モヤ指数9/10:透明なアジア人
わたくしはかれこれイギリスに住んで10年。その前は某東南アジア国に2年ほど住んだことがありますが、生まれから30歳頃までは日本に住んでおりました。
いわゆる海外旅行や短期留学を経験しており、長期の留学はしたことがありませんが、小さい頃から割と海外に行く機会の多い人生であると思います。
10代の頃は、夏の間に開催されるアメリカのサマースクールというものに何度か参加しました。家族での海外旅行以外では、そのサマースクール参加というのが初めて自分ひとりで海外で生活する、という機会でした。サマースクールは、ホームステイではなく、学校敷地内の寮に生徒が宿泊するというスタイルでした。いわゆるボーディングスクールというやつです。ELS(English as a second language)の生徒を対象としたプログラムでした。先生は全員アメリカ人でした。そこでは、子どもだったからかもしれませんが、東南アジア人であることが原因で、人の態度が異なったり、不当な扱いを受けるという経験をしませんでした。幸運なことかもしれません。学校は、東海岸の田舎にあり、学校の敷地以外にあまり外に出ません。週末に遠足のようなものがありましたが、先生が同伴し、生徒の安全を守っていました。先生のその責任は大変重く、例えば放課後クラブで訪れた乗馬クラブにいた犬がたまたま生徒の一人に噛みついてしまったという事件があった際、引率の先生はその日のうちにクビになり、朝になる前に学校を出ていかされていました。どんな場所に行っても生徒の心身の安全を守ること、守れなかったらいかなる場合でも即刻クビになることは、非常に厳しく先生の雇用契約書に書かれていたのかと思います。生徒に対しても、生徒の人種や文化に起因する差別的な言動は問答無用で一発退学、次の日の飛行機で国に帰らせます、と非常にはっきりとした校則がありました。わたくしの海外経験は、30そこそこでイギリスに住むまでは非常に平和で、守られたものでした。
さて、わたくしももうイギリスに住んではや10年。
そして子どもを育てる今、見た目は東南アジア人である自分が、「透明」、「あたかも存在しないかのように」扱われる、と感じることが多々あります。残念ながら、それは子どもを育てるようになってから顕著に感じるようになりました。それはどういったことかと言うと、まさに言葉通り。周囲にいる非東南アジア系の方、とくに白人の方は、東南アジア系の人がいても「目もくれない」事が多々あるということです。
子供ができる前は、わたくしは職場に通勤をしており、割と周囲に「なめられないこと」を心がけていました。わたくしは割と着飾っておりました。きちんとお化粧をし、髪型を整え、それなりに高価な装飾品を身に着け、「フン、なめんじゃねーよ、ケッ」と心のなかで言っておりました。
ですがどうでしょう。子供が生まれて以来、わたくしの部屋着、パジャマ、外出着は全て同じになりました。お化粧はしなくなり、ボサボサの髪の毛をキャップやニット帽で隠します。悪口ではないですが、似たような格好の女性をよく目にします。どなたもだいたい小さいお子さんを連れてらして、レギンスをはいてあたかもジムに行くかのような格好をしてらっしゃいますが、ジムにそのまま子供を連れて行くとは思えません。港区の実家に帰省すると、周囲のお母様方は大変きれいな格好をされていますが、イギリスではそういった光景をあまり目にしません。要は、どのママもほぼボロボロなのです。
そんなボロボロの母親同士ですので、わたくしとしては、保育園のお迎えの際などは、知らない人でも同じ保育園に通う子どもがいる同士、一応目配せをして微笑むくらいはしようと心がけております。ちなみに、当然ボロボロのパパたちもいらっしゃいます。しかし、いわゆる白人の方は、わたくしに目もくれておりませんので、わたくしの作り笑顔は宙に浮いたままとなります。半面、同じ東南アジア系や、黒人の親御さんからは笑顔をいただき、軽く自己紹介をし合ったり、短い会話を交わすことが多いです。
オスカーを受賞したミシェル・ヨーが無視されたのではないか、という出来事があり、Invisible East Asiansという言葉、問題が若干注目されました。ですが、その後その問題はほぼ語られなくなりました。怒りをあらわにすることもなく、「そんなもんだよね、別に何かひどいことを言われたわけでもされたわけでもないし、わたしたちおとなしいしね」とほぼあきらめを感じながら、透明な存在を享受しているのです。
コロナ禍では、何度か「コロナ!」と道や公園で叫ばれたことがあります。数メートルついてきて睨まれ、「チャイナチャイナ」と言われたこともあります。わたくしがコロナを持ち込んだという事が言いたかったのでしょう。
人種差別に起因する中華系のような見た目の人への暴行事件もありました。わたくしの印象ですが、どのインシデントにも共通するのは、チャイナだろうがシンガポールだろうがコリアだろうがジャパンだろうが、十把一絡げにされることです。
マイノリティですのでそういったことはどこにでもあるでしょうし、日本でも、イタリアだかドイツだかフランスだか、同じに見えちゃうよ、と言うこともあるでしょう。ですが、イギリスで生活していると経験する、「どこであってもどうでもいい」とは違います。「あ、フランスなんだ、へーそっか、わかんなかった〜フランスのどこなの?パリって知ってるよ」と、「どこだろうがそのへんのことは知らん、どうでもいい」は違います。わたくしがジャパンだと言ったところでおそらく、覚えてもいないでしょうし興味もないでしょう。
わたくしの住んでいるあたりでは、ここ数年で裕福に見える東南アジア系の方が増えました。言葉を聞くと、韓国系の方のようです。韓国系のお母様は、港区のお母様のようにきれいな格好をされていることが多いと思います。寒いですがモンクレールのダウンをきて、きちんとお化粧をし、スカートをはかれ、ブランド品のバッグを持っていらっしゃいます。ジム行くカモフラージュのコリアンママにお目にかかったことがありません。
わたくしは相変わらず毎日ほぼ起きたままの格好で引きこもっておりますが、いつか、タンスの奥からブランド品を引っ張り出し、化粧をし、かつてのような武装をして外に出て、それでもまだ透明な存在なのか、試してみようと思うのです。
おそらく、結果は変わらないと思いますが。「フン、なにくそ、ジムいかねーくせにレギンスはいてププ」という精神を取り戻したいのです。見た目を変えることでしかその気持を取り戻せないことに情けなさは感じますが。
このモヤは、おそらく昇華しません。
しかし、いつか見返してやる(誰を?)、この野郎(どの野郎?)、という気持を持ち、強くあり続けたいと思っております。