今にも泣きそうな風に、今にも泣きそうな顔を撫でられた話
6月10日、不安定な天気だった。
いつものように、外に出た瞬間雨に打たれ自分の雨女具合に嫌気がさした。
それでも、傘を持たずに、走らずに、只雨の感触を味わった。
電車に乗ると、雨は止んでいた。
そんな情緒不安定な天気が続いた。
日中というのは「雨も悪くない」と思えるものだ。しかし夜は一変して、「悲しい雨」にしか変換できなくなる。
夜の22時ごろ雨もあがり、最寄り駅から自宅を目指し歩いていた。夜風なんて気持ち良いものではなく、今にも泣きそうな、今にも雨が降り出しそうな、風が頬を撫でた。
髪が乱れ、風に押され少しよろめき、前を見上げようとした瞬間、涙が零れた。それは、段々と加速していき、声をあげて泣いた。
雨が降っている時よりも、悲しかった。
きっと、その日一日私は泣きそうな顔をしていたのだろう。
何かがあった訳ではない。ただ、悲しみに包まれていた。
そして、帰り道、「もう、泣けよ」と、言われた気がした。
いつだって泣いた後には何も残らない。一人で泣く時は、最後に笑かしてくれる人だっていない。その日の終わりを泣いて迎えることになる。
流した涙は浄化されず、寝て、起きて、忘れ去ることしかできずにいる。
誰も知らないところで流した涙を、
風に誘われて流した涙を、
次の日には、無かったことにするのだ。
「ああ、きっとあの風の所為だ」と、考えることを辞めるのだ。
誰にも見せない涙は、決して美しい物ではない。
それは、制御できない自分の感情そのものである。
そういえば、小説の中の女子高生はよく学校でいじめられて、お風呂場で泣いていた。壁が薄い為にそれは二人で住む父親にはバレバレで、娘に気遣って何も言わず引っ越しを繰り返す。そんな話があった。
そう、涙はきっと、誰も見ていない所では報われない。
誰かに知ってもらってこそ意味があるのだ。
誰かに見つけてもらいたい。
そんな風に思って泣いてきた日々は何処に捨て去ろう。
母親が、ベッドに倒れ込みながら泣く姿を見て、「ずるい」そう思った。自分のように誰にも涙を見せずに一人で悲しめば良いのに、そう思った。何故、泣き声を聞きながら自分もまた悲しい気持ちにならなければいけないのか。心底ムカついた。
彼女はきっと、私のこんな思いにきづいていない。
いつも、無神経で、
自分さえよければ良くて、
だから、私がこんなにも繊細すぎる人間に成ってしまった。
泣きそうな風に、泣きそうな顔を撫でられて、
涙を流しながら自転車を漕ぎ、自宅が見えてくると我を取り戻し、
また、同じ日常に足を踏み入れた。
p.s
最近昼夜逆転してしまってます。
文字を書くことが生き甲斐です。此処に残す文字が誰かの居場所や希望になればいいなと思っています。心の底から応援してやりたい!と思った時にサポートしてもらえれば光栄です。from moyami.