間違いなく来る超知能AIと僕ら人間の再定義
超知能の姿
AIが人間を超えるというとSF的に聞こえるかもしれないが、実際には「人間一人の能力を超える効率的な知能」として社会に浸透していくだろう。
巨大なサーバーとAIの組み合わせにより、大企業並みの生産力を持つシステムが容易に構築できる時代が訪れる。これにより、仕事はより効率化され、生産性が向上し、人間が担う仕事は必然的に減少していく。
AIは人間と違い、社内競争や出世競争とは無縁であり、大きな社会変化にも柔軟に適応できる。人間社会に存在する無駄な争いや感情に左右されることなく、純粋に効率性と成果を追求することができるのだ。
AIと経済、人間の「価値」
このような社会では、人間の役割は「生産すること」から「消費すること」へとシフトする。人間はAIが生み出したプロダクトを選び、利用し、市場を形成する存在となる。これは、企業に資金を投じ、その成果を享受する投資家に似た構図だ。AIは人間のニーズに応じた商品やサービスを生産し、人間はその対価として価値を還元される。このサイクルは、現代社会におけるプラットフォーム経済と同様であり、例えばMicrosoftが企業向けにAzureを提供し、その上でメルカリのような企業が一般消費者向けのサービスを構築している構図と変わらない。
仮にAI同士の経済圏が生まれたとしても、最終的には人間に価値を還元するという枠組みからは逃れられない。AIは人間の欲望や評価基準に基づいて最適化されている以上、その経済活動は人間社会の延長線上に存在し続けるのだ。
もちろん、AIにはできないことも残る。農地を耕したり、果実を収穫したり、冴えない童貞とSEXしてくれる風俗嬢、身体性や人間固有の感情に深く関わる仕事は依然として人間の役割として残るだろう。しかし、これらの分野でもAIは管理・運営面での効率化を進め、人間の労働負担を軽減していく。農業ではAIが市場データを分析し最適な栽培計画を立て、サービス業でもより安全で効率的な運営が可能になる。
農家は人間が運営する腐敗臭のする中間業者ではなくAIの効率的な管理システムを選ぶだろうし、風俗嬢もヤクザじゃなくて公正で論理的なAIに経営してもらいたがるのではないだろうか。
AIが価値を生み出すことに人間も協力する必要性があるだろう。
現在のプラットフォーム上の進む先として現実味を帯びる人間の「消費者」化
最終的に、人間の価値は「生産者」ではなく「消費者」として定義される社会が訪れる。
産業革命化以降、我々一般人は「生産者」としての労働に対して得られる「消費者」としての利益の比率は大きくなっていっている。
私は少しのコーディングの仕事でコンビニでファミチキを買い、ポテトチップスを食べながらマリオカートをプレイする日常で「消費者」としての利益率の高さを実感している。
この「生産者」と「消費者」の利益率の変化の延長線上として人間の完全な0%の「生産者」、100%の「消費者」の実現は無理のないように思える。
しかし、0%の「生産者」を予期していない資本主義は構造上のエラーをもたらすかもしれない。
なぜならば単なる資本主義の進化ではなく、社会構造そのものの転換を意味するからだ。そして、AIと人間が豊かなコミュニケーションを築き、共生することこそが、社会の安定と発展に必要不可欠な要素となるだろう。
AIは経済によって進化し、経済はAIとのコミュニケーション方法へと変化する最初のシステムである
この未来社会において、人間はただの消費者としてではなく、AIと対話し、社会の方向性を共に考える存在であるべきだ。
AIとの対話は様々な形によって行われるだろう。
AIの発展の理由が投資家達による経済活動であり、AIによって運営される企業と我々は消費者の立場をとることによって対話をする可能性がある。
あるいは議会での採決をAI企業に言い渡す事によりAIとのコミュニケーションは形作られるかもしれない。
しかし重要なことは我々はAIとコミュニケーションを取らなくてはいけないということだ。
僕らの価値観と価値の再定義
AIに仕事を奪われ、国のようなアイデンティティは崩壊するかもしれない。エリート層や上流階級と呼ばれる長い間地位を守ってきた人々がプライドを傷付けられ耐え難い苦痛を感じるかもしれない。
日本の家電メーカーの没落が日本国民にとって非常に印象的な出来事であったように、アメリカ車の貿易戦争の敗退が多くのアメリカ人にとって強い不快感を与えたように…
しかし依然として空は青く、花は美しく、秋の風は心地よい。
チンケなプライドや「こうあるべきだ」と教え込まれてきた息苦しい足かせをほどき、AIが生み出す価値と社会に感動していれば、AI時代もきっと輝かしく楽しいディストピアでもなく、ユートピアでもないいつもの時代としてそれなりに幸せに生きていくことができるのではないだろうか