なぜここに、、
人懐っこい猫と遊ぶ
カオニャオ、岩場に供えられがち
ルアンバパーンのまち
ぐしょぐしょの洗濯物
朝からはたらく


 順序通り帰ったはずなのになぜか全然違う場所にたどりついていた。ツアーガイドにはなれそうもない。
 少し遠回りをしてホテルに戻ると、ちょうど朝食の時間だった。

 朝食は選択肢があまりにも多すぎて死ぬほど食べた。バイキングだけかと思ったら、別でオーダーできるアラカルトがあることを後から知って、無理やり追加したことも一因だ。どうにも貧乏性が出てしまう。


 散歩で汗をかいたので軽くシャワーを浴びて部屋を片付け、惜しみながらチェックアウトした。10時くらいだった。今日は高速鉄道に乗ってルアンナムターという北部の都市まで北上する予定だ。駅は中心部から車で20分くらいの距離にある。Loca(ラオス版Uber)を使ってもよかったのだが、行きに乗合バスがあるのを知らずにLocaを利用して大損した(バスだと40kキープ、Locaだと180kキープ)ので、今回はバスを使うつもりだった。Locaを使ったとしても300円程度しか差額がないので、使ったってよかったのだけど、金額的に5倍かあ……と思うとバスにしたくなってしまったのだ。

 電車の時間は11:35なので、1.5時間と余裕過ぎてビビるほど余裕だった。はずだった。ホテルスタッフに乗り合いバスのターミナルまで送り届けてもらい、無事に乗車。

 ところが、待てど暮らせどバスが出発しない。電車の本数がたくさんあるわけではないので、普通に考えたら接続しているだろう。のんきにタバコを吸っているドライバーに電車の時間を見せ、「これに乗りたいんだけど」と伝えると、恰幅のいいドライバーは頼もし気にうなずいた。よくわからんが、間に合うってことなんだろうな。
 結局バスは40分くらいそこで停車して、しかもいくつかのホテルを周って人をキャッチアップして駅に向かったので、駅に到着したのは電車が発車する10分前だった。ほとんどオンタイムだ。
 ラオスの駅は荷物検査も必要なので、検査員にチケットを見せると「急いだほうがいい」とジェスチャーされる。そんなことはわかっとる。私は荷物を乱雑に検査機にぶち込んで、改札に向かった。列車がホームに停車しているのが見えた。

 で、結論から言うと乗せてもらえなかった。

 目の前に列車が止まっているので、あとは改札さえ通してもらえたらすぐにでも乗り込めるのに、彼らは「遅くとも10分前にはきてくれないとダメ」という感じだった。係員たちが苦笑いするくらい程度にごねてみたけどダメだった。なんてこった。
 とりあえず隣接するチケットセンターに行くと、何とか手数料はなしで時間の変更ができた。次の電車は15:35。約4時間。なかなかの待ち時間だ。

 このまま駅の中で待機することも考えた。ルアンバパーンの駅はちょっと空港のような雰囲気で、大空間に待合のイスがずらりと並び、壁沿いにあからさまに中国資本の売店やささやかな飲食店があり、電源があり、何より空調が効いていて、悪くない快適さだった。本でも読みながら待っていたらあっという間だろう。旅行記を書いたっていい。悩みながらグーグルマップを開くと、車で10分くらいの場所に村があることに気づいた。バン・シーエン・ロムというらしい。象に会える施設みたいなのもあるようだった。

 せっかくだし行ってみるか。私はバックパックを駅の隅にあるイスにロックし(※良い子はまねしてはいけません)、駅の外に待機していたトゥクトゥクドライバーと交渉した。彼は300kキープを言い張ったが、Locaで相場観を抑えていたのでしっかり60kキープまで下げさせた。5倍をふっかけるのはなかなか性質が悪いぞ。

