2024/7/24 UNISON SQUARE GARDEN "ROCK BAND is fun" @日本武道館
ニジュウブンノジュウニの話
はじめに
詳細なライブレポではありません。ロックバンドを追い続けた記録を、出会いから振り返りながら好きに綴っています。メンバーが喋っていた話に関することも書いてあります。DVDまでネタバレしたくない方はおすすめしません。あとクソ長いです。
ロックバンドへの好奇心
UNISON SQUARE GARDENとの出会いは、12年前のTSUTAYAのジャケ借りが出会いだった。Populus Populusが立て掛けられていて、その黄色さが目に飛び込んできた。名前を見ると「あ、これフォロワーさんが好きなバンドじゃん、聴いてみるか」こんな感じだったと思う。
TSUTAYAで10枚1000円でレンタルできた時代は、片っ端とは行かないまでも、気になったアーティストやジャケットのアルバムがあれば、聴いてみたい好奇心欲が強く、よく同じことをしていた。そのうちの一つのアルバムだった。
他のアルバムたちと一緒に、今より分厚い親のノートパソコンで読み込み、LISMO PORTを開いてウォークマンに取り込む操作をする。500MBの容量しかないウォークマン(アプリはSonic stage)から音楽が好きだった私には手慣れた操作だった。
順当に1曲目から聴き始めて、「んー何言ってるか分かんないけどなんか好きだな」で私の通学時のプレイリスト入りした。そこからCIDER ROAD、JET CO.とどんどん聴いていった。カラオケで歌う曲もユニゾンの曲が増えた。ツイートもユニゾンに関することが増えた。生活にユニゾンが顔を出すことが増えていった。
沼へ、ようこそ!
2014年、桜のまえツアーでようやく初めてライブに行った。一般か遅めの先行で取ったからか、整理番号も良くなく、正直メンバーもよく見えなかった。それでもウォークマンから聴いている曲を生で聴いて楽しんだり、当時はライブ限定曲だった徹頭徹尾夜な夜なドライブを好きになって、音源を探したり(ないじゃん!ってなったこと覚えてる)、セトリ順にプレイリストを作成して余韻に浸ったり(今もやっている)して楽しかった。
今思うと、田淵の大好きな三月物語やピストルギャラクシーもセトリに入ってる。海馬のどこかにあるその記憶を掘り起こしたい…これはいつか発明家に頼みたい話。
2015年、DUGOUT ACCIDENTにようやく徹頭徹尾夜な夜なドライブが収録された。レンタルをやめて、HMVへ予約に走った。めちゃくちゃ嬉しかった。何度も同じ曲を聴いた。それからずっと新譜は予約して買っている。
10周年のfun time724武道館公演に関しては、のっぴきならない予定とぶつかった為、泣く泣くDVDで我慢した。今の自分は行けたんじゃないか?とも思うが、当時の自分は天秤にすらかけられなかったのでやむなしと納得している。
市民と健全な布教活動
Dr.Izzyが出た時には、「ユニゾン、気になると思ってるんだよね」と呟いた友人の一言を逃さず、「貸すよ、まずは聴いて。ハマったら買って、ライブ行こう」と布教した。その友人に布教してからは、遠征以外の近場のライブ会場にはほとんど一緒に足を運んだ。ライブが終わった後には、ラーメンを啜りながら、口々に感想を言い合った。
ちなみに市民になったのは2019年だ(同年に15周年ライブがあるが、別でちょっと書いているので割愛)。発足から知っていたが、入らなかった。市民になることを渋った理由は、「FCじゃなくてもチケットが取れているのに、そんなにその他コンテンツに興味がなく、お金を払って入会する意義はどこ?」と迷い、あまり価値を見出せなかったからだ。
でも今や居住歴6年目に突入の市民だ。1公演は近くの公演に当選できるように、という心意気マニュフェストをちゃんと知った。それに、当たりづらくなってきたライブに必ず行けるなんて、なんと有難い課金サービスなのだ、と大人の良いんだか悪いんだかな面が出た。そしてやっぱり応援しているところにはお金を落とさないと!バンドはナマモノだ!というオタク精神からだ。(2016年にGalileo Galileiが活動終了し、上記の気持ちが大きくなり、2019年11月にNICO Touches the Wallsが活動終了し、その気持ちはより強いものとなった)
コロナ禍のロックバンド
