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【地雷系】言葉の変遷について考える【チー牛】


言葉っていうのは不思議なもので、時代によって意味が変わることがある。否定的な意味で使われていたものが肯定的な意味で使われるようになったり、その逆も然り。それが『言葉』っていうものの面白いところだとも思う。

でも、私はその言葉の意味の変化が、基本的に嫌いだ。

特に最近の言葉の変化。それがとても嫌い。『言葉の変遷』なのか『誤用』なのかは人によって意見が分かれるかもしれない。

でも、最近の言葉、主にネット上で生み出されたような造語は、誤用されている例が多くあると思う。

『誤用』という表現は、もしかしたら適切ではないかもしれない。言葉が「個人の都合のいいように解釈されて使われている」ということが多々ある。

私はそれがとても嫌い。

こうやって説明しても伝わりずらいので、具体例を出して説明する。

1.チー牛

私が思う使い方が嫌いな言葉の中で最もタイムリーなもの、『チー牛』だ。

チー牛という言葉は、ネット上である特定の層の人物を揶揄するために作られた言葉(だと認識している)。

Wikipediaによる説明はこうだ。

拡散の発端となった掲示板の初期の書き込み(下記)において、発達障害者や就労移行支援の利用者の顔立ちのイメージとして「チーズ牛丼を注文する若い男性のイラスト」が投稿された。この書き込みがインターネット上で拡散され、「チーズ牛丼」という語彙・当該イラストが「よくいる少し気持ち悪いオタク、存在感のない陰キャのテンプレート」として用いられるようになった。

自虐として使われることも、他者への侮辱的な意味合いで使われることもある。自虐で使われた有名な例としては黄之鋒によるものがあり、彼の名を冠したチーズ牛丼が発売された(後述)。侮辱的な意味合いとしては、主に陰キャっぽい男性や女性に対する揶揄として用いられる。

チーズ牛丼 (ネットスラング) - Wikipedia

大体自分の認識と合っている。『発達障害や就労移行支援の利用者の顔立ちのイメージとして』という部分は初めて知ったが、『よくいる少し気持ち悪いオタク、存在感のない陰キャのテンプレート』というのは自分の認識の通りだ。

恐らく多くの人間は、『よくいる少し気持ち悪いオタク、存在感のない陰キャのテンプレート』という意味でチー牛という言葉を使っているだろう。

しかし、この『チー牛』という言葉、最近は『インテリ系の男性』を指す言葉として使っている人をよく目にする。これは明らかに都合のいい独自解釈(≒誤用)ではなかろうか。

そういう人たちに共通しているのは、『特定の人物を非難するために使っていること』だ。

より詳しく言うと、QuizKnockというクイズ系のYouTuberの方々に向けて使われていたり、最近話題の石丸伸二という方に向けて使われている。

この人たちはインテリ系イメージの人であり、気持ち悪くもないし、存在感はとてもある。清潔感もあり、知性もある。これだけ人前に出ているのに「存在感の無い陰キャ」と呼ぶのは無理があるだろう。

決してチー牛ではないと、私は思う。それなのに、この人たちを批判する人は『チー牛』という言葉を乱用し、非難を続けている。

自分の中で『チー牛』という言葉を『なんとなく頭がよさそうで勉強ばっかしてそうな人』と勝手に定義・解釈しているように感じる。

人を非難するのをやめろとは言わないが、相手のどこが気に入らないのかを言語化することができないからって既存の言葉の解釈を捻じ曲げて無理やり非難するのはやめた方がいいと思う。日本語と言語化能力に疎いのであれば、『人を非難する』という行為はまだ早いのでやめておいた方がいいだろう。


2.フェチ

次に、私が嫌いな使われ方をしている言葉は、『フェチ』だ。

これは以前もどこかで言ったことがあるかもしれない。私はフェチという言葉が簡単に使われ過ぎだと思う。

フェチとは、異常な性的嗜好のことだ。フェチは異常なのである。

それなのに、最近では『フェチ=好き』という意味で使われていると思う。この使い方がとても嫌い。

フェチの本来の意味は、他者が理解できない圧倒的なマイノリティで、異常な性嗜好のことだ。
「あなたは何フェチ?」
なんて気軽に聞いていいものではない。

それなのに昨今は「何フェチ?」という質問が横行し、「私は指フェチ」とか答える人がいる。

それは決してフェチではない。「指が好きな人」はいるだろう。でも、「指フェチ」の人は中々いないはずだ。

フェチというものは人に聞くものじゃないし、人に言うものでもない。それは本来異常なものなのだから。

loveやlikeという言葉では到底表せないようなものが『フェチ』なのに、like=フェチにしてしまったら、会話でも文章でも『異常な性嗜好』が表せなくなってしまう。

『フェチ』という言葉の解釈を広げることで、表現を狭めてしまっていると思う。


3.地雷系

3つめは『地雷系』だ。この言葉の使い方に関しては、単純な好みの話で、理屈があまり無いので「全然問題ないのでは?」と思う人も多いかと思う。

地雷系、それは『関わったらやばい人、いわゆるメンヘラ的な人』のことだと理解している。『関わると危ない=地雷』という連想でつけられた名称なのだろう。

実際に会ったことはないが、地雷系の人たち特有の恰好というものがあり、そういった見た目も『地雷系』と呼ばれている。

この言葉はかなり否定的な意味で使われていると、私は認識していたのだけど、そういった意図で使われていることが少なくなっている気がする。

『地雷系メイク』や『地雷系ファッション』と言って、地雷系ではない人が見た目だけ真似をしている。

こういうのが嫌い。地雷系はメンヘラ気質の人の中身を揶揄してつけられた名称のはずなのに、最近は『メンヘラ気質の人の見た目=地雷系』という風に使われている。

地雷系は否定的な意味で使われていて、決して目指すべきものではない。そのはずなのに、ただの一つのファッションとして消化され、ただの容姿が整った人が肯定的にこの言葉を使っている。

この使い方は、嫌いなんだ。単純な好みなのかもしれないが、地雷系という言葉を特定の服装を表す言葉として使っているのは好まない。本来はそういう意味じゃないので。


具体例を次々と挙げたらキリがないので、3つで留めておく。

具体例に挙げたように、言葉が個人の都合のいいように解釈されて使われるのがとにかく嫌いなんだ、私は。

でも、もしかしたら自分も無意識にそういうことをしてしまっているのかもしれない。していないと信じたい。

様々なものの消費が早まっている今の世の中では、言葉もその波に飲まれているのかもしれないけど、言葉はできるだけ不変なものであってほしいな

少なくとも数年で意味が変わるようなことはあってほしくない。

自分も気を付ける。


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『藻野菜/@Moroheiya0225』

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