私の帰りを待つバックパック(可哀想)(絶対盗られる)(盗られませんでした)
牛がよくいる

 その象のいる施設、「エレファントガーデン」については、語るべきことが何一つない。まあマジで大したことはなかった。私は早々にその施設を出て、近隣の村を散歩することにした。ルアンバパーンと違ってコンクリートがほとんど存在しないようなアジアの村らしい村だったので、歩いていると実に物珍し気な顔で見られた。観光客はおそらくあのエレファントガーデンに車で行ってそのままどこか他の場所に行くのだろう。子供たちが唯一知っているであろう英単語「Hello」をひたすら連呼してきてかわいかった。中でも3人兄妹は私のことを気に入ったのか、自転車を乗りながら私を追い抜いては、行った先で止まって私を待って、ハローと言ってみたり、中国語で数字を数えてみたり、あの手この手で交流を試みてくれたのがいとおしかった。まあ私は中国人ではありませんが。

ありがとね
生活を支えるビアラオたち


 30分ほどメインの通りを歩くと村の先端らしき場所にたどり着いたので引き返すことにした。子供たちに、翻訳アプリを使ってこのあたりに昼食が食べられる場所がないか聞くと、超絶ローカルなレストランを案内してくれた。おそらく村で唯一営業しているのだろう。お礼にジュースを買ってやると、飛び上がって喜んだ。ああ、私は君たちにお金を使うために稼いでいるんだよ。

 メニューはカオソーイくらいしかなかった。灼熱の中、山盛りの葉っぱを乗せて食べる麺類は精神に効くなあと思った。ぶらっとお店にやってきたおじいが、肩からぶら下げていた籠を机の上におもむろに置き、中からカオニャオを取り出してもぐもぐと食べていた。私にも一握りくれた。ラオスの人たちは常にこのようにしてカオニャオを携行しているのだろうか。携帯カオニャオ。携ニャオ。

携ニャオ
綺麗だけど本来あるべきもの(水洗レバーとかペーパーとか)は全くないトイレ

 ビアラオもばっちりキメて大満足。電車の時間まではあと2時間くらいあった。Locaを呼ぶこともできたけど、このまま車に乗ってまっすぐ帰るのでは、あまりにも面白みがない。頭がばぐっているので歩くことにした。おそらく1時間くらいだ。

 繰り返すが野外は40度を超える猛暑である。私は歩き始めてものの10分後、ひょっとすると今日このままここで熱中症でのたれ死ぬかもしれないと思った。空は雲一つなく無邪気に晴れ渡り、全てが土気色の道には木陰なんか一つもなかった。暑かった。悲劇的に暑かった。握りしめた水はすでにお湯に変わり、汗が常に流れ過ぎて私の上だけ雨雲がかかっているみたいだった。でも、途中でLocaを呼ぶのも負けた気がするので嫌だった。途中でどこかの車が私を拾ってくれないかな……なんて思っていたけど、車すらろくに通らない道だったのでそれも期待できないようだった。死んでたまるかという気持ちと、死んでもいいかという気持ちで、私は意地と意志で足を運び続けた。

 道の向こうから巨大な生き物がのしのしと歩いてくるのが見えたとき、私はついに幻覚症状が始まったのかと思った。それは何と象だった。象の上には陽気そうな青年が跨り私に手を振った。私がそれに手を振り返せたかどうかはあんまり覚えていない。歩いていて道の向こうから象が現れるなんてことがありうるだなんて、本当に、おもしろいことしか起こらないな。歩いてよかった~などとのんきに思ったことは覚えている。

 右側の土の山の向こうにようやく駅舎の姿が浮かんで見えた。蜃気楼でなければ、あと目の前の大きなカーブを周れば、駅にたどり着けそうだ。水も残り少なく、気力もわずかだった。この土気色の山をよじ登ってカーブをショートカットしちゃおうか、そんな無茶なことを考え始めた直後だった。

