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東北の片隅で,戦争反対を叫ぶ
小学生に歴史を教えてきて
小学6年生の社会科では、日本の歴史を学ぶ。私は,その最初の授業で「何故,歴史を学習するのか?」と児童に質問してきた。児童は,ほぼ「知識として」「先祖のことを知るため」などと答える。それは,間違いではない。でも,私はこう話してきた。「人間は愚かだから,同じような過ちを繰り返さないために歴史を学ぶ。特に戦争は愚かなことだと思う。」と。11歳程度の子どもたちの心には届かなかったかもしれないが,そのような気持ちで教えてきた。
敗戦後,我々の住む日本は幸いなことに大きな戦争に関わることはなかった。その理由は,平和主義をうたった憲法9条なのか,それともアメリカの「核の傘」の下にいたためなのかは,はっきりと分からない。でも,それは1つだけの理由ではなく,複合的な理由だと思うし,一番大きいのは戦争体験者が二度とあんなひどい目に遭いたくないという素直な感情からだと思う。戦争を体験した世代は,現在,日本の人口の1割強ほどのようだが,その世代が日本の民主主義を推進し,物心両面で豊かな日本を目指したからこそ今の日本があると思う。
北朝鮮の弾道ミサイル発射やウクライナへのロシアの軍事侵攻を受けて,改憲による再軍備化やアメリカとの核共有などを声高に主張する政党もあるが,軍拡は滅びの道でしかない。軍拡が始まれば,それは力のための競争となるだけで,より強く,より激しく,より殺傷能力を高め,より破壊的に…と進むだけで,全く何の解決にもならない。「不思議の国のアリス」に出てくるコーカス・レース(動物たちが小さな円形コースを競走をすることになるが,好き勝手なタイミングで全員がぐるぐると回り続けるだけで,勝者も敗者も決められないし,いつまでも終われないというエピソード。)である。ましてや武力による紛争解決は愚の骨頂。その愚かな競争から抜け出すために,日本は戦争放棄したのだ。占領軍の押し付けなどではなく,叡智を結集して先進的な条項を憲法の柱としたのだ。麻生太郎がウクライナに言及した「弱い子どもがいじめられる」の考え方は前近代的な国家論である。戦後の日本は国としての全方位の国際交流や外交を行い,民間人も草の根的な技術・教育で海外と関わってきた。パワーゲームを卒業しなければ,人類は「学習」していないことになる。
21世紀の世の中になっても,まだ人類は戦争を防ぐことができない。愚かな生き物だと思ってしまうことも確かにある。まずは,ひとえに外交努力を尽くすべきである。戦争が起きれば,指導者は安全な場所で命ずるだけであり,一般の庶民が財産をなくしたり,傷ついたり,命を失ったりして被害者になるのだから。戦勝国も敗戦国も庶民が犠牲者となる。それが,戦争の真実なのだ。お互い生きている生身の人間なのだから,武力以外の落としどころは見つかるはずだ。
戦時中の史料から
基本的には上記のような考えである。戦争反対と何度でも言いたい。加えて言えば,今までの読書経験や学生時代に受けた講義等から,井上ひさしや大江健三郎,ジョージ・オーウェル,ノーム・チョムスキー(←変形生成文法は全く理解できなかったけど。英語と日本語では文構造が違い過ぎるから?)らから少なくない影響を受けたと思う。そして,小学生向けの歴史の授業で使えればと,京王百貨店の骨董市や懐かしの昭和館などで戦中・戦後の時代を感じさせるものを今までに細々と購入してきた。歴史は別世界のものではなく,私たちの暮らしの延長線上にあることに気付かせるためだ。ただ,私は定年退職してしまい,その機会もほぼないと思うので,こちらにアップしてみることにする。
最初のものは「写真週報」。戦時中に内閣印刷局が発行していたもので,「ビジュアル版の官報」と言える存在である。豪軍との戦闘で命を落とした若者たちの合同葬や銀座から始まった金属非常回収のニュースを普通の人々はどんな思いで読んでいたのだろう。勿論,時の政府が鬼畜米英という意識を高めようとする意図が随所に感じられる。昭和18年4月発行のものだ。
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もう少し前の時代の年賀状を。満州から郵送された年賀状に,日本と満州国の国旗が仲良く並べられ,友好ムードを強調しているのがミソである。満州国建国が新天地を求めていた日本に「明るい話題」となっていたが,五族協和(和・韓・満・蒙・漢の5民族。国旗の5色もそこからデザインされたと言われている)を標榜し,清朝最後の皇帝を引っ越させて急造した壮大な人工国家はどう考えても大陸進出への足がかりだ。首都・新京にあった「建国大学」の自由な校風が語られる時もあるが,所詮は関東軍主導で中国人から奪った土地で,ほんの一握りの日本人がどう支配するかの話である…。
差出人の「南雲勝治」さんを検索してみたが画家をされていた別の方しかヒットしなかった。86年も前のことだから…。
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そして,これが戦時国債。正式名は「大東亜戦争割引国庫債券」。昭和17年発行のもの。7円で販売され,10年後の償還期日には10円となる予定であった。「予定であった」というのは,日本が敗戦し,インフレを沈静化するために政府が昭和22年に強制的に「新円」に切り替えてしまい,価値が百分の一ほどに暴落してしまったと言われる。この辺りは,単に「新円切り替え」だけでなく,預金封鎖や財産課税,物資不足などがあり,ハイパーインフレに近いものがあったようだ。昭和26年12月に旧大蔵省が繰り上げ償還を告示し,少額の価値しかなくなってしまって償還がなされたようであるが,現在はそれから10年以上が経っているため,消滅時効となっており,国債としての価値は全くない。兎に角,戦時中は軍事費を稼ぐために政府は膨大な戦時国債を発行してきた。しかし,敗戦によって知らぬ存ぜぬにしてしまったのだ。それで,どうしても私は国が大変な時期には紙幣や国債をどんどん刷って国民に配ればいいという考えには警戒心を持ってしまう。大不況やコロナ禍の短期間に限定するならば,それはよいと私は思うが,恒常的な支給は経済活動の空洞化につながるはずで非常に懐疑的である。
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では,また。