市民になってから、1年も経たずにコロナ禍に入った。未曾有の危機だった。10代からライブハウスに出入りするようになって、初めてライブハウスが悪者扱いされるようになった。報道でも世間話でも悪く言われる。自分の好きなことが、大っぴらに好きと言えない世の中になった。白い目で見られるのも嫌だったし、そんな世間体を気にしている自分も窮屈で嫌だった。音楽をほっぽって、自分のやらなきゃいけないことをやらなきゃいけなかった。返金対応になったチケットも何枚かあった。ライブがなくても身体は運良く元気で生きていたが、突然色が何色か抜けた気分だった。
やがて仕事でもオンラインで色んなやりとりがされるようになり、ライブにも"オンラインで楽しむ"プラットフォームが整備された。オンラインでライブをやると聞いて、すぐに自分の好きなバンドのオンラインライブに申し込んだ。ユニゾンは約半年ぶりのライブだった。オンラインだからイマイチ…なんてこともなく、人の頭を避けなくていいオンライン上で盛り上がるのもまぁ楽しかった。
2020年10月、ようやく対面でライブができるようになった。マスク装着鉄則で、発声禁止。席は一つ飛ばしで連番不可且つ座り指定で、ガーデンシアターの幕が上がった。1曲目のクローバーが演奏されてすぐに、マスクの中がしょっぱくなった。ステージが眩しかった。好きを少し取り戻せたと胸がキュッとなった。椅子に座っていても、自然と身体が動かされた。声は上げられなかったが拍手はでき、周りも同じように揺れていた。その後は規制を緩和したり、感染者が急増したりで一進一退しながら、ライブ会場でスタンディングでライブができるようになった。
こちらを振り返っている気配
時に、市民特典の心意気マニュフェストが守られなかったライブがあった。Normalのツアーだ。まだ間隔をあけて座席を設定し感染対応をしなければならず、決まりを守りながらライブをやっていくことが優先で、守りたくても守れなかったんだと思う。運営と関わるのは、何だか要求吠えをするようで気が乗らなかったが、これでは市民である理由もなくなってしまう、と初めて声を上げた。きっと私以外にも救済措置を求めた声があったのだろう。その後、市民向けになぜ入会したかのアンケートが実施され、(元から決まっていたか分からないが)追加公演が発表された。
2021年7月には市民限定で2daysのオンラインライブが開かれた。恐らくオフラインではやろうとはならなかったであろう、ファン投票でのセトリやアコースティック編成、PDFパンフレットもあり非常に充実していた。よくよく考えてくれたのだな、と彼らの行動を見て、翌年以降も市民であることを継続した。
この一連の流れ辺りから、あんなに"ついてきても来なくてもいいんだけどね"な態度が、こちらを振り返って見ているような感覚があった。
市民特典の心意気マニュフェストや、市民限定オンラインライブについて田淵が言及しているナタリーのインタビューがある。市民の方はぜひ読んで欲しい。
諦めるわけにはいかなくなった理由
同年CIDER ROAD revivalツアー、アンコールで斎藤が「ますますライブをやってると悪者になってしまうような世の中になってしまった…きまりを破ってまでライブをやろうとは思わない。次のアルバムのライブもやれるかどうかわからないし…僕が簡単に決められることじゃないんだけど、僕たちは僕たちのために、今日ここに来てくれた人、今日ここに来れなくて家にいる人のためにもこれからも普通にライブをやっていきます」と言った。正直、救われた。この人たちは諦めていないと。私もロックバンドを好きでいることを諦めるわけにはいかなくなった。まさに背水の陣、お互いに踏ん張る局面なのだと。
翌年以降も行けるライブには行ったし、好きなものを好きだと発信したし、新譜も予約して手に入れた。なんだか妙な特典がつくようになったな?と薄っすら思いつつ、試行錯誤中なのだろうと見守った。
去年5月、COVID-19が第5類感染症に移行した。
移行したからと言って、消滅したわけでもなく、やることは変わらなかった。最大限の配慮で自分の好きなことを守った。
気配じゃなかった、現実だった
2024年1月1日、0:00。安定の夜型運営が続々と情報を公開した。「こりゃ今年は市民もお祝いに忙しくなるぞ」と思った。斎藤の動画を見て、あれ?こんなにストレートな言葉通りの言葉で、幸を祝われたことあったっけ?となったのは私だけだっただろうか?田淵もブログを更新していた。短い文だが、20周年に対してこんなに言葉通りの言葉を発しているなんて、どうやら本当に大事らしい。貴雄は国内にいなかったが、やがてハッピーニューイヤーが訪れますようにと祝ってくれた。この日は本当に日本が大変な日だった。今も続いてる人もいるだろう。言葉を選ぶのも苦慮しただろう。(それぞれのちゃんとした言葉が知りたい方は、公式Twitterへ)