 私の横にすっと乗用車が停車し、窓が開いた。タクシーの営業か?と思い振り返ると、後部座席に女の子が2人、助手席に1人、運転席にお母さんらしき女性が乗っていた。見るからに家族連れ。
 その親切そうなお母さんは私に、「駅まで行くなら乗っていく?」と聞いた。私はここにきてまさかの僥倖にひざまずいて感謝したくなった。ありがたすぎる。後部座席に乗せていただく。

「実は、村にいるときから見ていて、心配していたのよ」と彼女は言った。いやー全くそうですよね。自分でも何やってんだろうなあと思ってます。本当にあなたはわたしのミューズです。私はそのようなことを言ってへらりと笑った。冷房がしっかりと機能する文明の空間にひたすら感謝した。ギリギリの生活は文明への感謝を深める。

 駅の手前で降ろしてもらい、売店に立ち寄る。駅構内にはフルーツスムージーが売っていないのだ。キンキンに冷えたスムージーを一気に飲み干し、胃腸からの冷却を図る。はあ、本当に、電車乗りそびれてよかった~。

 今度は余裕のスケジュールで電車に乗り込んだ。ルアンバパーンから、北部の都市であるルアンナムターに行くには、Natuyという駅で降り、そこから1時間ほどシェアタクシーに乗ることになる。時間通り到着した電車に乗り、Natuyにたどり着くと、駅前には大量のタクシーが停まっていたのでありがたく便乗した。1時間もタクシーに乗るのに、ルアンナムターまで100kキープ程度だ。安すぎる。

 電車に乗り逃した結果、Natuyの到着時刻が夜になってしまったので、タクシーが捕まるのかが分からなかったこともあり、ルアンナムターの宿はとっていなかった。とりあえず中心部で降ろしてもらい、どうしようかと歩いていると、メインストリート沿いにいくつかある小さなツアー会社のオフィスから、20代前半くらいの優しそうな女の子が私に声をかけてきた。若くてきれいな女の子に惹かれるのは人類の性。当然断れるわけもなくツアー会社の窓口に座る。

 詳細は後述するがルアンナムターに来た目的は、「モーニングマーケットに行く」ことだった。とある友人がルアンナムターのモーニングマーケットに関するnoteを書いていて、それがあまりに面白そうだったので、この辺境の地まで来たのである。そんなわけでマーケットに行く以外のことは何も調べていないし何も決めていなかった。彼女はルアンナムターで楽しめるたくさんのアクティビティを教えてくれた。いくつか惹かれるものがあったが、値段と内容を総合的に勘案し、翌日のアクティビティを一つ予約。また、ルアンナムターから、帰りの空港のある街「ビエンチャン」への二日後の飛行機についても手配をお願いした。電車でも帰れるのだが、国内線にも乗ってみたかったし、電車よりははるかに速いので、飛行機の手配もお願いすることにした(事前にネット予約することが難しいので、ツアー会社に手配してもらう方が良い)。

 実は泊まる場所も決まっていないんだというと、近場のゲストハウスも紹介してくれた。ルアンナムターはブッキングドットコムなどのいわゆる宿泊施設手配サイトに載っていない宿が多いと聞いていたので紹介してもらったのだが、実際に案内されたのはちらっとネットで確認していた宿のうちの一つだった。泊る部屋を一応見せてもらうと、冷房は効くし、お湯は出るし、床と机に点々と小さなアリが行列を作っているのを除けば、まあまあ及第点だった。2泊で3000円くらいだったと思う(前日の宿は1泊3万だ。いかに高級宿だったかお分かりいただけるのではないだろうか)。
 フロントの本棚に村上春樹のノルウェイの森の英訳版が並んでいた。悪くない。


 翌日の予定と帰りの飛行機と宿、全てがいっぺんに整って、私は大変満足した。夜は近場にあるささやかなナイトマーケットをぶらつき、ビニール袋メシをいくつか購入した。サイウア(ソーセージ)がずっと死ぬほど美味い。
 明日の朝は、ルアンナムターのメインイベント、モーニングマーケットだ。私はわくわくしながら眠りについた。


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