2月、UNICITY vol.2のライブ。市民限定ライブのことなので、割愛。あれは物好きの祭典のようなものだからね。
3月田淵のブログ、"7月24日の夜、この時間だけは空けておいてくれ"と言われた。言われなくても空けていたが、"君には見てもらいたいのだ"と、またもや言葉通りの言葉を、見たこともない豪速球で投げてくる。どうしちゃったんだとも思わなくもなかった(ごめんね)。片鱗を見せていたとはいえ、そんな豪速球を打ち返すバッドも受け止めるミットも持ち合わせていなかった。とにかく我々は7月24日を目指し、まずは健康、その次にチケット争奪戦を乗り切らなければということらしい。乗り切れなかった場合でも見れる用意があるということで、少しは安心した。が、ファンとしては現地で祝いたい気持ちが9割9分だった。
やはりこちらを見ている
4月、Catcher In The Spy revival公演。別のnoteで詳細レポしているので、これも割愛。結構詳しく書いたので、下に貼っておく。このライブでも、こちらを振り向いている言葉をMCで斎藤が話している。最後の方にほんのちょろっと書いた。
何かが極まった
レポにも書いたが、極まる公演には行かなかったため、もう7月24日までユニゾンのライブがなかった。ただ、このライブでベストアルバムの予約をしたので、フラゲするミッションが残っていた。
もちろん7月23日にフラゲした。曲名だけは聴いていたインディーズ時代の曲が、ようやく聴けると楽しみにしていたが、そのDisc1だけでも55分ある。気になっていた初めの3曲を聴いて、あとはもしかしたらやるかもしれない新曲のアナザーワールドエンドを入浴しながら聴いた。プログラムcontinued(15th style)の時も入浴しながら聴いたことを思い出したが、全く同じ状況になってしまった。分かるやつに分かるように伝わった。なんでこんな丑三つ時に、明日祝いの日だって言うのに、目腫らすようなことしてるんだか。べちょべちょになった顔を洗い流し、風呂から上がった。興奮が冷めず、少しTwitterを眺めて過ごし、隙間から薄ら青い光が差し込んでから眠りについた。
ロックバンドの結実を追い続けろ
来る2024年7月24日。一生に一度しかない、UNISON SQUARE GARDEN20周年ライブ。
体調は遅くに寝たにしては万全、天候は概ね良好。割と直前に届いたグッズに袖を通し、九段下を目指す。
そういえば先述した友人も、いまや立派な市民である。というか私より先に市民になっていた。行動が非常に早かった。さすが同じオタクである。15周年のライブも、そしてこのお祝いにも一緒に駆けつけた。
ライブの内容は余りある殿方にお任せ、と言う感じなので、誰かのレポを見てほしい。きっとその方が私のよく分からない叫びを聞くより正確。あとライブDVD、出る。それ、より正確。買おう。
一つ話しておきたいことがあるとしたら、貴雄中年が話していた"熱と循環"の話だ。似たようなことをのほほんとした口調で手短に書いたことがある。以下に貼っておく。親が子に似るのか、子が親に似るのか…。
…とまぁこんな12年間だった。学生が大人になり、いつかの少年だった青年も中年になるわけである。
あとがき
改めて、UNISON SQUARE GARDEN 結成20周年、おめでとうございます。
音楽性の違いを最初から抱えてた3人が20年続けるって、確かに奇跡のような時間ですね。
今までも、これからも、自分のためにロックバンドを続けてくれてありがとう。君たちの音楽が私の人生にどれだけ色をつけてくれているか。諦めそうになった時も、まだ飽きていないからやると言っていた時も、続けることを選んでライブをやってくれてありがとう。
振り向いてくれなんて言わないけれど、たまにこっちの様子を見てるんだなぁって分かるくらいがちょうどいいです。あと私にかけた言葉、ちゃんと届いています。きっと伝わってほしいように伝わっています。見えない魔法がかかっているからですかね。これ解けなさそうですね。解けなくても、まぁいいんですけど。
未来の保証はないけど、きっと何年後も君たちが好きです。前を歩いていてください。こちらはこちらで勝手についていくので。
と言うわけで、
20年目の今年だけはデレデレで、よろしくね。
21年目の来年からはバチバチに、よろしくね。
追伸
どうか、もう屋外ライブはやらないマニュフェストも引き続きお守りくださいませ…。